思い出ウォーキング
学生時代を過ごした界隈を散歩していたら当時のことをいろいろ思い出した。
20年以上前の今頃、大学入学前の集まりで平野神社の桜を見に行った。当時は京都屈指の桜の名所だとも知らず2回生(京都では年生を回生という)の新入生の世話係的な人たち(オリター)と一緒に花見を楽しんだのではなかったか。お花見といえばお酒がつきものですが1回生は多くが未成年なのでお酒はなかったような気もするし、そんなのは関係なく飲んでたような気もする。今思えば世話係的な人たちのうち、少なくとも男の連中は皆、新入生の女に手を出したがってる下心丸出しの男ばかりだった気がする。
入学式は大将軍(たいしょうぐんと読む)の府立体育館(現島津アリーナ京都)であった。雨だったと記憶している。僕は紫色のベッチンのジャケットを着ていた。ベッチンが昔から好きで今もえんじ色のベッチンのジャケットを愛用している。入学式の内容はまったく覚えていないが古田敦也さんやナインティナインのビデオメッセージがあったと思う。
島津アリーナ京都の近く、西大路通り沿いのレンタルビデオ屋にはよく行ったけど今はもうない。向かい側の中学校近くにあったたこ焼き屋もなくなってしまった。去年亡くなった学生時代からの友人が昔、好きな女の子に告白しようと心に決めたにも拘らず実行できず、ふがいない自分に腹が立ち、お酒が呑めないくせに生ビールを注文したラーメン屋さんは健在であった。しかし看板は「ラーメン」の文字が見えないくらいに剥げてしまっており、当時の面影はなかった。友人が亡くなったのと同時に剥げてしまったのかもしれない。
円町の交差点にある吉野家には大阪にライブを観に行った帰りによく立ち寄った。酩酊寸前の状態で牛丼を食った。あんな状態でよく自転車を漕いで家に帰れていたと思う。いつ死んでもおかしくなかった。っていうところに思考が行き着くと昔は「生かされたってことやな」などと納得していたものだが、理不尽な病によって亡くなった友人のことを思うと、そんな自分勝手な理屈を振り翳してはいけないのだと己を戒めることになる。
どうせなら個人的な関係を築けるお店の常連であればよかったのにと思う。別に吉野家が悪いわけではないが、仮に今日ふらっと店に入ったとて「20年前くらいによく深夜にお世話になりました」と言ったところで覚えてくれているスタッフもいないだろうし、その物語に誰一人感慨深くなりえない。
円町を少し南下、太子道には個人的な関係を築いていた中華のお店があったのだがこちらは残念ながら数年前に閉店してしまった。昭和何年から値上げせずにやってますといった感じの汚い店だった。ああいうタイプの店は潰れたりしないと思い込んでいたがコロナ前に閉店してしまった。コロナ以降はもっとたくさんの潰れるはずのない店が潰れただろう。なくなってしまうのは悲しいな。
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