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見れる見られる

キングオブコントは空気階段が優勝しました。って書いたら「録画して今から観るつもりやったのに!!」と不当に怒られる理不尽な世の中が早く終わってほしいです。

どの組も面白かったですね!
角刈りのおっさん風の男が実は女の子だったっていう設定がまだ笑いになるのかという驚きはあったのですが、世界観や持っていき方などがどんどん更新されていて、特に私は蛙亭とそいつどいつ、ザ・マミィの1本目は泣きそうになりました。多少の偏見は持てよ。最近あんまりコントを見てなかった分、余計に感動したというのはあったと思います。

番組の本編とは関係ないところでも実は一つ、個人的な衝撃がありまして、確かジェラードンの紹介VTRの時やったと思うのですが、誰かの発した「見れる」っていう発言をテロップがそのまま「見れる」にしていたことです。そこまで一生懸命ずっと見ているわけではないですが、テレビのテロップはこれまで執拗に「ら抜き言葉」を訂正していました。今回のケースですと明らかに「見れる」と言っているのにテロップでは「見られる」になっているのが通常やったのです。この執拗さは異常なところがあり、ちゃんと覚えてはいないのですが、お笑いのネタ番組なんかで語呂的に「見れる」じゃないと笑いが成り立たないという場合にさえ、テロップでは「見られる」に訂正するほどの徹底ぶりやっただけに、今回の「見れる」は歴史に残る大事件やと思ったわけですが、しかし、それも私は最近そんなにテレビをよく見るわけではないので、たまたま私が見たのが今日が初めてやっただけで、近頃は割と普通のことなのかもしれません。

前までなら体がすぐに反応して「見れる」っていうテロップをすぐに撮ることができた気がするのですが、今日はそれを撮ることができなかったので、反射神経の衰えも感じております。若さには勝てんなあ、と悲しくなったりもするのですが、しかし、衰えたせいで、自転車の逆走や無灯火がどれだけ危ないのかということを実感するようにもなったし、体や心の声が聞こえるようにもなったから、若い頃にはなかった感覚が芽生えたのだと思えば衰えも悪いばかりではないという気がします。

ものは考えよう、ということで、「ら抜き」にしても頑なに日本語の乱れやと言う人がいるいっぽうで、変わっていくものやと言う人もいます。別にどっちがどうとかは別に無いんですけど、自分の持っている知識こそが正しく、それ以外は間違いであるっていう姿勢はどうなんかしらと思うわけです。そういう人たちに対する違和感を作品に昇華させている人たちのことが好きなんだなー。

#令和3年10月3日  #コラム #エッセイ #日記
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