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演説的短編小説『反情けは人のためならず精神』

 情けは人のためならずってやつ、ああいうの、ことわざっていうか慣用句なんか故事成語なんか美辞麗句なんかストライクなんかボールなんかわからんのやけど、ストライクかボールかっていうところでいうと「情けをかけるんはその人のためにならない」っていう意味はボールで「人に情けをかけることによって回り回ってその徳のある行為は自分に返ってくるもんやで」っていうのがストライクやと昔からよく言われてるんやがオレはあれが昔から気に食わないというかなんというか、なんでかといえば、だって情けってやつは自分に返ってくるとかそういう下心無しでかけてやるのが正しい姿のはずやのに「情けは人のためならず」とか言ってしまったらどれだけ無私無欲の精神で情けをかけてもかけた相手は「ああ、この人、本心からあたしのことをかわいそうと思って優しくしてくれてるんやなしに所詮はこの優しさが自分に返ってくると思って優しくしてくれてるだけやんね」とか思われてしまうわけやから、どうせそうやって勘繰られるくらいならほんまに下心を抱きながら優しくしてやろかいと開き直ったところ結局そのあからさまな下心によって優しさを拒否されてしまうなんていうことが起こらないとも限らない故、あんなクソみたいな「情けは人のためならず」なんていう言い回しは消えてなくなればいいと思っているし、もし消えないのなら「情けをかけるのはその人のためにならない」っていう誤用とされとる意味を活かしてくれんかなー、とかふわっと考えてみるんやけど、オレが思うに今の世の中、「情けは人のためならず」とかいう下心丸出しのカッコ悪い発想よりも、この際、オレたちは開き直りまくって彼も彼女もおまえもこいつもあいつもみんな、やりたいように好き放題に生きていたら結果として他人の役に立ってました、てへぺろっていうくらいに逆のベクトルに振り切ってしまうほうが実は世の中過ごしやすいんじゃないのか、っていうか、それが実現できる世の中こそがオレたちの過ごしやすい社会なんじゃないかっていうことを思うにつけて、やはりオレたちはまず何より、「情けは人のためならず」というような発想がダサいのだということを全国的に周知させていかねばならんのではないかと考えておる次第であり、つきましては、頭の柔軟な若い衆には、このオレの主張を世に広め、学びを忘れたおっさんどものコンクリ頭を粉々に砕いてほしいと願います。

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