エッセイ『涌井醸造のビールやコーヒーが味わえます』
涌井醸造のビールやコーヒーが味わえます。という文章があるとします。涌井醸造というのは架空の醸造所です。実在する醸造所の名前にしてもよかったんですが、なんか問題になるとイヤなので念のためにやめておきました。そんな影響力は私の文章には残念ながら無いのですがそういうことを気にすることによって少しでも大物ぶりたいという浅薄な思考の末路だと思ってください。ああ、こうやって本題に入るまでの前振りが長いおっさんのことが本当に嫌いなのに自分が同じことをしていることに泣けてくる。嫌い嫌いと思いながら結局、男はみんなああいう「自分は特別だ」と思い込む平凡なおっさんになっていってしまうのです。ここまで書いてようやくああいうおっさんにならないための覚悟が醸成されるのだ。
さて。
涌井醸造のビールやコーヒーが味わえます。という文章なんですが、この書き方だと涌井醸造ではコーヒーも製造しているかのように思えますよね。特に私なんかは醸造所というところが何を製造しているのか、いまいちよくわかっていないので、なんとなくお酒を作っていることは想像できますが、そういえば醤油なんかも醸造するって言う気がするし、それならひょっとするとコーヒーも作っているのかもしれないな、と考えるのは自然な発想ではないかと思うんです。
この文章と似たような文章を私は実際に最近読んだことがあり、その文章は「実在する醸造所」が製造しているビールのほか、どこで製造しているかわからないコーヒーを味わえるという意味でした。とあるイベントの休憩スペースのようなところで、京都の有名な醸造所のビールが飲めるというのが押しポイントで、お酒が飲めない方のためにコーヒーも販売されますよ、というニュアンスです。それが「涌井醸造のビールやコーヒーが味わえます」という書き方になると、ビールもコーヒーもどちらも涌井醸造で作られているのかと思ってしまう。ここに日本語の持つ曖昧さがあり、こういう勘違いが生まれるかもしれないのであれば、それを回避すべく、書き方を考える必要があります。
一つ簡単な回避の仕方があり、先にコーヒーのことを紹介してしまえば私がしたような誤解は防げます。「コーヒーや涌井醸造のビールが味わえず」とすれば、コーヒーが涌井醸造のものではないことは明らかです。しかし、これだとコーヒーがメインのようになってしまいます。メインはあくまで涌井醸造のビールであり、コーヒーなんぞはこのイベントにおいては、どこのコーヒーかを明言しなくてよいほどのモブキャラなわけです。勘違いは回避できてもコーヒーを先にすることで、今度はコーヒーメインであるかのような勘違いが生じてしまうので、これも避けねばなりません。
それならコーヒーもどこのコーヒーかを明らかにすればいいようなものなんですが、今回はあくまで涌井醸造のビールを押したいのであるから、どこのコーヒーか、というのは余計な情報になってしまいます。要らない情報は入れずにシンプルに伝えたいのです。そうなると、結局「涌井醸造のビールやコーヒーが味わえる」となってしまう。しかしどうにも私としてはこれが気持ち悪い。
これがラジオ用の原稿ですと、このイベントを担当しておられる方に相談することになるのですが、だいたいは「ごちゃごちゃ言わずにこっちの用意した原稿を読ませといたらええねん、だいたいおまえが知識不足で勘違いするだけで涌井醸造ていうたらビールに決まっとるやろコーヒーなんか作らへんはアホか」で終わってしまうのでした。結果、そのまま紹介することになるんですが、それはそれとして、自分のなかでは答えを見つけて納得しておきたい。ということでああでもないこうでもないと考えながら最適解が見つけられないまま、なんとしたことか、ともやもやしているうち、とりあえず、このもやもやした気持ちを文章にしてやればいいではないか、ということで出来上がったのがこの文章です。お読みいただき、ありがとうございます。
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