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「群盲象を評す」に対する私の見解

こんにちは。理学療法士のこうやうです。

今回は

群盲象を評す

について書いていきたいと思います。

勉強会にいくと

たまに出てくる風刺なのですが

人が象のそれぞれの部分を触り

特徴を言っていくのですが

意見が全く一致しないため混乱する

というものです。

シンプルにいうと

全体像を見ろ

っていう話だと思います。

この風刺に対して

私なりの考えも私なりに書かせていただきすので

よろしくお願いいたします。

それでは始めます。



まず理解しなければいけないのは

みんな間違っているわけではないと言うことです。

どれだけ狭い価値観でも

特徴というのを捉えているわけなので  

一つの正解なわけです。



ここで私の疑問なのですが

果たして  

人間の力で全体を見ることはできるのでしょうか。

この狭い価値観というのは

まさに学問のことだと思うのです。

例えば解剖学、生理学、運動学、発達学

などこの世には人体を理解するための

素晴らしい学問がたくさんあります。

ただこの学問が生まれた理由の一つに

よりシンプルに理解するため

というのがあると思うのです。

過去にも触れていますが

人間はシンプルに理解するのが非常に得意なので

複雑なものを分けて考えて

理解しようとした結果、今の科学が成り立っています。

この「学問」というのは

人間の限界を表している

と私は思います。

言い換えると

人間は群盲の域を超えることはない

ということです。


昨今よく言われるのは

部分の総和が全体ではない

全体は部分の総和に勝る

これが最近の人体の考え方です。

仮にこれがその通りだとすると

学問(部分)の一つ一つを幅広く学んだところで

人体(全体)の理解にはつながらないのではないでしょうか。

極端にいうと

人間如きに全体を見ることはできない

のではないでしょうか?



ただこう書いておきながら

このような考えはあまり好きではありません。

なぜかというと

群盲(学問)は結果を出しているからです。

臨床で生かされる学問はなおさらで

結果を出しているという事実は

治療においてかなり重要なことです。

この「群盲象を評す」から学んだ教訓は

全体を見なければいけない

というよりかは

極端なことを言う人も案外正解があるかも

ということです。

例に出すと

ビュテイコ呼吸法で有名な

ビュテイコ医師は

「全ての不調は呼吸過多からきている」

という極論を述べています。

人から聞いた話なので

あくまで参考程度と思っていただければと思いますが

ただ呼吸へのアプローチを実践している方であれば

わかりますが

呼吸量過多の及ぼす影響が強いのは事実です。

このように

極論で捉えるのはよくないものの

そこに何かしらのヒントが隠されているのは

事実だと思います。

それも金儲けではなく

臨床にひたすら向き合っている人であれば

なおさらです。

ですから

「胡散臭い」とか「理論がめちゃくちゃ」

という理由だけで煙たがらず  

一度その知識を受け入れて

吟味するのも重要なんじゃないかと思います。



まとめ

・全体は人間の能力で見えない可能性がある
・臨床家が出した極論にはヒントがある
・どれだけめちゃくちゃなことを言ってても一度それを受け入れる姿勢が重要なのでは


本日はこれで以上です。

ここまで読んで頂きありがとうございます。


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