第2部 アメリカ編 [10] California Zephyr号の旅
10-1 Amtrak の鉄道旅
流雲は、朝靄に煙る街を「Amtrak Ferry Building Station」に向かっている。日本出発時にアメリカ旅のハイライトに鉄道旅を計画していた。チケットを日本の旅行会社で購入し、「California Zephyr」の鉄道旅を楽しみにしていた。その際にサンフランシスコ市内「Amtrak Ferry Building Station」から乗車指示があった。ところが、辿り着いた所はバス発着所だった。
情報の行き違いに戸惑ったが、理解した所、ここからバスに乗り、対岸のオークランド駅で列車に乗り換えるスケジュールだった。どうやら、日本の旅行会社は正確な情報を掴んでいなかったらしい。
バスは定刻の10時に出発し、街中を抜けて北上し海岸線に向かって走る。快晴の青空の正面に灰色の鉄橋が迫ってきた。巨大な鉄骨建造物は天を衝くようにそそり立っている。
「San Francisco–Oakland Bay Bridge」の上にいる。海は蒼く輝き、遥か彼方の水平線まで見渡せる。眼下に、サンフランシスコ湾越しに街並みが見える。ベイブリッジの上からの眺望は素晴らしかった。ベイブリッジを渡り、対岸の街オークランドに向かう。
ベイブリッジは、ゴールデンゲート・ブリッジと並ぶサンフランシスコ市のシンボル。全長7キロの鉄道と道路の二層の世界一長い吊り橋は1936年に建造され、1958年に鉄道が廃止され自動車専用橋となった。
バスは、約30分程走り鉄道駅の「16th Street Station」に到着した。歴史を感じさせる趣きのある駅舎が、出迎えてくれた。
3階建ての駅舎は大きなアーチ窓とライムストーンの壁材が特徴的な美しい建物。中央のアーチ窓の下を潜り、駅舎に足を踏み入れる。
ロビー内には、駅舎の歴史を伝える「歴史パネル」が展示されていた。「16番街駅舎は、かつてサンフランシスコ市内にあった鉄道駅をオークランド市に移転したものです。1912年に建築家 Jarvis Hunt によってデザインされたこのボザール様式の駅舎は、Southern Pacific 鉄道のオークランド中央駅として機能しました。また、1958年までは、サンフランシスコ行きのフェリー駅としても活用されていました」と記されていた。
メインホールの大きな吹き抜け空間には、アーチ型の天井があり、中心に馬蹄形の大きな木製カウンターがあった。切符売り場らしく乗客が並んでいる。流雲も列に並んだ。
待合室の壁には、鉄道の歴史を物語る壁画が描かれ、石造りの彫刻やローマ風アルコーヴがあり、その重厚な美術館のような雰囲気がただよっっていたが、ガランとしていた。ミッドセンチュリーの木製ベンチが置かれているだけだった。
小さな 売店には、絵葉書などサンフランシスコの土産物と一緒にサンドウィッチが売られていた。流雲はサンドイッチとミルクを購入し、アムトラックに乗り込むためにプラットフォームに向かう。
駅舎裏の扉を抜けて屋外に出た。プラットフォームはなく、屋根は架かっていたがホームの段差は無く、眼の前に直接レールが敷かれていた。レールの向こうに工場の煙突が立っていた。
「オリエント急行」の情緒あるプラットフォームを思い描いていたのだが、殺風景なプラットフォームは、情緒のかけらもなかった。
壁際の木製ベンチに腰掛けていると、出発のアナウンスが流れ、列車が侵入してきた。「California Zephyr 号」は、威圧を感じさせる大きさで迫ってきた。ステンレスのボディに赤と白と青のストライプが走る銀色の車体は、精悍さを感じさせる。デカく武骨だが、アメリカらしいデザインの列車だ。
ジリジリと大きなベルが鳴る。発車時刻を知らせるベルのようだ。列車の乗車口に、乗車用ステップが置かれ、濃紺の制服を着たコンダクターがステップの脇に立っている。
コンダクターにチケットを手渡すと、ポンチで穴を開け列車に乗り込むように促された。
(これが乗車手続きなのか、映画館に入る気軽さだなぁ)
流雲は車両の真ん中辺りに座席を確保する。全席自由席のアムトラックは空いていた。車内には、10人程の乗客しか見当たらない。新幹線のグリーン車より広く、ひと列4人掛けの座り心地の良い座席。2人掛けの座席をひとり占めする。流雲が座席に腰を落ち着けても、列車は中々出発しない。
午後12時半に「16番街駅」を出発する。予定より、30分遅れの出発だ。
(出発のアナウンスがあったのか?何も無かったような気がするが……。さぁ、デンヴァ―まで一泊二日のゼファー号との旅の始まりだ)
座席ポケットのパンフレットに「Zephyrus は西風の神」と書かれていた。
思ったより乗り心地は良く。走行中、細かい揺れと振動が続く。時々、ガタンゴトンとポイント通過時の音が聞こえるだけで、列車の横揺れが気持ちよく感じられる。
ゼファー号は、I-80の高速道路と並走して街中を走る。並木トンネルの中を地べたを這うように樹木の下を走る。車窓に並走する高速道路や民家の景色が流れるように飛んで行く。
「16番街駅」を出発し15分程走ると最初の駅「Richmond Station」に到着する。ゼファー号の横にモダンな電車が停車した。車体に「BART」とある。これが、サンフランシスコベイ・エリアを走る近郊電車なのだろう。左手の車窓にサンフランシスコ湾を望む美しい海岸線が現れる。陽光に照らされた海面が、キラキラと輝いてる。
景観を楽しむためにラウンジカーに移動する。食堂車の隣に2階建てラウンジカーの1階のカフェには、サンドウイッチや飲み物が販売されていた。
開放的な展望ラウンジカーは、景色が楽しめるように、座席は窓側に並べられていた。大きな展望窓は、腰の高さから天井まである。明るく開放感溢れるグリーンハウスのような車両だ。眺めの良いラウンジカーは人気があり、空席は少なく、既に座席の80%が埋まっていた。(そうか。座席が空いていてたのは、乗客はここに移動していたのか)
「Attention, passengers. We would like to inform you of the schedule for our upcoming service. We will cross the Carquinez Strait in the San Francisco Bay via a steel bridge. Our next stop is Sacramento Valley Station, and the scheduled arrival time is 2:30.」
...... カークィネス海峡の鉄橋を渡るのかとボンヤリと聞いていたら、鋼鉄トラスの塊が車窓を横切り、鉄橋越しに壮大な景色に流雲は驚かされた。左手に太平洋の外海が広がり、右手奥にサンフランシスコ湾の工場や停泊する船が見える。(凄い高さだなぁ)
サクラメント・バレー駅に2時半着予定か……。鉄橋を超えると新緑に覆われた小山が見える。新緑の濃い森林地帯と青いサンフランシスコの海の景観が美しい。ゼファー号は平原を走る。車窓に日本のような稲穂が、風に揺れる田んぼの風景が広がっている。(そうか。ここがカリフォルニア米の産地なのか。それにしても、途轍もない広さだな)
鉄路は、平原を走り、高架になり、鉄橋になり、サクラメント川を渡り、午後2時30分にゼファー号は「Sacramento Valley Station」に到着した。
駅に到着すると車内アナウンスが......「Attention, passengers, the train will stop at the Sacramento Valley station for 20 minutes. When you get off to visit the station, please do not forget to take your ticket stub!..... 20分ほど停車します。駅舎の見学に下車するときは、チケットを忘れずに降りてください」
流雲は鉄道旅に、景色だけでなく、駅舎建築にも興味を抱いている。旅立つ時に、遠藤先生から贈られた言葉「カメラだけでなく、建築やあらゆるモノへの興味を失うな」が、心に刻まれていた。流雲は、駅舎建築はその土地の文化や街を象徴する顔となる建築だと感じている。
サクラメント・バレー駅は列車の発着が多いのか、駅は活気にあふれていた。広大な構内の敷地には、幾本ものレールが敷き詰められていた。
重厚な木製ドアを押して 駅舎内に入る。大きなロビー空間はドーム天井になっており、相当な高さがある。くすんだ緑青色の天井からアールデコのフロスト・シャンデリアが4本吊り下げられ、天井近くに大きな壁画が描かれていた。(大陸横断鉄道の起工式の風景が描かれているようだが......)
アーチトップの琥珀色のガラス窓が、東西の壁面に等間隔に6セット向かう合うように並んでいた。ロビー待合室には教会にあるような素朴な木製ベンチが置かれ、アールデコのウォールライトが、ぼんやりと灯っている。ひび割れた窓ガラスが物悲しく、時代の経過を物語っていた。
壁面に「Memorial Plaque」が飾られていた。記念銘板に、「駅舎は、サンフランシスコの建築家 Bliss and Faville が Southern Pacific 鉄道のために設計し1925年に完成した」と、記されてあった。
大きなドアを抜けて、駅前広場に出る。1925年開業当時の「Southern Pacific Lines」の彫刻文字が壁面に刻まれている。駅舎の正面姿は、総レンガ造りのクラシックな落ち着いた威厳を感じさせる立ち姿を見せていた。時代を感じさせる駅舎の雰囲気に触れた時、流雲は子供の頃に見た上野駅を思い出した。これほど洗練されたデザインではないが、総レンガの駅舎が醸し出す空気感が、良く似ていると感じた。
2時間程、単調な風景が続く山間部を走る。車窓に延々と続く長蛇の貨物列車が走る。山間部の曲がりくねった鉄路を貨物列車が何百両もの車両を引っ張りながら峠を走る。峠の曲路を走る貨物列車の壮観な眺めを飽きずに眺めていた。
列車の揺れに誘われ、いつしか眠りに就いてしまった。気づいた時、車窓に、スキー場のリフトの鉄塔が生い茂る樹木越しに見え隠れしていた。車窓左手、山峡の間に紺碧の水を湛える湖が見える。ドナー湖らしい......。標高が高く空気が澄んでいるから、湖水の色も碧く鮮やかなのだろう。と、寝込んでしまった。列車の揺れに、眠りから覚めると、列車がゆっくりと停車した。
緑が鮮やかな山林をバックにした木造の小さな駅「Truckee Station」に到着した。日本の田舎町にある素朴な駅だ。車内アナウンスがあり、何故かこの駅に30分も停車する。
(予定より1時間半遅れの到着だが、遅れを取り戻す予定はないようだ)
乗客達は町の散策に下車して行く。流雲もカメラを担いで下車する。背後の山々を借景に素朴な木造駅舎の構図を決める。緑の樹々を絡めながら、数カット撮影する。
トラッキー駅前通りが、歴史景観地区に指定されている。西部劇の面影を残す、木造の屋根付きのボード・ウォークが数ブロック続いている。車道との間に、大きなビヤ樽が並べられ、花が植えられている。昔の面影を残す、木造の銀行やドラッグストアなどが建ち並んでいる。トラッキーの町は小さく、10分も歩くと土手にぶつかった。
土手脇に清流が流れている。「Truckee River」のサインがあり、ニジマスやブラウントラウト、スティールヘッドが釣れるらしい。数人、川の中にフライフィッシングしている釣り人がいる。川沿いは冷んやりとした清涼感のある風が吹き抜けている。新緑と清流のきらめきのコントラストが美しかった。清流がキラキラと乱反射する水中に魚影が見える。腹の辺りに紅いストライプ模様があるニジマスが、水中に綺麗な花を咲かせている。水面に映る煌めくニジマスの群遊する姿を数十ショット、撮り終える。
駅に戻って来た。駅横に小さな鉄道博物館がある。観覧無料のサインがある。館内に入る。1800年代の鉄橋開拓時代の興味深い鉄道写真が展示されていた。(俺は写真に興味があるから面白かったけど、普通の人には退屈な博物館だろうな)
午後6時20分トラッキー駅を出発すると、直ぐにドナー峠を超えた。標高が下がるにつれて、タホ国立公園の森が遠ざかる。人家が点在する集落が現れ、徐々に緑樹の景観が、荒涼とした砂漠風景に変って行く。
ゼファー号は、ネバダ州の州境を超えた。時間帯はマウンテン・タイムに切り替わった。荒野の景色の前方に、煌々と光り輝く、街の灯りが見えてきた。午後7時20分。「Reno Station」に到着した。ネバダ州カジノの街リノ、車窓に、煌々と色とりどりのネオンが輝いていた。
陽が暮れると単調な殺風景な風景が暗闇に沈んでていった。
流雲は、「オリエンタル・エクスプレス」の優雅な食事風景に憧れがあり、ダイニング・カーの食事を愉しみにしていた。車内を歩くのは少々難しく、バランスを取りながら、ゆっくりとダイニング・カーに向かった。しかし、ダイニング・カーは、4人掛けの味も素っ気もないテーブルが2列に配置されているだけだった。
テーブルには、テーブル・ウェアが綺麗にセットされている。フォーマルに正装したウェイターに案内されると、「Would you like to have a drink? Champagne or Mimosa? This is a welcome drink from the Amtrak family....... シャンペーンかミモサのお飲み物は如何ですか。これはウエルカム・ドリンクです.....」
「Thank you. What is the Mimosa?」
「Mimosa is Champagne à l'orange, a Champagne cocktail mixed with orange juice.」
「 OK...May I have a glass of Mimosa?
Is there a welcome drink service at any time? It's like an airplane in first class......ファースト・クラスに乗った気分だ」
「No, No, we have a special travel promotion for this month which is part of the Amtrak anniversary promotion......今月はアムトラック開通記念日.... 」
「Oh, then I'm lucky.」
メニューを眺めていると.....、「Sir, Excuse me, please share the table with this gentleman?....... 相席をお願いできますでしょうか?」と、ウエイターが声を掛けてきた。
60歳位の髭の似合う穏やかな表情の紳士が、案内されてきた。
「Hi, How are you? I'm John, I will be traveling to Chicago......ジョンさんか、シカゴまで行くのか.....Nice to meet you!」
「Hello, My name is Harumo. I came from Japan and will be traveling to Denver. Nice to meet you.」
「Excuse me, could you please tell me one more time, your name?」
「 I am Harumo, H・A・R・U・M・O. Did you get one? My name has the meaning which is drifting Clouds,..... 流れる雲の意味......a way of life is to live with a natural drifting like clouds..... 祖父が名付け親で、雲が流れるように自然に身を任せる生き方......That is what my grandfather taught me.」
(流雲の名前は発音しにくいのだろう。流れる雲の説明はこれでよいのだろうか?)
「Oh, your name is significant......とても深い意味が...... Is it a common name in Japan?」
「No, It's a very uncommon name in Japan, too!」
「Cheers! Make your journey a memorable and wonderful one!......君の旅が有意義で素晴らしいものに......」
「Thank you very much. cheers! Make your trip a wonderful trip, too !」
ジョンさんにステーキ・デイナーを勧めれた。グリルで調理するリブアイ・ステーキを注文したが、料理は中々でてこなかった。ジョンさんに、ワインをご馳走になりながら慣れない会話を30分近く続ける。暫くして、食事が運ばれてきた。リブアイ・ステーキは驚くほど厚く、美味しく焼けていた。食堂車の中でワインをご馳走になりながら、ナイフフォークで食事する優雅なディナーは、鉄道旅を思い出深いものにしてくれた。
夕食後、ジョンさんと別れの挨拶を交わし座席に戻る。車窓に吸い込まれそうな暗い闇が広がっている。ネバダ州の荒野を走っている。暗闇に耳を澄ませても、風を切る音さえも響かぬ静寂な闇に包まれている。座席のリクライニングを倒し、座席を占領しゆったりと横になると、コンダクターが毛布と枕を手渡してくれた。夜10時に、車内灯が消され読書灯に切り替わる。ガタンゴトンと列車の振動に揺られながら、黄色い低木が車窓を流れる荒野を飽きずに眺めていた。茶褐色に変化するの荒野の景色に見とれ.......寝付いていた。
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