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【連作短編】泣く男 吉川3

映画のエンドロールを見ながら、俺は大きく息を吐いた。
手元にあるフェイスタオルで顔を拭う。タオルは大分湿っていて、顔も吐き出す息も熱かった。

隣に目をやると、まだ画面に視線がくぎ付けになっている彼女の姿があった。自分以上に涙を流しているのに、その涙を拭おうともせず、動きを止めている。
エンドロールが終わると同時に、深々と息を吐いて、隣にいる自分に今気づいたとばかりに視線を向けた。

「どうでしたか?」
「こんなに泣くとは思ってなかった。」
俺の言葉を聞いて、彼女はどうだと言わんばかりに胸を張る。
「ですよね。私の一押しですから。」
「・・まさかハンカチで足りないとは思わなかった。」
「私、最初からタオル持って来てくださいと言いましたよね?」
彼女は、持っていたタオルで顔を押さえながら、反論する。

仕事のサポートに入っている彼女、西田から、休みの日は泣ける映画を見て、ストレス解消していると聞いて、俺はその映画が見たくなった。
最初、その映画を借りて見ようと思ったが、結局自宅にプレイヤーがないことに気づき、申し出に甘えて、彼女の自宅で映画鑑賞することになった。
普段、休みの日も家で仕事をしているような自分だが、何とか休みを作り、日程を調整した。

その際に、彼女からは、涙をふくためのタオルを持参するよう言われていたが、そんなに泣くことはないだろうと、高をくくっていた。
だが、代わりのように持ってきたハンカチは、早々に意味をなさなくなり、彼女からタオルを借りる羽目におちいった。彼女はこうなることを想定していたかのように、俺にタオルを手渡してくれた。そして、今そのタオルは俺の手の中で大分湿った状態となっている。洗濯して返すべきか。

「他の映画も見ますか?」
「・・いや、疲れた。」
「泣き疲れですね。よろしければ、横になってください。」
彼女はそう言って、部屋の隅に設置されているベッドの上を手で叩いた。
「それはさすがに。」
「泣くのにも力を使うんですよ。それに、吉川さん。普段もあまり寝られてないのではないですか?まだ、時間も早いですし、少しくらい休んでも大丈夫です。」

西田は、普段より親しげな様子で、そう言った。ここが彼女の自宅だから気を抜いているのか、休みだからなのか。
正直なところ、眠ってしまいたいほどに、体もだるいし、頭の動きも鈍い。頭の中をいろいろな思いが駆け巡る。
彼女はそんな俺の様子を見て、フフッと笑った。そして、ベッドの上にあったものを脇に押しのけ始めた。その様子を見ているうちに、俺の意識は途切れた。

自分は、忙しい時も、辛い時も、笑ってしまう。笑うことで、自分の心を保たせてきた。もう、辛い時にどうすればいいのか、自分自身分からなくなっていた。ただ、以前の彼女、千沙ちさと別れた時に、このままではいけない。と思った。

自分は千沙といる時は本当に楽しくて笑っていたのに、そのことを千沙本人に言っても信じてもらえなかった。それどころか一緒にいるのが辛いから、無理に笑っていると思わせてしまった。どれだけ言葉を重ねても、俺の笑顔がそれを裏切る。そう、千沙に思わせてしまったのは俺だった。

そんな折に、俺の仕事のサポートに入ったのが、同僚の西田だ。西田と夕飯を一緒にした時に、彼女は「辛い時は、泣ける映画を見て心を軽くする」と話した。辛い時にどうすればいいか分からなくなっていた自分は、その言葉に飛びついた。そして、今日映画を見て、俺は涙を流し、泣き疲れて寝るといった状況に至った。

そうか、辛い時は、泣けばよかったのか。

改めて俺はそれに気づいた。でも、気づくのが遅かったのかもしれない。
好きだった千沙はもう側にはいないのだから。

目を覚ますと、鼻先をカレーの匂いがかすめた。どうやら、俺はベッドに横になる前に眠ってしまったらしい。床の上に横になっていた。体の上には薄手の掛け布団が掛けられている。思ったよりも眠り込んでしまったのかもしれない。窓からはオレンジ色の光が差し込んでいる。

身体を起こすと、別の映画を見ていた彼女が、こちらに顔を向けた。
「すみません。ベッドに体を上げることができなくて。体痛くなかったですか?」
「大丈夫だけど。もっと早く起こしてくれてよかったのに。」
そう彼女に告げると、彼女は俺の顔を見て、恥ずかしそうに目を伏せた。
「あまりにも気持ちよさそうに寝ていらっしゃったので、起こすのが躊躇ためらわれまして。」
すみません。と小声で言われ、俺は自分の口に手を当てて、目を逸らせた。

他人の家に来て、まさか爆睡するは思わなかった。自分の家でもこのところは嫌な夢ばかり見てろくに眠れていなかったのに。
そういえば、体のだるさも、頭にかかっていたもやもスッキリと消えている。

「あ、お腹空いていませんか?カレー作ったので、食べていってください。」
「カレー?」
だから、カレーの匂いがするのか。その匂いに体が反応し、お腹が自分に分かるほどに鳴った。
「一人暮らしだと、カレーって食べきれなくて、あまり作れないじゃないですか?」
「・・そうかもね。」

そう答えつつも、自分は家ではほとんど自炊をしていない。普段はコンビニ弁当ばかりだ。
「今日は、吉川さんがいるから、久しぶりにカレーにしようと思って。まさか、カレー食べられないとかないですよね?」
「好きだけど。」
「よかった。じゃあ、食べましょう。」
彼女がてきぱきと食事の準備をしていくのを、呆然ぼうぜんと眺めることしかできない。ちゃんと作った食事を取るのも久しぶりだ。と思った。

「そういえば、もう少しで資料作成作業終わりますよね?」
「今月末には終わると思う。」
カレーを食べ終わって、2人で珈琲を飲みながら、今行っている仕事の話になる。
「そしたら、サポートも終わりですね。」
「そうだね。」
彼女がどことなく残念そうに見えるのは、自分の目が曇っているからかもしれない。

「でも、私がサポート外れたら、また吉川さんが忙しくなるのでは?」
「それはない。」
俺の言葉に、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「今回の資料作成。ここ最近の分はないって気づいてた?」
「・・確かに。」

彼女がサポートしてくれた資料作成作業は、ある特定の業務に対し、複数の資料からデータを取り出し、EXCEL等の資料にまとめていくというものだった。作業自体は単純なのだが、そのために必要な資料が手元にないことがある。その場合は、会社の資料室や他部署に確認しなくてはならなかった。

「普段各社員が仕事するのに合わせて、定期的に行っていれば、今回みたいにまとめて作業する必要もないし、より短時間で作業を終わらせられるんだ。だから、ここ最近は各部署で担当分は合わせて行ってもらうようにして、そのための資料とかシステムとかは既に提供してある。」
「・・ということは、今回の資料作成が終わったら、もう今後はしなくていいということですね。ちょっと安心しました。」

「それに、俺は資料作成が終わったら、会社を辞めるから。」
「え・・?」
俺は珈琲を一口味わってから、言葉を続けた。
「俺が担当している仕事は、それぞれ作業内容見直したり、無駄だと思われるところを省いたりしたら、人一人を当てるほどの仕事じゃなくなるんだよ。ここ最近は、そうやって仕事を効率化する手順とかシステムの整備をしていたの。会社を辞める話は、時期も含めて、既に上司にもしてあったんだけど、その前に、なぜか君の部署の仕事を貰ってきちゃったんだよね。」

彼女に視線をやったが、特に口を挟んでくる様子もなさそうなので、俺は話を続けた。
「さすがに、このままだと辞められない。話が違うと言ったら、サポートをつけてもらうから、それで何とかしてと返されて、サポートに来てくれたのが、西田さんだった。おかげで助かったよ。予定通り今月中には終わりそうで。」
「・・もう次は決まってるんですか?」

「決まってる。仕事内容はそれほど変わらないけど、今よりも給与はいいし、今度は管理職で入るから、俺一人で仕事を担うわけでもない。今よりは楽になる。」
「そしたら、笑わなくてもよくなりますね?」
彼女がぽつりと呟いた言葉に、俺は思わず顔を上げた。
「西田さん。」
彼女は声を上げずに、静かに涙を流していた。

「何で、泣くの?」
「私、吉川さんのこと、仕事場で見かける度に思ってたんです。いつも微笑んでるけど、何で笑っていられるんだろうなって。」
「・・・。」
「吉川さんの笑みを見ると、心がぞわぞわするんです。落ち着かなくなるんです。」
「西田さん。」

彼女の涙を拭いてあげたいけど、自分のハンカチは涙で濡れたままだし、少しは乾いているだろうか?ボケットに手を入れて確認してみたが、湿った感触が指先に触れるだけだった。貸してもらったタオルも、彼女が持っていったのか手元にもうない。

「吉川さん。笑いたくて笑っているわけではないと思ってました。でも、会社が変わったら、もうそんなことしなくて済みますよね?仕事も今より楽になるなら、ちゃんと休みを取れますよね?もう・・私が心配しなくても大丈夫なんですよね?」
彼女の涙は止まらなくなっていた。先ほど映画を見た後のようにボロボロとこぼれている。

「西田さん。もう泣かないで。」
目の前で彼女に泣かれるのはとても辛い。
「私は吉川さんと別れるのが辛い。だから、泣きます。」
「!」
これ以上、泣いている彼女を見たくなくて、俺は彼女の頭を自分の胸に抱え込んだ。自分の胸の中で彼女が泣く。

辛い時には、泣けばいいんだ。

俺は彼女を抱きしめながら、涙を流していた。

すみません。投稿が遅くなってしまいました。
以前に書いた「笑う男」「泣く女」の続きとなるお話ですが、この短編だけでも楽しめるように書いたつもりです。また、本編の続きとして「笑う女」を書きましたので、興味を持たれた方は合わせてお読みください。

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本編の続きとして書いた短編「笑う女」は、以下よりご覧ください。

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