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【短編小説】私のことは忘れてください。

私のことは忘れてください。

私は不本意ながら、そう伝えた。本当に本意ではない。
出会った私たちは、お互いのことを思うあまり、ことごとくすれ違った。相手の力や救いになりたい。でも、そのための時間も手立ても足りなかった。相手の迷惑にはなりたくない。だって、大切な人だから。

相手がその言葉を素直に受けて、私の事を忘れてくれるかは分からない。でも、私は忘れることができないだろう。きっと、永遠に。

「これでよかったんだよね?」

空中に向かって、そうつぶやいても、肯定も否定も返ってこない。
当たり前だ。私は一人なんだから。


体調を崩してから半年以上が経過した。
その間、日にもよるが、今では午後は起きて活動することができなくなった。常に気持ち悪さがあり、様々な検査をしてみたが、これという原因が分からず、私は毎日を過ごしている。

受けていた仕事は、午前中でしかこなせなくなった。
元々フリーランスでWebデザインの仕事を受け持っていたが、仕事量も半分になってしまった。幸い今までにかなりの貯金をしていて、数年は働かなくても大丈夫な状態ではあった。それでも仕事を続けていたのは、今のように働けなくなる時の為の貯えを得る為、そして、Webデザインの仕事をすることが嫌いではなかったからだ。

受けられる仕事は減ったものの、依頼が来ないことはなかった。ひとえに今までの実績があったから。考えてみると、社会人になってから、仕事しかしてこなかった。彼氏もここ数年できたためしがない。仕事もメールや電話でやり取りが済んでしまうし、顧客と恋愛するわけにもいかないだろう。

家にずっとこもっていると、運動不足になるから、体調が悪くなる前の昼食は、天気がいい日は近くの公園に行って食べることにしていた。公園のベンチで、コンビニで買ったサンドイッチを口にしようとした時、「あのう」と遠慮がちに声がかかる。顔を上げると、制服姿の自分よりは2回りくらい、いかにも社会人成り立てといった女の子が立っていた。

「いつも、ここでランチしてますよね?」
「ええ、貴方は?」

彼女は背後のビルを指さした。公園を見下ろすように立っているそのビルは、強い日差しを窓ガラスが反射して、キラキラと光っている。

「私、あそこで働いてます。木下夢乃ゆめのといいます」
「……初対面なのに、そこまで言っちゃう?」

そう返したら、夢乃は慌てたように手を振った。

「言った方が信用してもらえるかと思って」
「私が悪い人だったら、どうするの?」

そう言いつつも、Tシャツスウェットズボン姿で、のほほんとサンドイッチを食べている中年女が、悪い奴には見えないだろうなと思い、私はクスリと笑う。

「そう、それです!」
「は?」
「笑った方が可愛いです」
「はぁ?」

私は夢乃の顔をまじまじと見つめた。ちゃんとメイクされた可愛らしい顔を夢乃は赤く染める。そういう本人の方が、若くてずっと可愛い。

「本気で言ってる?」
「嘘はついてないです。あの……一緒にランチしてもいいですか?」
「別に構わないけど」
「ありがとうございます!」

そう言って頭を下げると、私の隣に座った夢乃は、手に持ったランチバッグから、小さな、それは小さなタッパーを出し、ふたを開けて食べ出す。

「なんで私に声をかけたの?」
「実は1ヶ月くらい前から、公園の他のところでランチしてたんですけど。何度も見かけたので、声をかけてみたいなぁと思ってたんです」

夢乃は、ちゃんと口の中のものを飲み込んでから、私の質問に答えた。

「よく声かけられたね」
「勇気があるとほめてください」
「勇気があるのは認めるけど」
「本当ですか?ありがとうございます」

夢乃はぴょこぴょこと頭を下げる。先ほどから事あるたびに「ありがとう」と言われている。私は大したことはしてないし、言ってもいない。

「お名前を教えていただけますか?」
「……崎原さきはら聖子せいこ
「聖子さんですね。この近くにお住まいですか?」
「そう、在宅勤務だから」

私の言葉を聞いたら、夢乃は瞳を輝かせた。

「いいですね!憧れます」
「そんなことないよ。いろいろ試して、私は会社勤めは向かないと気づいただけ」
「フリーランスってことですか?すごいなぁ」
「でも、安定はしてないよ。常に不安を感じてる」

私の言葉に、夢乃はよく分からないというように首を傾げた。

「私は新卒であの職場で勤め始めたので、毎日覚えることが多くて大変です」
「受付とか?」
「いえいえ、ただの事務員です。優しく教えてもらってはいますが、内容が細かくて、未だに完全に仕事を任せてもらえてません」
「なんで公園でランチしてるの?」

夢乃は、初めて言葉を詰まらせた。

「……同期とあまり仲が良くなくて」
「やっぱり会社勤めって、それがあるよね。わずらわしい」
「私、要領が悪くて、覚えもよくないから、皆の足を引っ張ってしまって」
「でも、教えられたらメモは取ってるでしょ?あとは、一度ミスしたところはもう間違えないとか」

「それはもちろん」と首を縦に振る夢乃に、「だったら大丈夫よ」と声をかけつつ、私は自分の会社員の時のことを思い出す。

自分も会社勤めをしていなかったわけじゃない。それどころか、仕事の覚えはよく、重宝ちょうほうがられた。おかげで自分のものでない仕事も「できるでしょ」と押し付けられた。上司に言われたら、「できない」とは言えない。言ったら、辞めさせられるに決まっている。そんなことを繰り返していたら、朝起きられなくなった。結局、自己都合による退職を余儀よぎなくされた。

もう、人間関係に悩むのはうんざりだった。だから、Webデザインを学んでフリーランスになったというのに、私はまた体調を崩している。私は一人でも、ストレスを覚えるのか、それはよく分からない。心療内科も受診してみたけど、特にきっかけとなる事象がないと分かったら、取り敢えず安定剤を出されて終わった。一応飲み切ったが、体調には全く変化が見られなかった。

「聖子さん?何かありましたか?」
「ううん、何でもない」
「……また一緒にランチしてくれますか?」
「毎日ここに来ると約束はできないけど、それでもいい?」

夢乃は私の言葉に嬉しそうに頷く。私のようにならないといいんだけど。そう思いながら、私は引き続き弁当を頬張る夢乃を見つめた。


私たちは、それから公園で度々ランチをすることになった。

夢乃は家族で暮らしているが、ほとんど会話はないらしい。休みの日は部屋に引きこもって、読書や動画鑑賞をしているという。友達はおらず、仕事は例のビルに入っている車関係の会社で、事務をしている。お金がたまったら、家を出て一人暮らしをしたいとしきりに話しているが、新卒だからまだ給与も安い。この近くの賃貸物件の家賃は、利便性があり高めだ。家族が保証人になってくれるかも分からないと言う。

とにかく、家でも職場でも、人間関係で悩んでいる。仕事には繁忙期はんぼうきがあり、その時は終電近くまで残業が続くという。1ヶ月くらい公園でのランチに来ないこともあった。まるで昔の自分を見ているようだと思う。自分は自分の力で、その状態から抜け出したが、夢乃は抜け出せるだろうか。手を貸してあげたいが、私は自分の体調が定まらなくて、何か行動に起こすことは躊躇ためらわれる。

夢乃も自分に会う時は、明るくふるまっている。自分のことを何でもないことのように、笑いに変えて話す。自分より2回りも年下なのに、その気の使い方はかなり大人だった。

「聖子さん?何かありましたか?」
「ううん、何でもない」

ランチをしていた時に、またそうやって夢乃に問いかけられた。このところ、ぼうっとすることが増えた。やっぱり何か体に問題があるのだろうか。もう一度、病院で検査を受けたほうがいいのかもしれない。また問題ないという結果しか出ないのかもしれないが、それならそれで、体は大丈夫と安心できる。私は何度人に気遣われて、「大丈夫」だと返さないとならないのだろう。

「今度、病院に行ってこようと思う」
「ぜひ行ってください。このところの聖子さんを見てると、心配です」
「そんなに分かりやすい?」
「はい、結構ぼうっとしてますよね」

そう言って、夢乃は引きつった笑みを浮かべる。私からすると夢乃の方が心配だ。初めて会った時のように、ほがらかな笑みを見せなくなった。もう、それなりの期間付き合っている。彼女が無理して明るくしているのが分かって、痛々しいくらいだ。

「夢乃ちゃんは、頑張ってるよ」
「聖子さん?」
「だから無理して笑わなくてもいいんだよ」
「……」

私にすがって声なく涙を流す夢乃の背中をさすってあげることしか、今の私にはできない。


病院に行き、改めて精密検査を受けた私は、後日検査結果を聞きに行くと、すぐに入院することを勧められた。以前は分からなかった原因も判明した。
以前の検査は何だったのだろう。その時に分かっていたら、すぐに対処していたら、私はこんな思いを抱くことはなかったのに。少なくとも夢乃に会う前に分かってたら良かった。

とても夢乃に検査結果を伝えることはできなかった。でも、さとい彼女は私に会ったら、きっと私の表情から結果を察してしまうだろう。私は、彼女に会うことはできなかった。結局、彼女を助けることもできず、それどころか放り出すことになってしまった。彼女は私に出会う前に戻るだけ。きっと、以前の私のように今の環境から抜け出せるだろう。まだ、若いのだし。

夢乃に会うことができないから、公園にランチに行くことを止めた。元々、運動不足解消のために、外に出るようにしていたのだが、その必要もなくなった。あとは、いつか来るその時を待つだけだ。それは入院したところで変わらない。ただ、その時が来るのが僅かに遅くなるだけだという。私は入院せず、家で過ごすことにした。お金がかかるだけ、バカらしい。

私は、夢乃にSNSで『私のことは忘れてください』と伝えた。彼女には私の住んでいるところを教えていない。実は私も彼女の住所は知らない。このSNSだけが私と彼女を繋ぐもの。そして、公園でのランチの時間が2人が会って話す唯一の時間だった。私がSNSを返さなければ、彼女は私と連絡を取る手段はない。

SNSのトークを消すことはできなかったが、そのトーク自体を確認はしていない。確認したら、私は夢乃に返答したくなってしまうから。『忘れられる訳がない』と通知が鳴り響いても、私はあの時の夢乃と同じように、声なく涙を流し、目を背け続ける。

命がついえる、その時まで。

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