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【短編小説】この世界は病んでいる。

この世界は病んでいる。

ふとした瞬間に頭に浮かぶフレーズ。
だから何?と、自分でも突っ込みたくなるが、何故か思うことをやめられない。

「悩んでいるですか?」

だから、その言葉に対して問いかけられるとは、思ってもみなかった。
声のしたほうに視線を向けると、私と同じスーツ姿の男性が立っていた。そして、私と同じように、彼のスーツも、彼自身に馴染んでいないように見えた。

私は、頭の中に浮かんだフレーズを、そのまま口に出していたらしい。黙って彼の顔を見返した。相手が聞き違えたと思って、立ち去ってくれることを期待したが、彼は確実に私の方を見て、回答を待っている。私が何も言わなかったので、彼は再度私に問いかけた。

「この世界は、悩んでいるですか?」
「違います。病んでいる。です。」

彼は、私の言葉に興味を引かれたらしく、私から一人分スペースを空けたところに、腰をおろした。軽くスマホの画面を見て、バッグから、水筒を取り出し、中身を口にした。
私は、その様子を見ながら、手にした缶コーヒーを一口飲んだ。

「これから説明会とかですか?」
「そうです。あのビルで。貴方もそうなんじゃないですか?」

そう言って、彼は指で少し離れたところにあるビルを指し示した。
同じようなリクルートスーツで、この場所にいるのだから、同じ企業の説明会に参加するのだろうと思ったら、その通りだった。

「早く着いたので、ここで時間潰そうかと思って。」
「私も同じです。」
「で、先ほど言ってたことは、なんですか?あの会社の理念とかだったりしましたか?」

彼は、首を傾げて、腕を組み、考え込むような仕草を見せたので、私は慌てて言った。

「いえ、関係ありません。時々思い出す言葉なんです。」
「何か小説の冒頭とか?」
「多分違うと思います。」
「えっと、この世界は、病んでいる。でしたっけ?」

彼に向かって、私は首を縦に振った。もちろん、肯定の意だ。

「そう。この世界は、病気だという意味です。」
「そうかもしれませんね。だって、生きてる人は皆。病気だと思います。体は健康でも、精神的に健康な人って、あんまりいないし。」
「皆、メンヘラってことですか?」
「メンヘラだと、僕は思いますけど。」

一応メンヘラについて、解説しておくと、精神的に不安定で、自分のことで周りを振り回してしまう様子のことをいう。

「じゃあ、どうしたら、この世界は健康になれますか?」
「無理じゃないかな。まぁ、この世界が病んでようが、病んでなかろうが、どっちでもいいです。」
「そうですか?」

この人は、私が変なことを言っているとは思わないのか、楽しそうに会話を続けている。私もこんなこと話すつもりはなかったのに、あのフレーズを聞きとがめられてから、何となく心の中で思っていたことを、彼に向かって吐き出している。彼が聞き上手なのかもしれない。

「自分が、その中をどう生きていくか、なんで。」
「あー。そうかもしれませんね。」
「でしょう?」
「今やってる就活だって、それを決める手段の一つですし。」
「そうそう。」

そう言う彼の表情を、隣から眺めていると、その視線に気づいたのか、彼はこちらを見て、何か?と言った。

「いえ、貴方はあまりメンヘラっぽくないなと思って。」
「それは、そういう外面を被っているからです。」
「・・皮を被るのって疲れませんか?」
「疲れません。これも自分であることに変わりはないんで。結構、皮、被ってる人多いと思います。就活の時は余計に。」
それに、僕は大変なことを楽しめるたちなんです。と、彼は言葉を続けた。

「そうですか?」
「でも、いいですね。この世界は病んでいる。僕もそう思うようにします。」
「は?」
「病んでいる人間は、この世界が病んでいると思った方が、生きやすいです。」
「そうかもしれませんけど・・。忘れてもらって構いませんよ?」

そう言った私に向かって、彼はまた楽しそうに笑ってみせた。
何だろう。常に笑っているのに、何となく裏に何かを隠していそうに感じるのは。何を。自分で言っていたではないか。今見えているのは、被っている外面だと。
彼はその内側に、何を隠しているのだろう?

「そろそろ、行きましょうか?」
「は、はい。」
彼は、持っていた水筒をバッグの中にしまい、私は飲み切った缶を、自販機横のゴミ箱に捨てた。二人で並んで歩いていると、彼がこちらを見下ろして、口を開いた。

「今日は、この説明会だけですか?」
「そうですけど。」
「説明会の後、反省会しませんか?都合が良ければ。」
「反省会?」
「・・・先ほどの話の続きでもいいです。この外面のおかげで、交友関係は広い方なんですけど、楽しく話ができる人は、結構少ないんです。」

今日初めて会ったのに、よく簡単に人を誘えるなと思ったけど、今までの彼の様子を見ていれば、そうしてもおかしくない雰囲気はあった。しかも、素直に自分の外面が社交的だと認めている。思った以上に、変わった人なのかもしれない。私と同じく。
少しにやけそうになった口元を手で押さえた。私はこの会話を楽しいと思っている。

慌てて表情を繕って、私が彼を見上げると、その視線を彼は凪いだ眼差しで受けとめた。そして、軽く目を見開いた後、ホッとした表情を浮かべた。

「気が向いたら、説明会後に、さっきのところで待ち合わせましょう。」
「もし、行かなかったら?」
「そしたら、縁がなかったと諦めます。」
「分かりました。この病んだ世界で出会った同士ですから、行くようにします。」
「・・・やっぱり、面白い人ですね。声かけてよかったです。」

彼はそう言って、今までで一番嬉しそうな笑顔を見せた。

「世界」という言葉が、私は好きなのかもしれません。この世界がタイトルに入っている短編多数。

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