見出し画像

【短編小説】全ての初めてを君に/有森・古内シリーズその17

「はぁ、今日の分終わり。莉乃りのは?」
「もう少し。先にのんびり過ごしてて。」
疲れたような声で、こちらの様子を問いかけた理仁りひとに、私は顔をあげずに答えた。もう、何度解いたか分からない問題集の、今日やると決めた分を解き直す。
これだけ、解き直すと、いい加減答えを覚えてしまいそうだ。

来月から、私と彼の受験が始まる。それまで、土日のお互い時間が合う時は、一緒に受験勉強をすることにしていた。受ける高校は違うものの、勉強箇所は重なるところが多いし、2人の得意科目が違ったので、教え合うこともできるからだ。

一番の理由は、会う時間を少しだけでも多くする。それだけだったけれど。
まだ、中学を卒業したらどうするのかの答えは出していない。高校に合格するまで、自分たちの未来はまだ決まらない。まずは、受験勉強に力を入れようとなったからだ。そう言い訳をして、私達は全てを先送りにする。確かに受験勉強は大切だけど、本当はそれだけではないことは、私だけでなく彼も分かっている。

テーブルに向かっていた私の背に重みが載った。
理仁が私の背に自分の背をピッタリとつけて床に座り込んでいる。私は掘り炬燵ごたつのように床に空けられたスペースに足を下ろしているが、彼の体勢は足が辛いのではないかと思う。
「何してるの?」
「本、読んでる。」
「辛くない?」
「全然。」

私は彼の声を背後に聞きながら、テーブルの上にあったカップを手に取って、紅茶を口に含んだ。2人で勉強をするのは、お互いの家で交互にすることにした。今日は、彼の自宅だ。

お互いの家族には顔見知りみたいになってしまっていて、しかもちゃんと勉強をしているのは分かっているので、飲み物やおやつを提供してくれる以外は、基本放置してくれている。最初は図書館で勉強しようかと思っていたが、家から遠いこともあって、その移動時間がもったいなくなり、結局この形に落ち着いた。

彼が後ろにいると、勉強に集中したいのに意識がそれるのが気になる。なんだかんだ言って、私は彼との距離が近いのに慣れない。本当はより近づきたいと思っているし、距離が近いのは嬉しいはずなのに、いざ近づかれると、戸惑いが先に立ってしまう。

卒業が近づくにつれ、彼は私との距離を詰めてくるようになった。手を繋いだり、抱きしめてくれるのは嬉しいんだけど、そうされる度に、私の中にはあと何回こんなことができるんだろうという思いが湧いてきてしまう。

今が幸せなのは、近づいてくる別れから目を逸らしているからだ。

「莉乃。」
「なに?」
「また、変なこと考えてるだろ?」
その言葉に振り返ると、理仁が手に持った本から顔をあげて、こちらを見ていた。
「・・そんなことないよ?」
とぼけてみたけれど、彼は私の方を向いて、私の上半身をぎゅっと抱きしめた。

「どうやったら、莉乃の不安は消えるの?」
彼の声が、私の耳元から聞こえてくる。
「・・分かんない。」
理仁は、私のこんなに直ぐ近くにいるのに、そのぬくもりも確かに感じるのに、なぜ私は寂しいと思ってしまうんだろう。こんな気持ちになるなら、私は理仁と付き合わない方が良かったのではないかとすら思ってしまう。

でも、それを口にしたら、今までの2人の関係を否定することになってしまう。それに心の奥ではそんなことないという自分もいるし、きっと受験前だから心が不安定になっているだけだとも思う。
「キスの先に進めばいいのかな?」
彼の言葉に息を呑むと、彼は私の肩から顔を上げ、私と視線を合わせる。でもしばらくすると、その真面目な表情を崩した。

「本気にした?」
「驚かせないで。」
「本当は、莉乃の不安が消えるなら、何でもしたいんだけど。さすがに早すぎるし、何していいか僕もよく分かんないし。」
彼の言葉に心の中で胸を撫で下ろす。その時、目の前で彼が何かを思いついたような顔をする。私は少し唇の端を引きつらせた。
「じゃあ、もう一つ約束をしよう。」
「約束?」

「付き合い始めた頃、たくさんの初めての事をしようって話したよね?」
「うん、実際初めての事、2人でたくさんした。」
「僕のこれからの初めての事は、全部莉乃にあげる。」
「?」
「もし、僕たちが一緒にいられなくなっても。」
「・・・。」
「意味、分かる?」

彼の言葉に私は首を横に振る。
「・・そんな大切なこと、約束しちゃダメ。」
「それだけ、僕にとって、莉乃は大切なんだ。」
「・・。」
「この言葉を疑わないで。これは本心だから。」
理仁は、私の手を取って、小指を絡める。

「終わった?今日の分。」
「・・・終わったと思う?」
「僕が邪魔してるね。」
彼は私を抱きしめていた腕を離した。
「お茶のお代わりを入れてくる。」
立ち上がろうとした彼のことを引っ張って、私は理仁の頬にキスをした。彼が頬を抑えて、呆けたように口を開ける。

「・・莉乃?」
「・・明るいところでキスするのは、初めてだね?」
彼の余裕のある表情を崩せたことに、少し得意げにそう言ってみると、彼は少しだけ悔しげに口の端を震わせた。でも、すぐに表情を戻して、頷いた。

「確かに。」
彼はそう言って笑うと、身を屈めて、私に顔を近づけた。今までで一番長いと思われる時間が経った後、彼の顔が離れていった。

「初めて僕からした長いキス。」
「・・早くお茶入れてきて。勉強終わらせちゃうから。」
クスクス笑って、カップの載ったトレイを持って、階段を降りていく彼の背中を見て、私は、いつも彼には敵わないんだよなぁと思いながら、熱くなった頬に手を当て、目の前のノートに視線を戻した。

私達が一緒にいられるのは、たぶん後2ヶ月。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。