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【短編小説】人を好きになるって、どういう気持ち?

「ねぇ、ゆいちゃん。」
「なぁに?」

柵に囲まれた砂場の中で、可愛らしいエプロンを付けて、一心不乱いっしんふらんに砂を掘っている女の子に向かって、私は山を作っている手を止めないようにしながらも、名を呼ぶと、彼女はこちらを大きな瞳で見つめた。

「好きな子はいる?」
「いるよ。りゅーくん。」

間髪を入れずに答えられて、私の方がしどろもどろになる。それでも、私は話を続けた。

「りゅーくんのどんなところが好きなの?」
「登り棒がうまくて、歌が好きで、とってもかっこいいの。」

結の顔が花開いたかのように、ぱぁっとほころんだ。本当に、りゅーくんのことが好きだと分かる表情だ。

「りゅーくんのことを考えると、どんな気持ちになるの?」
「えっと、ほわっとして、ふわっとして、とてもいい気持ちになるよ。」

・・・抽象的すぎて、よく分からないけど、とにかくとても楽しくて嬉しそうだ。

真弓まゆみおねぇちゃんは、好きな人いないの?」
「・・・今はいないかな。」

もう、お姉ちゃんと呼ばれるような歳でもないのだが、結の母親は、そう呼ばせているらしい。素直におばさんでいいと思うんだけどな。久しぶりすぎる砂の感覚は、とても気持ちよかった。前に砂で遊んだのは、確か夏休みに海に行って以来のこと。一緒にいた彼と、わりと大きな城みたいなものを作ったんだっけ。

ぶわっと押し寄せた記憶を、私は意識的に心の奥に押しやった。今思い出すことじゃない。思い出すなら、一人の時じゃないと。

「真弓おねぇちゃん。寂しいの?」
「寂しくないよ。楽しいよ。」

結に変な気を使わせてしまった。彼女はその顔を心配そうに曇らせている。結は、持っていたスコップを離すと、エプロンで手についた砂を払って、その小さな手で私の手に触れた。

「大丈夫だよ。真弓おねぇちゃん。好きな人、きっとできるよ。」
「ありがとう。結ちゃん。」

結の手は、とても温かかった。きっと、私よりもずっと体温が高いのだろう。

「結ちゃん、真弓ちゃん、お待たせ~。」

柵に設けられた扉を潜って、いくつか荷物を持った女性が私たちに声をかける。結の母親であり、私の姉、真理まりだ。

「ママ、おかえり。」
「結ちゃん、ただいま~。」

真理は姿勢を低くして、抱き着いてきた結の体を抱きしめた。そして、視線を私の方に向ける。

「ごめんね。少し遅くなっちゃった。」
「ぜんぜん、久しぶりに砂遊びして楽しかったし。」

私は立ち上がって、手や体に着いた砂を払う。砂はさらさらしていて、払うだけで簡単に落ちた。

「皆で、お茶でもして、帰りましょうか。」
「ママ、パンケーキ食べたいな。」
「いいねぇ。真弓ちゃんもまだ時間あるでしょう?結の相手をしてくれたお礼に、おごるわ。」
「・・なら、遠慮なく、ごちそうになります。」

私は、使っていたスコップやバケツを集めながら、姉の言葉に答えた。


「ママ。真弓おねぇちゃんに、りゅーくんのこと話したの。」

目の前の生クリームやフルーツが載ったパンケーキを頬張りながら、結が隣の真理に向かって、言った。

「お姉ちゃんは、りゅーくんのこと知ってるの?」
「知ってるも何も、同じ園の子だから。」
「りゅーくん、かっこいいよね?ママ。」
「そうだね。かっこいいね。」

そう、結の言葉に応えると、姉は少し苦笑してみせた。

「運動神経がいいみたいで、運動会とかには結構活躍する子なの。確かにかっこいい子。」
「結ちゃんにも、もう好きな人がいるんだね?」
「女の子のほうが恋への関心は高そうね。男の子は友達と遊んでいる方が楽しいのか、まだ恋みたいなのはなさそうだけど。」

そう言って、姉は紅茶を口にした。そして、「そういえば」と思いついたように私に告げる。

「真弓ちゃんは、以前、人を好きになるって、どういう気持ちって、よく聞いてきたわよね?」
「そうだっけ?」
「中学生とか高校生くらいの時かな。でも、いつからかピタリと言わなくなった。あれは、人を好きになる気持ちが分かったってことかと思ってたんだけど。」

周りの人たちが、恋愛話に花を咲かせるようになった頃、私はその話に入っていけなかった。私には好きな人がいなかった。だから、もっぱら話を聞いているだけで、でも、その話を若干聞き流しているところがあった。共感しようにも、私には恋愛そのものが分からなかった。

友達に、だからといって「人を好きになるって、どういう気持ち?」なんて聞けなかった。だから、私は少し歳の離れた姉に、よく尋ねていた。姉は困りつつも、親身に私の質問に答えてくれていたはずだ。私は、そんな姉が今でも大好きで、だから、しょっちゅう一緒に過ごしている。

「それは、お姉ちゃんの代わりに、私に教えてくれる人がいたからだよ。」
「それは・・。」
「高校のクラスメート。」
「付き合ってたの?」

私がその言葉に軽く頷くと、姉はその目を見開いた。

「驚いた。何も言ってなかったじゃない。」
「お姉ちゃん、その頃、就活で忙しかったし、決まったら直ぐに家を出て行ったでしょ?言うタイミングがなかっただけ。」
「そっか、その彼とは・・。」
「もう別れた。そんなに長い間、関係は続かない。」
「そうね。付き合い続けるのは、難しいわね。結婚とか、何らかの形で縛られないと。」

姉は軽く息を吐く。結婚したらしたで、いろいろ苦労がありそうだ。姉の様子を見ていると、そう思う。

「ねぇ、お姉ちゃん。圭吾けいごさんのことを考えると、どんな気持ちになる?」
「圭吾さんのこと?う~ん。ほわっとして、ふわっとして、とてもいい気持ちになる・・かな。」

姉の言葉を聞いて、私がクスクスと笑っていると、隣で結が「ママもパパが好きなんだね。」と言って、笑っていた。


人を好きになるということがよく分からない私のことを、好きだと言ってくれたのが、彼だった。異性同士、付き合うことが初めてだった私達は、何事も手探りで、お互いの関係を深めていった。それは、高校を卒業してから、大学生になっても、就職して社会人になっても続いた。

私に、人を好きになることを教えてくれたのは、彼で。私は最初、彼をまねて、その内、自分から彼を好きになった。分からないと思うことはお互いに気持ちを伝えあったし、うまくいかないことは顔をつき合わせて悩んだ。

一つ弊害へいがいがあったとすれば、私は彼以外を好きになれなくなってしまったこと。彼のことを考えても、姉のように『とてもいい気持ち』にはなれない。唯々、会いたくて涙が溢れてきてしまう。

「なんで、私を置いて行っちゃったのかなぁ。」

一人の時に、呟く言葉は、冬の夜空に溶けていく。

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