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【短編小説】会わなくても、好きだけど。

私は、今付き合っている恋人に、一度も会ったことがない。

彼と知り合ったのは、SNSで、私が推していたアーティストのことを、彼も好きだったという、ただそれだけのことだった。コメントしてみたら、返事が帰ってきて、意気投合したというだけ。

その内、SNSだけでなく、電話でも話すようになった。話す内容は、徐々に広く深くなり、話す頻度も高くなった。その内に私の中では、彼の存在が大切で特別なものになった。

彼が本当のことを話しているのかなんて確かめられないし、もしかしたら全て嘘かもしれない。私はただ彼のてのひらの中で転がされているのかも。いつかお金とか強請ゆすられるのかも。
そうは思いつつも、私は彼と話すのを止めることができなかった。

それもあって、友達と飲んでた時、彼のことを話していた彼女に「そんなに気になるなら、告白しちゃいなよ。」とそそのかされ、私は酔った勢いで、彼に電話をした。
数コールで彼は電話に出て、いつも通り「お疲れ。」と言った。

「あのね。さとるさん。」
「どうしたの?」

いつもよりうわずった私の声に、彼の声が少し固くなる。もしかしたら、周りのざわめきも、彼には聞こえているかもしれない。友達はニヤニヤしながら見守っているが、考えれば考えるほど、こんなお酒の勢いを借りて、告白なんて重大な事をやってはいけないと思う。

でも、私は、大いに酔っていた。選択を誤るくらいに。

「私、悟さんの事、好きだから。」
「知ってるけど。」

美彩みあや、酔ってるだろ?酔うとよく言ってるから。」

彼の言葉を聞いて、私は思わず開いたままになった口元を抑える。自分でも覚えてなかった。私は既に彼に自分の気持ちを告白済みだったらしい。だとしたら、なぜ、彼は私の気持ちを知っておきながら、私への態度を変えないのか。

「何で、それなのに、私と変わらず付き合ってくれるの?」
「僕も同じ気持ちだから。」
「それは・・。」
「美彩のことが好き。ちゃんとそう返してたよ。忘れちゃった?」

彼の告白を受け、顔がカッと熱くなった。目の前の友達の笑みが深まる。それが視界には入ったけど、お互いの気持ちが通じ合っていたという事実に、私は自分で思ってもいなかったほどに、動悸が激しくなって、苦しくなる。

「本当に?」
「本当。でも、美彩の方こそ、僕でいいの?会ったこともないのに。」

改めて問われ、私は彼との事を思い返す。彼が話していることが本当で本心なら、私は彼がどんな姿であろうといいような気がした。私が好きになったのは、会ったことがない悟なのは、間違いがなかった。

「うん。私は悟さんが好き。」
「変わってるよね。美彩も。」

彼は笑って、「僕と恋人として付き合ってください。」と、はっきりと言ったんだった。


もう、付き合って2年経つのに、私達は顔を合わせたことがない。だから、私は彼に触れたこともない。私が知るのは、彼の声と彼が話してくれる彼の生い立ち、現在の環境、それだけだ。

彼とは、予定がない限りは、毎日のように電話をし、愛の言葉をささやきあった。彼の表情も仕草も見えないから、自分の気持ちを伝えるには、言葉にする他ない。嘘をついたり、気持ちを押し殺しても仕方がない。

いつ切れてもおかしくないのに、私達は会うことを望まなかった。会うことで、今の関係が変わることを恐れた。外見やリアルなものなど関係ないと言いつつも、実際に会ったら、彼は私に失望しないだろうか。一度触れ合ってしまったら、相手のことなど考えず、もっとと望んではしまわないだろうか。そんな湧き上がってくる思いから目を逸らして、今の関係を続けていくことを選んだ。

もし、相手がそれを望むなら、会う準備はできていた。彼も私と同じことを思っていたのだろう。彼は私の欲しい時に、欲しい言葉をくれたけれど、会いたいとは、一度も口にしなかった。


「美彩、僕と結婚してくれないか。」

その日の彼は、いつもと違って、今までで一番元気がなかった。話している最中に黙り込むことも多かった。そこへ突然言われたプロポーズの言葉。素直に受け入れる訳がない。

「どうしたの?突然。何かあったの?」
「もう、僕たちも付き合って2年経つし、一緒になっていいと思ったんだけど、美彩は違った?」
「嬉しいよ。でも、私達、一度も会ったことがないのに、結婚って。」
「会うことって、そんなに重要?」

どうだろう。
今では、会わないで、恋人として付き合って、結婚する人はあまりいないと思う。時代錯誤なような気もする。私たちはお見合い相手でもないんだし。彼の様子からすると、結婚を考えたから、会おうという訳でもなさそう。だったら、私達が結婚する意味って何?

「結婚するなら、ちゃんと会った方がいいんじゃないかな。」
「会わないといけないなら、僕は美彩と別れないとならなくなる。」
「・・私は悟さんと別れたくない。」
「・・ごめんね。美彩。もう少し時間が欲しい。」

結婚したいと言いつつ、会えないという彼に、なぜと問えればいいのだけど、私の中では彼の手を離すという選択肢はなくて、だから私は自分の気持ちを心の中に押し込める。いつか、その時が来たら、私は彼に会って、この問いを口にできるだろうと、淡い期待を抱く。

「分かった。結婚しよう。悟さん。」
「・・そこは、僕のことを責めていいと思うよ。美彩。」
「別れるとか脅しておいてそんなこと。」
「脅したわけじゃない。事実だ。」

後日、私の元には、婚約指輪と結婚指輪が両方セットされたリングケースと、ご丁寧に彼と保証人2人の署名捺印された婚姻届が送られてきた。
保証人は、彼と同じ苗字だったから、多分彼のご両親かそれに代わる人なんだろう。記載された彼の本名や住所を、私はお気に入りの手帳に書き写す。そして、多分彼のものと思われる少し神経質なところを思わせる綺麗な筆跡を、私は指でなぞった。

指輪をつけると、私は少し結婚するという実感が持てた。自分の親とは疎遠になっていたから、結婚するという事実を話していない。もし、話したとしても、信じてもらえないだろう。会ったこともない人と、結婚するなど。
よく彼のご両親も承諾したなと思う。彼が私と会わない理由を知っているのかもしれないけど。

私は、指輪をつけた左の薬指を何度も見つめながら、目の前の婚姻届に署名した。

こうして、私は『八雲 美彩』になった。

戸籍抄本を取って確認したから、これは事実だ。


結婚したからといって、私の生活は何一つ変わっていない。
苗字が変わったことによる各種の手続きが終わってしまえば、今までと変わらず仕事をし、家に帰ったら一人で過ごし、彼とは1時間くらい、寝る前に会話をして、一日が終わる。生活が変わらないから、苗字が変わったことになかなか慣れなかった。

仕事仲間や友達は、私が結婚したことを知ると、彼とのなれそめだったり、なぜ結婚式などしなかったのか等いろいろと聞いてきた。これへの返答が一番難しい。私は、彼の容姿などは話せないし、もちろん彼を紹介することもできない。仕方がないので、2次元に存在する創作のキャラを、彼に見立てて話をするようにした。選んだキャラが良かったのか、それほど不自然に思われずに済んだ。ある程度、質問に答えてしまえば、彼女らの興味は他に移り、聞かれることもほとんどなくなった。

唯一、私と彼のことを知っている、告白を焚き付けてきた友達は、流石に一度も会わずに結婚するのはどうかと、苦言を呈してきた。
そう思うのも当たり前だ。私だって、友達が同じような事をしていれば止めるだろう。ただ、私と結婚して、彼にメリットがあるのかと考えるとたぶんない。私に相続する財産があるわけでもないし、会ってすらいないから、私たちの間に子どももできないだろう。

時々、自分は本当に結婚したのかと不安になる。
本当に「悟」さんはいるのかと不安になる。
朝を迎える度に、また今日も一人だと寂しく思う。
彼の声を聞く度に、電話を切る度に、恐ろしく泣きたくなる時がある。実際、泣くこともある。

やっぱり、私は酔って、あの日、選択を間違えたのかもしれない。


いつもと変わらない土曜日の朝。
私を起こしたのは、何度も鳴るインターフォンのチャイムだった。
それも目覚ましのスヌーズ機能のように、一定の間隔で鳴らしている。
宅配便ではなさそうだ。

私は、面倒くさがって、髪はぼさぼさのまま、顔も洗わず、インターフォンのモニタも確認せずに、玄関のドアを開けた。
朝だから、不審者でもないだろうと、安心してたところもある。

そこには、スーツ姿のやせ型の男性が立っていた。
私の姿を見止めて、その細い瞳を見開いた。

「・・どちら様ですか?」
「・・。」
「あの・・?」

こちらを向いたまま、固まったように動かない相手を、私は見上げる。身長がかなり高いので、視線を合わせようとすると、どうしてもこの体勢にならざるを得ない。相手は私の顔を見つめたまま、口を開かない。

私のこの姿に呆れているのだろうか。でも、こんな朝早くに訪ねてきたのは、そちらでしょう。

あまりに動かないので、しびれを切らして、玄関ドアを閉じようかと考えていると、相手は私の背中に手を回し、体を自分の方に引き寄せた。
払いのけようにも、苦しいくらいに抱き込まれる。私の頭の上から、嗚咽が聞こえてきた。それを聞いて、私の頭の中が混乱する。

「はじめまして。美彩。」
「・・・悟さん?」

絞り出すように発せられた彼の声は、昨日の夜も電話越しに聞いた私の夫のものだった。

「待たせて、ごめん。」
「本当に、遅いよ。」

私も彼の背に腕を回す。じわじわと目の前の彼の服が、涙で湿っていくのを感じた。

「大好き。悟さん。」
「・・。」
「会ったら、まず言おうと思ってたの。」
「僕も美彩のことを愛してる。」

彼は、私の頬に手を当てて、涙が滲んだ瞳で正面からこちらを見つめた。
私は初めて見る夫の顔を観察するようにまじまじと見る。その内、見つめられている彼の顔が、ほんのりと赤くなっていく。彼は僅かに視線を逸らした。

「あんまり、見ないで。」
「何言ってるの?結婚した仲なのに。私の方こそ、ひどい顔してるでしょ?」
「・・起きたばっかりって顔してる。」
「悟さんに会うと分かってたら、もう少し調えたのに。」
「気にしなくていいよ。美彩は可愛いから。」

彼は、言葉に詰まった私の頬に、微笑みながら優しく唇で触れた。

会わなくて、どこまで恋愛は成立するものだろうか?と考えて作った本作。
結婚も紙切れ1枚なので、やろうと思えばできますね。
会わなかった理由は(この後、悟が美彩に説明すると思いますが)、いろいろ考えたけど、明言化しませんでした。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。