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【短編小説】約束

 水曜日の夜。人の少ないカフェで、2人はこれが終わったら、しばらく会えないだろう最後の話し合いをしている。

「だから、絶対無理だって」
「無理じゃない。たった3年なんだから」

 諦めたように息を吐く女、時雨しぐれに向かって、懇々と諭すように言葉を紡いでいるのは、奏汰かなた。2人とも社会人となって3年目。学生時代の友人同士。卒業して就職しても、住んでいるところが近かったこともあり、1ヶ月に一度くらいは会って、お互いの近況を話しあっていた。SNSを介して連絡も取りあっていたが、付き合っているわけではない。

 奏汰が仕事に集中したいから、向こう3年は会うのを止めようと言い出した。3年は、それだけ経てば、お互い中堅どころになり、仕事にも慣れている頃だろうと、奏汰が勝手に決めた期間だ。だが、時雨はそれに反対した。3年も会わなかったら、2人の関係は完全に切れてしまうだろうと考えたからだ。

 2人とも、お互いに不満を抱いているわけではない。もし、抱いたとしても相手に自分の考えを伝えて、その場で解消してきた。その気持ちを抱えて、黙って連絡を絶つようなことはしなかった。それは、相手の存在が自分の中で大きかったに他ならない。

「就職してからも、お互いいろいろあったでしょ?会わなくなったら、日常に追われて、連絡とらなくなるよ」
「……連絡の頻度は減るかもしれないけど」

 奏汰も、時雨の言葉を否定しきれなかった。

「1ヶ月に1回くらい、大丈夫でしょう?」
「いや、会ったら平気で数時間話し込むじゃない。ここに来るのにも時間はかかるし。日程調整する手間もあるし」

 奏汰の言葉に、今度は時雨が口を引き結ぶ。奏汰の言うことも間違ってはいない。それに仕事が立て込んでいる時には、わずらわしく思うことも全くなかったとは言えないからだ。

「あと3年も経てば、大分落ち着くと思うんだ。そうしたら余裕も出るし、仕事の愚痴ぐちばかり吐くこともなくなるだろう?」
「それはそうだけど……3年は長いよ」

 時雨がうつむいたのを見て、奏汰が少し考えるように宙に視線を向けた後、口を開く。

「じゃあ、賭けをしようか」
「賭け?」

 奏汰はテーブルを軽く指先で叩く。

「3年後も関係が続いてたら、会った時に僕の願いを一つ叶えて。ご褒美として」
「……なにそれ。私にメリットなくない?」
「でも、時雨は3年後関係が切れてると思うんだよね?だったら、時雨が僕の願いを叶えることはないってことになるから、いいんじゃない?」
「お互いメリットがない賭け?ますますやる必要ないでしょ?」

 奏汰は、時雨の言葉に、自分の身に付けていたイヤーカフを外して、テーブル上にある時雨の手元近くに置いた。宝石が付いたもので、男性が身に付けるにしては珍しい。時雨はそれを手に取って、宝石を店の照明に透かしてみる。

「ジルコニア?」
「……ダイヤモンド。時雨に預けとく。3年後会った時に返して。もし、会えなかったら、売って金に換えていいよ」

 さらりと告げた奏汰の顔を、時雨はじっと見つめる。

「……大切な物なんじゃないの?」
「大切だよ。だから、絶対に返してもらわないと」
「別にいいよ。そこまでしてくれなくても」
「でも、それくらいしないと、時雨は信用しない、だろ?」

 奏汰が時雨に向かって手を伸ばす。時雨は少し首を傾げた後、手に持っていたイヤーカフをその掌の上に戻す。奏汰は軽く微笑んで、時雨の手をつかむと、イヤーカフを小指に、まるで指輪のように嵌めた。

「……時雨の方が似合ってるかもな」
「そんなこと言うと、返したくなくなるじゃない」
「それは3年後、会った時に話し合おう」
「……大丈夫、冗談よ」

 時雨はそう言って、口元を緩めてみせたが、奏汰は心配げに彼女のことを見つめるだけだった。


 3年は、時雨しぐれ奏汰かなたの身にはあっという間に感じられるほど、流れていった。そして、会わないという事実は、2人の間に深いみぞを作った。会っていた時に頻繁だったやり取りも、会わなくなってから、少しずつ返信の期間が空くようになり、一番最後の連絡は、もう半年前になっていた。

 時雨が返したのを最後に、奏汰からの応答はない。既読になったかどうかも、時雨は確認するのを止めた。既読スルーされていたら、分かっていても心に傷は残るし、既読すらついていなかったら、さらにショックを受けるだろう。そして、時雨は相手から返信がないなら、返すつもりもなかった。「便りがないのは良い便り」というが、仕事が忙しい時に、それを邪魔するのは嫌だと思うから。

 間もなく、正確に、あの日から3年たつ。
 時雨は自分の勝利を確信していた。勝ったとて、まったくもって嬉しくもなかったが。奏汰からもらったイヤーカフは、今も時雨の小指に収まっている。結局、奏汰はどうしてこのイヤーカフを手に入れたのか?それも聞けないまま、別れてしまった。次に会った時に、返すと同時に尋ねてみようかと思っていたが、それを尋ねる機会はなさそうだ。

 この3年、自分は少しは変われただろうかと考える。
 仕事は順調すぎるほど順調で、責任あるものも任されるようになった。リーダー職についたし、部下もいる。自分が倒れたら、他の人に迷惑がかかるから、適度に休みを取って、力を抜く加減も身についてきた。自分の行きたいことやしたいことも、少しずつはできている気がする。それもこれも、奏汰から「頑張ってるね」と言われたいが為の行動だと思ったら、少し虚しくなる。

 時雨は、普段より綺麗な格好をして、奏汰と最後に会った日の3年後、最後に会った場所へ向かう。奏汰とは連絡を取ってないから、彼が来るかどうかも正直分からない。今日が3年後だとすら忘れているかもしれない。これを身に付けるのは最後になるかもしれないな、と、小指のイヤーカフを見つめ、時雨はカフェの扉を開けた。

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説那(せつな)
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