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「最近は、ジョン・バージャー」 Recently, I like reading some books by John Berger.

 「読んだ本の感想を」とあるので、黙ってそれに従うことにするが、「とある偶然」(=卒論の資料集め)によって、今、僕の関心は「ジョン・バージャーの著作」に傾いている。
→『見ること』About Looking, 『イメージ』,
そして、『批評の「風景」』Landscape(これは、単行本=今年の一月に出たやつを買った。それ以外(見ること、と、イメージ)は図書館で借りた)

 ジョン・バージャーとは、何者か。
 それこそ、ウィキペディアを眺めれば、そういう類の些末さは解消されます(試しに見てみてください)。

 虐殺的に、間違えた、「逆説的に」言えばそういう些末さは、簡単に解消される。
 そうではなく、その「本」=「書かれたもの」に、目を向けてみる。そうすると、自ずと、彼の「思想」なり、なんなりが、「理解」できそうな気もしてくる。
 この「理解できそうな気がする」という表現は、今の僕の考えを表すのにピッタリだ。どういうことか。

 単純に、「最近の読書論」は、「完璧な読書などない」(=完璧を目指すのは悪、とまで言わなくても、それは意味がない)という、幼稚な、ある意味で子供っぽい一言に集約されそうな気がする(批判している=問題視しているのではない。批評している)。

 そりゃそうだ(、蕎麦ソーダ©️吉田羊)。「完璧な読書などない」。当たり前のことを、さも大発見したかのように、述べ奉るのが「新書的な啓蒙主義」と言っていいだろうが、僕の主眼は批判ではない。

 では、「本当に完璧な読書」など、本当にないのだろうか。
 それは、個々人が判断すればよろしい。「何年も、同じテクスト」を読み続けてみたまえ。「完璧」とまでは言わないが、ある種の「壁」が出現することは確かだ。それが「完璧」かどうかは知らないが(興味ないが)、よくもまあ、いとも簡単に、「読書論」などと、「気軽」に言えたものだ。これは批判である。

 まあ、「新書主義」「新書社会」を生きる私たち、ーコスパ主義、コスパ社会と言っていいでしょうー、に残されている「読書論」とは、何か。それは、知ったかぶらずに虚心に読書するか、読書は諦めて一切本を開かないか、そのどちらか(両極端を言ってます)でしょう。もう、読書なんて嫌。っていうのも、立派な読書論だ。そういう、「自由意志」(=不自由意思)も認められていいだろう。


 ああ、なんか急に「読書論批判」になっちゃった笑。もう、何も書きたくない、という臨界までいかないと気が済まないらしい笑。本当はもう、何も書きたくないんですけど笑、なんかこう、書かずにはいられない=言わずにはいられないのが、「現代社会」らしいので、僕も立派な「現代人」みたいですね。「立派かどうか」は、「疑いの目」を持ち続けたいと思いますが笑。

※「イラスト」は、拝借しました。ありがとうございます。

散歩すると意外と高低差あるので、これじゃ東京と変わんないじゃん。というのが最近の発見。

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