見出し画像

(すべては)距離の問題。

 なぜ、「すべては」という言葉を括弧(かっこ)に括った(くくった)かと言うと、大袈裟(おおげさ)に書いてしまえ!という僕の一側面と、いや、ここは穏当に書いたほうが。というもう一つの側面が拮抗(きっこう)したからです。悪しからず!

 現代は何もかも「逆に」という接続詞が横行しているので、あえてその接続詞を使わずに言うと、まず、「具体例」を挙げがちです現代は。
 なので、「正に」(逆にの反対)、そーゆー感じで具体例を挙げると、「エヴァンゲリオン」シリーズは、「心の距離」の問題だったし、あらゆる恋愛は、「身体(と心)の距離」の問題じゃなかろうか(大きく出ました)。

 かといって、「距離」が問題なのだから「遠さ」よりも「近さ」が大事。とも言えない。

 何にも「適正な距離(感)」がありますよね。少し前のオリンパスのCM風に言うと、「心と体、人間の全部。」なので、そのどっちもが「適正な距離」を保てないと「大変なこと」になっちゃいますよね、誰でも。
 「誰でも」が誰でもそう感じているわけではないでしょう。「女の子は誰でも、魔法使いに向いてる」らしいので、僕は「魔法使い」ではなさそうですが。(おふざけはこの位にして)
 「文章」でも「距離の問題」がありますけども。
「具体例」をやってみます↓↓↓



 と
  え
   ば
  こ
 ん

 か
  ん
   じ
    に
   か
  く
 こ

も出来る訳です。めんどくさい。そして疲れた。 
 流石に上の様な文章は、「意味がない」ので、普段はやりません。なんか最近は「新聞」のテレビ欄で「小粋な」事しますけど(縦読みとかね)、あれはまあ、徒花(あだばな)と言うか笑、「新聞を買わない人=読まない人」が増えたから、意地でも買わせようとする(興味を持たせようとする)魂胆が見えるわけなんですが(&それだけじゃないでしょうが)。
 あ、ちなみに僕は新聞読む派ですけどね
(ウインク)。

 要は、「なかみで勝負」っていう側面と「かたちで勝負」の側面があるのでしょうな、文章には。

「距離の問題」から逸れて(それて)しまったので、今日はこの辺で終了。お疲れ様でした!
※イラストは借りました!
お世話になってます!

いつの間にか「東急本店」が忽然と姿を消してしまっていたので。の一枚。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?