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”なぜ”に迫る

「論理的に突き詰めた先の無意識化は最強」


こう思う。


世の中には、天才と呼ばれるようなセンスの塊のような人がいて、凡人と呼ばれる突出した能力のない人もいる。

では、凡人は天才に勝つことはできないのか。

そのための唯一の選択肢として、私たちは「努力」をする。



この言葉を一度は聞いたことがあるだろう。

「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。」

エジソン

一見、努力の方が大事ということを表現した言葉のように思えるが、この言葉を残した発明家トーマス・エジソンは

「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になるのだ。」

と述べている。


しかし、私は前者のような努力の方が大事という考えである。
努力だけの人はいないはずである。
何かしらの才能(ひらめき)を持っている。

それを生かすためにどう努力するか、その方がよっぽど大事である。


ここで、先の話に戻るが、

「論理的に突き詰めた先の無意識化は最強」


とはどういうことか。


無意識下での行動には、2種類ある。
①完全感覚の無意識下での行動
➁意識的かつ論理的に行動を分析した結果の無意識下での行動

わかりやすく言えば、①は天才派、➁は努力派である。


誰もができる無意識下での行動がある。
立つ、座る、歩く、話すなど。

どの世界においても、高いレベルでパフォーマンスを発揮できる人は、この無意識下でできる行動が多いのではないかと考える。


まず、「レベルが高い人」とはどのような人か考えてみる。


勉強でいえば、難しい漢字を「どう読むのかな」と考えることもなく読めること、難しい計算を暗算でできる。

仕事でいえば、マルチタスクをこなせる、営業で契約を勝ち取れる。

スポーツでいえば、高い基礎レベルをどんな状況でも発揮できる、勝負強い。


共通するのは、これらのことを無意識的にできるということ。



では、ここにたどり着くためにどうするかを考える。
「あの人は天才だから無理」「自分には才能がないから無理」なんかじゃない。
同じ人間で、ましてや自分とほとんど年齢も変わらない人なのだから無理ではないのだ。


とにかく1つの行動を追求しまくる。


勉強では、
「どうすれば計算が速くなるのか」という疑問が湧き、「計算問題を繰り返せばいい」という仮説に行きつくとする。そこから「どう計算問題を繰り返せば、どういう計算の仕方なら、効率よく計算のスピードを身につけることができるのか」ということを考えて取り組む。

仕事では、
「あの営業成績トップの人と何が違うのだろう」と考え、その人をしばらく研究し、話し方、抑揚、表情、話の要点のわかりやすさなど項目が見つかる。そこから「自分がそれを身につけるにはどうすればいいのか」「なぜ自分にそこが足りないのか」と自分についての分析も進め、「自分には自信がない」「経験が足りない」といった解像度の高い課題が見つかり、解決に近づいていく。

スポーツ(サッカー)では、
「今日のあのシュート良かったな」と振り返る。では「なぜよかったのか」ボールの置き所、足の当たる場所、受ける前の準備などが挙がるとする。そこからなぜそれが実現したのか、その日のアップなのか、食事なのか、睡眠なのか、それが明確になれば、自分のルーティンとする。ここで一つ成長。さらに、その再現性を高めるためにシュート練習をするだろう。そこで周りに意見を求めたり、映像を撮って、「軸足の位置が…」「振り上げた腕の位置が…」と事細かに分析をしたりする。そうして、自己流が確立していき、自分のプレー(無意識下でできるプレー)のレベルが上がっていく。


無意識下での行動を身につけるためには、

偶然の1回 → 意識的な繰り返し → 無意識下での行動の定着

という段階を踏むのだと思う。


この追求をいくつも繰り返していくことが、上の「意識的な繰り返し」となり、間違いなく無意識下での行動が身につく。そして、自分の成長にもつながる。さらに、物事を深くまで考える癖もつく。

まずは自分を知り尽くすこと、そして、それを言語化できること。
それがどの世界でも人より一枚上手でいるために大事なことじゃないかと思う。

現時点で、高いレベルにいる人たちは、計り知れない量の努力をしているに違いないし、今回述べたようなことを無意識のうちにしているのかもしれない。それも一つの才能。
そこに追いつくためには、知り、考え、試して、また考えるサイクルを回し続けることが大切である。



結局はやり続けるしかないんです。








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