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音楽マインドに基づくアントレプレナーのためのアート思考の実践

多摩大学大学院グローバルフェロー公開セミナー「Innovate for Impact」2021から(4)

音楽はアート、では音楽に基づくアート思考とは?
前回に引き続き今回の「Innovate for Impact」シリーズでは、多摩大学大学院グローバルフェロー、マイケル・スペンサー氏(以下マイケルさん)にも参加してもらった(「注目すべき思考家との対話」)。マイケルさんは音楽家(元ロンドン交響楽団ヴァイオリン奏者)であり、ロンドンを拠点に活躍する教育者、「音楽ファシリテータ」だ。日本にも造詣が深い(末尾のプロフィールを参照してください)。
今回のテーマは音楽思考(マインド)について。当然のことだが、人間の歴史のなかで、洞窟画と同じくらい過去(35000−40000年前)に遡れるのが楽器だ。音楽は明らかに最も古いアートだ。リベラルアーツの基礎自由科目(クワドリウィウム)が代数、幾何、天文、音楽ということからも音楽は特別の位置付けを持っている(紺野登の構想力日記#16参照)。

下の写真は4年ほど前(2017年11月)品川の多摩大学大学院キャンパスで実験的ワークショップを行った際のもの。ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』のパートをいくつかの節のコンポーネント(パタン)に分解した何十枚ものカードを要用意して、グループで並べて作曲してください、という課題。カードには「タータタタ」とか、「手を打ってパンパン」とか、子供も簡単にできる演奏タスクが書かれている。参加者は戸惑いながら、そのうち楽しみながら、バラバラなカードをみんなで並べていく。試行錯誤しながら一番直観にあったものを選んでいく。その過程は、何かの作意に沿って編集するという作業でなく、参加者のうちにある感情や創造性を最も強く引き出すための協業である。それは身体感覚(リズム)に基づく「創造的生命の響き」だということをこの実践を通じて理解する。そのような場なのであった。(紺野登・野中郁次郎『構想力の方法論』より)

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マイケル・スペンサー氏による音楽ワークショップ(多摩大学大学院)

協業のアート思考
ファシリテーションというと、ファシリテータがリードしながら会議のファシリテーションや合意形成、コンフリクトの解消を行うといったシーンが思い浮かぶが、マイケルさんの場合は、ファシリテータはあまり前に出てこない。その役割は創造性とりわけ起業家精神を引き出す場づくりだ(それが本来のファシリテーション:円滑に進むように中立の立場から支援すること、なのだが)。その原点に音楽がある。もちろん音楽はアートだ。だから、アート思考といえる。ただし、マイケルさんのいう音楽の意味は通常のわたしたちの理解やイメージとは異なるので、追って説明したい。
ところで「アート思考」というと、自分自身の信念や思いからの、いわば内発的な創造的発想を重視していることが多いようだ。アーティストに学ぶというわけだが、事実上アーティストでない(バックグラウンドがない)人間が急にそんなこと(教えたり学んだり)ができるかという疑問も残る。また、おしなべて、歴史的にみてアーティストの思考や作品がすぐさま社会に受け入れられてきたわけでもなかった、ということも心にとめておくべきだろう。
一方、これまでの創造的思考法の多くは、こうしたアート思考も含めて「個人的」(個の内面の創造性に目をむける)なものだった。しかし、それならかつての創造的発想法と大きく変わらない。ロジカルシンキングもそうだが、あくまで自分の「脳」を使った「個人技」の思考だった。そこには限界があるといえる。
他方、デザイン思考はそうではなかった。顧客やチームと共に進める協業的な思考だ。一人ではできない。「脳」だけの思考でもない。感情、身体を動員する。
さて、そこで、個人技ではなく、協業を通じて、アート思考が狙っているような内発的な創造的思考はできるのか、が問われる。そこに出現するのが音楽思考(ミュージックマインド)だ。

思考の方法論マップ(筆者作成)

既存の音楽のエコシステムには問題あり
ただし、音楽と創造的思考はすぐさま結びつかないだろう。前置きが長くなったが、ここでマイケルさんのレクチャーに入ってみよう。

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マイケルさん

まずマイケルさんは、現在の音楽は本来のありかたではないイメージをもたれてしまっていると指摘する。現在の音楽の「エコシステム」はコマーシャリズムに取り込まれてしまっているという。3つの課題がある。
「この50年、60年の間に、音楽はその目的を変え、高度にコモディティ化してしまいました。音楽はビジネスモデルとして悪用されています。人にはそれぞれ音楽の好みがありますが、実際には私たちの音楽の好みは音楽産業によって大きく操作されているという事実があります。音楽の権利や著作権が、ミュージシャンではなくレコード会社によって守られていることからも、それがわかります。少し前の話になりますが、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』についての大きな訴訟がありました。」
「音楽の権利に投資し、それらを買うようになりました。投資としての音楽は、金や石油と同じくらい良いそうです。つまり、音楽にはたくさんのお金が結びついているのです。AIを使ってアルゴリズムが音楽を作るための契約を結び、音楽の著作権を、コンピュータを著作権の所有者として引用したいと考えているレコード会社もある。つまり、私たちの音楽の好みは、コモディティ化が標準となり、私たちが聴いていたものはそのバリエーションだというわけです。」
「2つ目の課題は、人々の時間の奪い合いだと思います。音楽は聴くのに時間がかかります。しかし、私たちはサッカーやテレビ、インターネットなどと競合しています。しかし、サッカーやテレビ、インターネットとの競争の中で、独立した、同じように評価されるプラットフォームを確立することができませんでした。これは、音楽を聴いたり、音楽に参加したりする上での大きな課題です。」
「3つ目の課題は、教育システムの失敗です。これはグローバルな問題です。私はさまざまな国で仕事をしています。そこで教育システムが芸術や音楽をカリキュラムから外しているのを目の当たりにします。これは数年前から起こっていることです。一方ではファーストフードと同じように音楽や芸術を消費しているため、批判的な判断力が使われていないのです。」
アート思考の重要性が言われながら現実は逆行していると見ている。一方でSTEM教育("science, technology, engineering and mathematics":科学・技術・工学・数学教育)にアートを採り入れる新たな動きもある(STEM+A=STEAM)。
「政治哲学者のマイケル・サンデルがBBCで市場とモラルについて語っていました。彼が言ったことの中で、私が本当に重要だと感じたのは、人間の経験のある分野を混ぜ合わせて商品化すると、実際に価値を下げ、腐敗させてしまうということでした。この言葉は、現在の私たちと音楽業界の関係、そして私たちが実際にどのように音楽を消費し、どのように音楽とつながりを持つかということを非常に正確に反映していると思います。」

本来の音楽マインドを目覚めさせよう
こういった音楽をめぐる状況のなかで、マイケルさんは本来の音楽の意味を提示し、そこに音楽教育と、起業家精神に結びつく創造的な思考への活用を示唆する。では、本来の音楽の「普遍的価値」とは何だろうか。
それはコラボレーションと協働作業のための音楽だ。人間の音楽性は社会的結合のための共進化したシステムである、という。

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マイケルさんのレクチャーより:音楽は社会結合のシステムとして共進化してきた

「ドイツの神経生物学者、神経科学者ゲルハルト・クタは、過去20年にわたってビッグデータの解析などを行い、異なる文明で音楽がどのように使われてきたかを研究したのですが、それぞれの地域が自分の音楽を持っています。それは他の人のものとは違います。ただし私たちの音楽的感覚は文化によって変わりますが、基本的にはどの文化でも同じ目的を持っており、それは実際にはコラボレーションや協働作業に関するものです。」

YouTubeより:タイの杭打ち作業

https://www.youtube.com/embed/om_ldgTix78?rel=0

「音楽は並外れたコミュニケーションの形態です。音楽家は基本的に、空気の分子を作ることで意味を持たせ、他の人との関わりを作るのです。そして、言葉を使わない、無形の分子を操作して、さまざまなトーンやサウンド、メロディのカーブやハーモニーを作り、人とのつながりを作ります。しかし、その本質は、幼い頃からやり始め、誰もがやっていることなのです。そして、それがコミュニケーションのツールとなるのです。幼い子供や赤ちゃんを考えてみると、彼らは基本的に作曲家であり、これらの発声を使って実際に人とコミュニケーションをとっているのです。」

イノベーションの基本は共感の場、暗黙知の共創―そのために音楽を
「本質的には、音を使ってどうやって人とコミュニケーションをとるかということです。そして、それは必ずしも学習や楽器のことではありません。楽器は、あくまでも人とコミュニケーションをとるための道具です。」
したがって、音楽を通じた場の創出は、協働での創造的思考に繋がるのだ。
「(音楽を通じて)人との関わりを深め、共に共創していくことができるのです。そして、この共同創造のアイデアには、励みとなる特定のスキルがあります。私が過去数年にわたって行ってきたファシリテーションの仕事の中で、また音楽制作や音楽に参加することでの固有のスキルのいくつかが、より良い共同作業を行うためのビジネスモデルやビジネス理論のいくつかと密接に結びついていることは、なかなか興味深いことです。」

YouTubeより:ニュージーランドの学生が教師の退任を祝うハカ

https://www.youtube.com/embed/N0tDRq4e5gI?rel=0

「『聴く』『共感する』『一緒に行動する』ことについて、私たちが音楽に参加するとき、それは単に受け身ではありません。音楽を聴くことは創造的な行為であり、特にライブ音楽を聴くことは、観客として、ステージ上のミュージシャンや観客同士で共同の創造的な経験をすることになるからです。家でCDを聴いているだけでは、これほど強くは感じられないでしょうね。しかし、実際に音楽を聴くために集まり、音楽に参加するという行動は、共同創造的な活動として非常に強いものです。」
『聴く』『共感する』『一緒に行動する』という3つの要素をまとめると、それは「注意」となり、物事にどのように注意を向けるのかということになります。それによって、知識を創造し、知識の共有の場を生み、暗黙的な知識から明示的な知識へと移行させることができます。」

デザイン思考の共感力を再認識しよう
一般的に普及しているデザイン思考で忘れられているのは、顧客やチームとの共感力でアイデアを共創するところ。単なる観察とブレストでは創造的な発見は生まれない。また一人の力では限界がある。そして創造とは単に断片的なアイデアを生み出すことではなく、社会や生活の中に埋もれた暗黙知を引き出し明示化することだ。そこで音楽の果たす役割が立ち上がってくる。
わたしたちがデザイナーからデザイン思考を、アーティストからアート思考を学ぶように、ミュージシャンから音楽思考を学べるとすればそのエッセンスは何か。「音楽は、層になって働き、パターンになって働き、そして関係になって働きます。そして、人々が音楽を聴けば聴くほど、そのような種類の関係性を聴くことができます。ですから、積極的に聴くことが大切です。」
そして「イノベーションの観点から非常に重要だと感じたのは、ミュージシャンが予想外のことに対して非常にオープンであるということです」とマイケルさんは言う。

P.S. これは以前筆者とマイケルさんが話し合ったこと---
音楽をわたしたちが元来生命として持つ「身体的なリズム」ととらえると、知識創造のための「場」の問題につながる。昨年亡くなられた劇作家で評論家、山崎正和氏は『リズムの哲学ノート』で西欧の知における身体知の欠如を指摘していました。
われわれの知識は暗黙知と形式知から構成されているが、暗黙知が豊富で多様であって初めて意味ある言葉やかたちとしての形式知が表出する。そのためには意識的な対話なども重要だが、そもそも暗黙知は情緒的・身体的な知識なので、一緒に行動したり、人の動きに合わせて行動したりと、リズムのある場を共有することで知識創造が促進される。
つまり場や場所を「介して」知識が作られるのではなく(つまり場は知識創造のイネイブラーではなく)、拡張され共有された環境知である。その場を生み出すためのアートが音楽ではないでしょうか?

なお同氏のレクチャーは下記日時で開催された。なおパネルにはアントレプレナー教育をリードする本荘修二(多摩大学大学院客員教授)氏にも参加いただいた。

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レクチャー当日の様子

2021年8月4日(水)19:00~20:00
「イノベーションと音楽マインド 起業家スピリットと音楽との接点を探る」
[メインスピーカー] マイケル・スペンサー氏(Sound Strategies CEO)
エデュケーター、ファシリテーター、ヴァイオリン奏者 上野学園大学音楽学部音楽学科 客員教授 音楽文化研究センター客員研究員 元ロンドン交響楽団ヴァイオリン奏者、元英国ロイヤル・オペラ・ハウス教育部長。現在、Sound Strategies 経営責任者。スペインで唯一自主運営をしているバレス交響楽団(バルセロナ)にて、教育プログラムと経営方針の特別顧問を務める。世界各地で芸術教育プログラムを開発・実践し、さまざまな芸術団体や企業から高い評価を受ける。日本でも社団法人日本オーケストラ連盟・文化庁後援により、24のプロオーケストラと共に各地で教育プログラムを実施。2006年上皇后陛下ご臨席のもと、紀尾井ホールにてワークショップ型コンサート開催。2008年には、教育ディレクターを務めた『ピーターと狼』がアカデミー賞(短編アニメ部門)を受賞した。 近年では、英国免疫学会の依頼を受け、科学者と芸術家、地域コミュニティーとの共生を目的とした芸術プログラムを英国各地にて制作・実践しており、NHK-BS『旅のチカラ』でも活動内容が紹介された。Japan Festival in London 2012 大会会長も務めた。
[パネリスト]本荘修二(多摩大学大学院客員教授)、紺野 登(多摩大学大学院 教授)
[モデレーター] 河野 龍太(多摩大学大学院 教授)



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