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紺野登の構想力日記#03

構想力は「ゼロ」を生み出す力(その3)

◇ シリコンバレーが仏教に熱狂するわけ

ずいぶん前にシリコンバレーの伝説的なベンチャーキャピタリスト、ランディ・コミサーの『仏僧と謎かけ(The Monk and the Riddle)』(2000年、邦訳なし)という本を、興味深く読んだ。
コミサーはゴー・コーポレーション社でCFOを務め、その際にはアップル社のカウンセラーでもあった。その後ルーカス・エンタテインメント社のCEOになった人物。多くの企業の「バーチャルCEO」という異名も持つ。
なにより禅の実践者として知られる。

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『仏僧と謎かけ』は主人公であるコミサーが、一人バイクでミャンマーを旅する物語り。その過程で彼は、シリコンバレーで起業したり、財を成したりすることの意味を問い直していく。
ビジネスのために費やす時間が金儲けのためだけで、その後に人生を楽しもう、と思っているなら、その時間は辛いものかもしれない。しかし、金よりも貴重なのはその時間そのものだ。幸せを将来にとっておくなんて意味ない。いま、自分を幸福にすることに集中すること、それが何より大事なことだと。いわば一期一会に気づく旅をする。
ミャンマーで、ある若い修行僧に出会う。そして彼に導かれ出会った老僧「ミスター賢者」が、手の中に卵を持ったような仕草をして問う。

「この卵を3フィート(約1m)、割れないように落とすにはどうしたらいいか」

その答えは? これは後に。

アップルのスティーブ・ジョブズもそうだが、なぜシリコンバレーは禅や仏教に興味を持つんだろう?

コミサーやジョブズなどそれこそシリコンバレーの賢者たちが、禅や仏教に興味を持つことに、ぼくは興味を持った。『仏僧と謎かけ』を読んだのもそんな興味からだった。
ほかにもいろいろな本を読み、人に話をきいて、考えをめぐらせた。そして、その答えはどうも「ゼロ」にありそうだということがわかった。

日本語で「無」とか「空」とかいうと、なんだかよくわからないのだが、「空」という漢字は古代インド、サンスクリット語の形容詞「シューニャ(śūnya)」の訳語である。この「シューニャ」は現在のヒンディー語でも「ゼロ」として用いられている。
「シューニャ」というサンスクリット語は、「~を欠いていること」を意味する。たとえば「yにおいてxがない(欠いている)」「yがxをもっていない」という意味である。

ジョブズが愛読した禅のバイブルとされる『禅マインド ビギナーズ・マインド』(アメリカに禅を広めた鈴木俊隆老師が、初めて禅を学ぶアメリカ人に向けて語った法話集『Zen Mind, Beginner’s Mind』の日本語訳)のなかにも、「空(emptiness)」を説く一話がある。

仏教を学ぶときは、心の大掃除をしなければなりません。(『禅マインド ビギナーズ・マインド』p.224)
まず捨てなければならないのは、ものが現実にそこにあるというような実質に対する、あるいは存在ということに関する観念です。・・・仏教では、生命とは存在と非存在の両方を含むと理解します。・・・存在だけにもとづく人生の見方は、的がはずれているのです。(同 p.225)
真の存在は、空(くう)〈エンプティネス〉から生まれ、空に戻るといいます。空から現れるもの、それが真の存在です。私たちは空の関門を通らなければなりません。(同 p.225)

仏教におけるこの「ゼロ」、そしてとても重要な教えの一つである「空」に、シリコンバレーの人たちは惹きつけられるのだろう。

そういえば、昔、『インターネットはからっぽの洞窟』という本が話題を呼んだ。著者は天文学者で名うてのインターネット・ユーザーであったクリフォード・ストール。原書(英語)は1995年、日本語訳は97年の出版である。インターネットの大ブームに冷や水を浴びせるかのような、そんなもの「空っぽだ」と暴く威勢のいいタンカがウケた。
当時は、インターネットのセキュリティなどへの異議申し立ての書として読んだ覚えがあるが、彼はでも、空っぽなその空洞を、人々にとって価値あるもので満たし、もっともっと楽しいものにしたいと思っていたんだろう。
なんといってもあの、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクのような風貌からして、インターネットを単にディスろうとしたわけではないはず、と思うのだ。

◇ 謎を解く

『仏僧と謎かけ』の続き。
修行僧は何のために行脚するのか。コミサーは旅から帰り、反芻する。ある夜、道元の時間論に触れる。

Do not regard time as merely flying away; do not think flying away is its sole function. For time to fly away there would have to be a separation (between it and things). Because you imagine that time only passes, you do not learn the truth of beingtime.

時をただ過ぎ去るものと思ってはならない。過ぎ去ることは時のすべてではない。もしただ過ぎ去るならあなたは時と分かたれてしまうだろう(だからあなたの存在は時間そのものだ)。(『正法眼蔵』「有事」の巻より)

スティーブ・ジョブズに影響を与えたのは曹洞宗の僧侶だし、道元との繋がりは興味深い。
道元では「空」は世界の真相・深層で、表層である現実は「空」を通じて新たな関係に組み替えられる。その観点から見た時間は、単に表層の現実の客観的時間ではない。それは現実を突き通す瞬間、存在としての主観的時間、永遠である。

「この卵を3フィート、割れないように落とすにはどうしたらいいか」

その答えは、「4フィート」の高さから落とすこと。
3フィートに執(とら)われる自分の時間と空間の認識を変えればいいのだ。

前回、テレンス・ディーコンの、人間は「無ゆえに創造する」という話をした。人間の進化というのは、「無」や「空」や「不在」を満たそうとする力のあらわれで、そこに進化の秘密のメカニズムがある、という説だ。ぼくとしてはそこに、構想力の源があると考えているわけだが、このディーコン説にしたがえば、インターネットは「空っぽ」ゆえに、そこを満たそうとする人々の情熱と不断の努力によって、世界を一変させるほどの存在となったのだろう。
シリコンバレーのイノベーションと「シューニャ(śūnya)」=「空」・「ゼロ」は、やはり密接な関係にある。

◇ ゼロの構想力

さて、構想力の話に戻そう。
これまで、「無」「ゼロ」「空」「不在」といったものを見いだし示すことが、構想力の核となるということを述べてきたが、数学の世界においては「ゼロ:0」の発見は、とりもなおさず世紀の大発見(大発明ともいえる)であった。
ということで、ゼロの構想力についてちょっと考えてみたい。

現代人にはゼロのない暮らしなど想像できないけれど、かつて、ゼロのない時代があった。ヒツジが4匹いる、リンゴが3個ある、木が5本生えていると、何かを数えたいときに、ゼロは必要ない。「リンゴがゼロ個あります」などと言わずに、それは「リンゴはありません」と言えばいいのだから。事物が存在しないという状況に、何らかの記号を割り当てる必要性など誰も感じなかったのだ。
それどころか、ゼロは長らく忌まわしいものとさえ考えられ、避けられてきたという事情もある。

構想力とは、「存在しないものを存在させる力」だと言ったが、数としての「ゼロ」の発見は、まさに人間の構想力によるものである。『構想力の方法論』では、構想力の歴史的な事例として、「ゼロ」の発明について解説した。

古代インドでは、何も無いという状態の「無」を数としてとらえ、「無」を数字という形ある物で表現しようとする考えが芽生えていました。背景には、「無」や「無限」という概念を含む宇宙観を持ち、哲学的に「空」や「虚」を追求した古代のインドの思想があったからだという説もあります。事の真偽はわかりませんが、いずれにせよ古代インド人は何らかの実践的な必要性のなかで、「無」が実在することを認め、ゼロを数として定義するという、彼ら以外は誰も思いも及ばぬことを成したのです。彼らは、想像力を働かせることで、存在しないものを、存在させたのです。0(ゼロ)を生んだのは、まさに人間の構想力によるものといえるでしょう。(『構想力の方法論』55p)

構想力ゼロ図


◇ 真空の発見

数学における0(ゼロ)の発明に類する科学上の発見に、「真空」の発見がある。
真空の実在をはじめて示したのは、イタリアのエヴァンジェリスタ・トリチェッリという物理学者である。ガリレオ・ガリレイの弟子であった。
0(ゼロ)の発明が一説には5世紀ころとされるのに対して、真空の発見は意外にも17世紀(1646年)の出来事である。トリチェッリは水銀柱を使った実験によって、「何ものも存在しない空間」が存在することを証明した。

真空の発見は、その後の近代科学の発展に決定的な役割を果たすことになる。原子と核と放射能エネルギーの世界への重い扉が、真空によって開かれることになった。

近代以前の科学で、真空の実在が否定されたのは、アリストテレスの真空嫌悪によるとされる。アリストテレスは、空間は必ず何らかの物質によって満たされているとして、「空虚はいかなる方法でも存在しない」(『自然学』第4巻)と唱え、真空の存在を認めなかった。「自然は真空を嫌う」とするアリストテレスの真空嫌悪説を、近代以前の人々は後生大事に守っていたのだ。
そこに人間の構想力が発揮される余地はなかったといえる。

こうした事情は、ゼロについても同じだったんだろう。ゼロがインドで発明され、西洋ではゼロの導入までに長い時間がかかったというのは、なにも西洋の人たちが無知だったからというのではなく、西洋哲学とゼロの相性が悪かったからとみられる。

ゼロは西洋哲学の中心的教義の一つと衝突した。
ギリシア人の宇宙全体が、一本の支柱に支えられていた。空虚などないという考え方に。
ピュタゴラス、アリストテレス、プトレマイオスが創造したギリシア人の宇宙は、ギリシア文明が崩壊した後も長く生き延びた。その宇宙には無などというものはない。ゼロなどない。そのため、西洋は二〇〇〇年近くゼロを受け入れられなかった。その帰結は悲惨だった。ゼロがなかったために、数学の発展と科学の革新は滞るし、ついでに暦も目茶苦茶になってしまう。ゼロを受け入れるために、西洋の哲学者はまず自分たちの宇宙を破壊しなければならなかった。(『異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』p.37)

ゼロの構想力、おそるべし、である。(つづく)


紺野 登
多摩大学大学院(経営情報学研究科)教授。エコシスラボ代表、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、一般社団法人Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『構想力の方法論』(日経BP、18年)、『イノベーターになる』(日本経済新聞出版社、18年)、『イノベーション全書』(東洋経済新報社、20年)他、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、12年) などがある。
Edited by:青の時 Blue Moment Publishing

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