ふくだこうしろう@物語性のある伝え方
希望を持って活躍している人を紹介する不定期発行の新聞"HOPE"のアーカイブです
責任感と思いやりがある人は「伝え方」に悩みがち。相手に振り回されたくないけど、リスペクトの気持ちは大事にしたい。出しゃばりたくはないけど、自分のことは印象づけたい。マナーも大切だけど、人間らしい関わりを大切にしたい。絶妙なバランスで人と関わるための「言葉に服を着せる伝え方」をお届けします。立場は弱くても、心は強く。一緒に学んでいきましょう。
株式会社藤大30周年を記念して描かれた創業ストーリーです。
【序章】 「目標」は、どうやって見つければいいか? どうやって実現すればいいか?◆多くの人が見落としてきた、意外な真実 ~ 教わることができない大事なこと ~ 僕たちの会話の九十%は、「過去」によってできています。 僕たちの会話には、「未来」について語る言葉がほとんどありません。「誰が何をした」という過去の出来事をもとにした愚痴やウワサならいくらでも話せるのに、「これからどうしたいか」という未来の目標や計画のこととなると、途端に考えが出てこなくなります。だから多くの人は
八月二十七日、北海道十勝の渕山農場で収穫祭が開催された。主催は農場を運営する渕山覚さん。今年は雨天の影響により、実際に収穫したのはスイートコーンとズッキーニのみ。じゃがいもやねぎは渕山さんが事前に収穫を済ませ、手分けして分配した。収穫後はバーベキューも開催、数ヶ月共に野菜を育ててきた参加者同士で労い合った。 始まりは三年前、「いろんな種類の野菜を育てて食べたい」という渕山さんの好奇心から。「どうせ作るなら、他の人にも野菜を育てて食べる楽しさを知ってほしい」と家庭菜園の会
登録者数四千人超のYouTubeチャンネル『管理栄養士EMI』が、八月で開設二周年を迎えた。栄養補給からロードバイクの走行動画まで、ジャンル豊かな同チャンネルが記念に公開した動画は、ロードバイクの300kmチャレンジ。大阪府東大阪市から京都府舞鶴市までの往復は、車でもひと苦労の距離である。 チャンネル開設のきっかけは、EMIさんのダイエットサポートの仕事。トレーナー自ら運動する姿を発信しようと思い、夫の尚悟さんの趣味だったロードバイクに便乗した。EMIさんのスポーツや栄
静岡県を拠点にオンラインサービスを手掛ける「コミュニュケーションジム」は、聴く力や話す力といったコミュニケーション力を鍛える珍しいジムだ。本格的にサービスを始めて一周年を迎えた。「二年目は会員さんと運営するサービスに挑戦しています」と代表の岩城正倫さんは語る。 音声配信、ブログ、SNS……ジムのさまざまな活動の発信を「コミュニケーションの練習」として会員さんに委託する。もちろん仕事としての発注だ。「善意に頼るだけでは続かないし、責任が芽生えないので」 岩城さんの経営感覚
9月2-4日にプーケット(タイ)で開催されるW杯へ、部員三名が学生日本代表として選出された。二宮龍之輔選手と濱野真拡選手は三年生、田中蓮選手は一年生、それぞれ初出場となる。 「三人とも自己分析を重ねてフォームを改良し、鍛錬を重ねた結果です」と竹山瑞恵監督は語る。自身もかつて日本代表を経験し、現在は監督業とフィンスイミングの普及活動に携わっている。 水泳部創設時、九州地区におけるフィンスイミングの競技人口は少なく、大会に出場する選手はわずか五名。そこから動画配信や広報活
こんにちは、福田幸志郎です。学年一人の田舎(熊野)で育ち、いろんな人とつながりながら、『人生の物語』を紡いでいます。人間や人生を理解するための勉強を分かち合っているので、興味がある人はぜひつながってください。 このマガジンでは「立場の弱いリーダーのための伝え方」をテーマに、学びになりそうな本や体験、講座等をお届けしていきます。物語に親しむような感覚で楽しんでいただけると嬉しいです。 今回は「『立場の弱いリーダー』とはどういうことか」についてお伝えします。一般的に、「リーダ
↓前回の記事を読む↓ 「フジテックス」から「藤大」に社名を変更して以降、ハルコは考えていたことがあった。 (せっかくなら、何かやりたいなあ) 社名を変えたのは、イメージ戦略の一環である。「フジテックス」では電子部品の会社のイメージが強くなる。「藤大」なら、業種のイメージがないから自由に挑戦できる。「自分たちの可能性に大きくチャレンジできる会社でありたい」という願いを込めてつけた社名だった。みんなの想いをカタチにできる事業を生み出したい、というのがハルコの考えだった。
↓前回の記事を読む↓ 「社長、問い合わせがきています」 この年の夏、転機は意外なところから訪れた。 取引先であるホッコー株式会社の計らいで、ハルコは中国へ出張することになった。製品を作る工場が上海、大連、蘇州にあり、外注先の経営者全員を工場見学へ案内するというのだ。現場の仕事続きで旅行などまともにできなかったハルコは、出張とはいえ解放感に満ちていた。 その出張中に、国際電話で社員から連絡が入った。通常業務の連絡なら、わざわざ国際電話はしない。何かトラブルがあったの
↓前回の記事を読む↓ 社名が変わったからといって、いきなりガラッと業務が変わるわけではない。ハルコたちは変わらず改善の日々を続けていた。 藤大(旧フジテックス)には、創業時から大切にしている方針があった。 「お客様のご要望にお応えする」 内職を引き受けた時も、会社にした時も、工場を建てた時も、すべては取引先からの期待に応えるためだった。その想いは理念にもしっかり込められていた。 『人がすべてと考え、人を大切に一人ひとりに思いやりを持って向き合います。』 業務の改善
↓前回の記事を読む↓ 変色問題に揺れる少し前、時を同じくしてマリコから指摘されていたことがあった。 「ハルちゃん、いつまで現場にいるの?」 まもなく創業から20年、しかしハルコは今も現場にいた。一般的な会社の代表であれば、経営戦略や外交、販路開拓に励む立場かもしれない。しかしハルコは品質や納期を理由に、なかなか現場を離れられずにいた。 (今私が現場を離れたら、取引先に迷惑かけずにやってけるんやろか) 目の前の作業のことを考えると、自分が現場に入る方が早く片付く。それ
↓前回の記事を読む↓ 「藤田さん、すみませんがうちの営業時間は17時までなんです」 納品先でチクリと釘を刺された。 「すみません。私も現場に入ってるんですが、どうしても夕方まで加工に追われてまして」 営業終了後の納品が常態化していることについて、ハルコもよくわかっていた。 千代川工場を閉鎖し、太田工場に一本化してからも、しばらくは苦しい状態が続いていた。工場一つ分の経費は削減できたとはいえ、まだ黒字にはできていなかった。ハルコも現場でフル稼働しているにもかかわらず、
↓前回の記事を読む↓ たとえどんなに気持ちを強く保っていても、現実の限界は訪れる。 「融資の限度額がいっぱいで、これ以上は借入ができません」 融資相談の席で、銀行の担当者が申し訳なさそうにハルコに伝えた。 覚悟はできていたが、ついにこの時がきた。長期的な展望を期待して今を耐え忍ぶだけでは、もはや先がない。心臓のあたりがキュッと締め付けられたような気分でハルコはうなずいた。 これまで何度も、あと一歩のところで世間の流行にあやかった受注に救われてきた。しかし今年に入
↓前回の記事を読む↓ この時期のハルコは、とにかくさまざまな手を打ちながらアイデアや突破口を探し続けた。 「場所だけあって、持て余しててもしゃーないやん」 名案が見つかるまで何も試さないのが一番もったいない。場所があるならまず使ってみる。アイデアはそこから生まれ、採算はその先で見えてくるはずだ。 早速、年度始まりには健康診断を新工場で実施した。これまではよそで受診してもらっていたが、太田工場の敷地なら健診車が入れる。例年と違う健康診断は社員にも新鮮だった。 そして
↓前回の記事を読む↓ 加工グループが立ち上がってから、少しずつ社内が混乱してきた。 「この資材はどっちの?」 「伝達ミス増えてるよ」 「あの人どっちのグループやっけ」 二つのグループが同じ工場で仕事をすることになり、業務の住み分けが難しくなってきたのだ。 新たな挑戦を始めれば、当然新たな変化が生まれる。「時代の変化に適応する」というと響きは良いが、実際の現場はそう簡単じゃない。 (どうにか場所だけでも分けんと、仕事として立ち上がっていかへんなあ) ハルコは物理的に
【大切なことを効果的に伝えるための「準備」を始めよう】講演のご依頼をいただいた時、会議やプレゼンの準備をする時、僕が一番悩むのは、「何を伝えたいか」ではなく、「何から伝えるか」です。 多くの場合、言いたいこと=自分が普段から大切にしていることなので、結論や答えは割とすぐに見つかります。だから、メッセージを見出すのは大して苦労しません。 問題は、それを「聞き手が受け取れるかどうか」の方。どんな素晴らしいことを伝えようにも、相手が理解できなければ意味がありません。この視点は、
↓前回の記事を読む↓ 「今のうちに次の手を考えておいた方がいいでしょうね」 取引先からの一言に悪意はなかった。むしろ、親切心ゆえの発言だった。 2000年代前半、半導体関連の各メーカーが海外に拠点を移し始めていた。海外の安価な人件費を頼り、現地に工場を建て、製造や加工をおこなう。それは時代的な流れであり、フジテックスで請け負っている検査業務もいずれ影響を受けることが目に見えていた。 「早めに教えていただいて、ありがとうございます」 あいさつのついでにそんな立ち話を