ベラルーシやウクライナのロシアとは異なる歴史/モスクワ国家のアレクサンドル・ネフスキーと「天幕のジャードゥーガル」
7月13日(木)雨
昨夜から雨が降っていて、雨雲レーダーを見ると線状降水帯っぽい線が生じていて大丈夫なのかなと思っていたのだが、雨量の強い帯は私のいるところよりはかなり南の方を走っていて、そんなには強くならなそうな感じがある。雨の強い地帯の方々はお気をつけくださればと思う。
昨日はどうも調子が良くなくて、仕事もそんなには進まなかったが、借りてきた「ベラルーシを知るための50章」が面白く、歴史の概説的な部分の1−5章まで読み終えた。とても面白く読めたのは今まで「ロシア史」(山川出版社、全3巻1995-97)で読んだこととか「物語ウクライナの歴史」(中公新書、2002)で読んだことのうちどうも具体的にイメージできなかったことがかなりこの本を読んで解像度が上がってきた感じがするということである。
一般の日本の読者にとって、ウクライナ戦争が起こる前の東スラブ世界においては中心はロシアだと考えるのが普通だったと思うし、自分もそういう意味で「ロシア史」を読んだ。ただこの時はやはり漠然としたイメージの方が強く、どのくらい理解したのかは割と不安なところが今考えるとあった。
「物語ウクライナの歴史」を読もうと思ったのは、2014年のクリミア併合の時だったと思う。クリミアは歴史的にロシアの一部でありドンバスもそうだという主張がロシア側から出て日本でも「ウクライナはロシア史の一部」みたいな言説の方が支配的だったが、どうもウクライナの人たちはそう考えていないようだということを知って読んでみたわけである。そこにはキエフ・ルーシ世界という古代のある種の統一のあったものが徐々に分裂していき、モンゴルの侵略によって断絶させられるとその下に入った東のモスクワ公国と西のハールィチ・ヴォルィーニ大公国、それに侵略を逃れた北のノブゴロト公国などが生き残ったわけだが、これらは全部リューリクの子孫であるキエフ大公の血統が分裂しながら支配者として君臨していたということを、本を読みながらWikipediaで確認してへえっと思った。
モスクワは12世紀前半のキエフ大公・ウラジーミル2世モノマフの六男であるユーリー1世ドルゴルーキーによって建設されたが、彼はモスクワではなくやや東の「黄金の環」と言われたスーズダリやウラジーミルという都市に本拠を置き、北東ロシアに蟠踞するがそれに甘んじず、キエフ侵攻も何度も繰り返したという。その孫に音楽のテーマなどにも良くなる英雄・アレクサンドル・ネフスキーがいて、彼の時代はスウェーデンからの侵攻やモンゴルの侵攻とも戦っているが、彼の父ヤロスラフ2世ははるばるモンゴルの首都・カラコルムまで出向いて第3代大ハーンのグユクの即位式に参加するが、そこで急死したという。
このグユクの母が昨年「このマンガがすごい!2023」でオンナ編1位にった「天幕のジャードゥーガル」の主人公・ファーティマ・ハトゥンが仕えたオゴタイの第6夫人ドレゲネで、こんなところでこの話につながってくるのかと驚いた。この即位式には他にもルーム・セルジューク朝のスルタンやグルジアやアッバース朝の使節なども参加した大規模なものだというのも初めて知って驚いた。
アレクサンドルはジョチ=ウルス(いわゆるキプチャク・ハン国)のバトゥやドレゲネの政敵・ソルコクタニ・ベキと協力し、ジョチ=ウルスの都のサライに出向いて臣従を約束したという。その息子のダニール・アレクサンドロヴィチは初代モスクワ公になり、その息子のイヴァン1世がモスクワ大公としての地位を固め、彼から6代のちのイヴァン3世が1480年にモスクワ大公としてノヴゴロドを強制的に併合するなどし、初めてツァーリを称し、完全にモンゴルの支配を脱したことになる。
キエフ壊滅後のルーシ世界では西方のハールィチ・ヴォルィーニ大公国の方がルーシ世界の正嫡とみなされ、モスクワは辺境の国家に過ぎなかったわけだが、1349年に滅亡して領土はリトアニアとポーランドに分割された。
この本で面白かったのはリトアニアの重要性で、彼らはバルト系の民族だがキエフが滅びジョチウルスが分裂していく中で現代のベラルーシからウクライナにかけて領土を拡大し、ベラルーシの文化を積極的に取り入れていったため、このリトアニア大公国こそがルーシの正統であるという認識もあったのだそうだ。ポーランドがカトリック国で自国の文化を押し付けたのに対しリトアニアは広くルーシ世界に受け入れられていったということらしい。
この両国は西方からの圧迫と東方のモスクワからの圧迫に対抗して1385年に同君連合を結び、1569年にはルブリン合同で一つの政体を持つことになったが、一応領域は別で、リトアニアの支配下にあったキエフなどはポーランドの支配下に入ることを望み、この時にポーランドに移管された部分が現代のウクライナ、リトアニアに残った部分が現代のベラルーシにつながる、ということらしい。
こういうのを読んでいると、現代のウクライナ戦争において、ポーランドやリトアニアがなぜ熱心にウクライナを支援するのかということもただ自国の防衛というだけでなく、別の角度からも見えてくる。そしてルカシェンコの狸のような行動形態も、ただロシアにべったりというだけでなくさまざまな可能性を探っている感じもこうした歴史と関わりあうこともあるのだろうなと思った。
プーチン・ロシアはこうしたウクライナやベラルーシの歴史には基本的に無頓着で、ルーシ世界の正統王権であるリューリク家の血を引くモスクワ大公がロシアを統一したんだから正統だ、ということなのだろうけど、ウクライナやベラルーシにしてみればモンゴルによる滅亡後はリトアニアやポーランドに支配されて別の歴史を歩んだわけで、そこには自分たちのナショナリティがあると考えることは理解できる。また先に書いたようにモスクワはルーシ世界では辺境に過ぎず、そこが強くなって全国を統一したからといって正統性は感じられない、みたいな感覚は鎌倉幕府の支配下に入った京都の朝廷みたいな意識があったのではないかと思った。
ベラルーシはソ連時代に比較的落ち着いた統治が行われたためにソ連国家への郷愁が強く、それがルカシェンコの独裁やロシア寄りの外交姿勢に今でも残っているわけだけれども、特にインテリにおいてはベラルーシの独自性=リトアニア・ポーランド寄りのアイデンティティというものは強く意識されているわけで、今後ベラルーシが西側よりの姿勢をとる可能性もまたあるようには思った。
と、今途中まで読んだ範囲でのロシア・ウクライナ・ベラルーシ三国についての認識の整理をしてみた。
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