カウンターカルチャーの零落した末裔たるサブカルとおたく職人の文化史の中で自分はどこにいるのか

3月13日(水)雪のち曇り

昨日はまだ疲れが残っていたのであまり仕事は進めず。なんだか横になっていた時間が多かった印象。それでも月曜はコンビニか買い置きのものでご飯も済ませていたのだが、昨日は銀行に記帳に行ったり西友に買い物に行ったりはした。少しは動くようになったということだけど、まだ自然に休息を取る感じが残っていた。

ただ、昨日は二つ自分の関心事にとっても大きい意味がある文章を二つ読んだので、その辺のところを書いておこうと思う。

一つはサブカルvsおたく関係の文章で、元々はこちらの喜多野さんが社会学者の古市さんの鳥山明さんを評価する文章・発言を批判する文章を読んでいた。

そこで引用されていた下の文章を読んで、いろいろ考えさせられるところがあった。

ついでにこちらの「教育界や社会学者がどのように漫画を弾圧してきたのか」という文章も、後で読んでおきたいと思ったので備忘として載せておく。

サブカルとおたくの対立、ということについては以前から言われていた、というか文章は読んだことはあったけれども、具体的にどういうことなのかあまりよくわかっていなかった。

こちらの解説によるとサブカルチャーというのは元々はメインカルチャーのハイカルチャー、つまり現代で言えばクラシック音楽とかハイアート、読書界のようなインテリおよびオーソライズ・ソフィスティケートされた文化に対する対抗文化、つまりカウンターカルチャーであったもので、それがやや零落した姿がサブカルチャーである、という指摘である。つまりハイソサエティや「支配層」、「資本主義」といったこの社会の主流に対するアンチテーゼとして文化的革命を志したものがカウンターカルチャーである、ということで、思いつくものとしては反抗の音楽としてのロックであるとか今でも左派が流れ込みがちなマリファナカルチャーであるとかヒッピー的な自然志向、瞑想などの方向性がそれだったわけである。

ただ資本主義文化の進展の中でカウンターカルチャーは勢いを失い、文字通りサブ的なものになり、零落していった。しかしサブカルチャーには志向としての「個人より社会」のベクトルがあり、そういう意味で他者志向的であった、と分析されている。

一方でオタク文化は自分の好きなものにとことんこだわるという「社会よりも個人」の姿勢から出発し、その「志の低さ」をサブカル側からはバカにされていたのに、その職人気質的な方向性により大きな花を咲かせ始め、むしろ「クールジャパン」的な国際性さえ獲得していくに至った、というわけである。

だから零落したサブカルの側は「志が低いくせに成功した」オタク文化を憎んだ、というストーリーでそれが語られているわけである。もちろんおたくの側も順風満帆だったわけではなく、特に宮崎勤事件では大きな打撃を受けたことはよく知られている。社会を志向していないが故にかえって反社会性の烙印を押されたわけで、それは大きな打撃ではあったが、それを乗り越えて現在の隆盛に至っているわけである。

サブカルはそうした起源からもともと左派的ではあったが、おたくも社会に受け入れられないが故の反政府性からくる左派性を持った人が多かったのだが、左派方面からの表現規制の強まりによって自民党支持、保守党支持に転換し、その辺りでもサブカルがおたくを憎むという構図が残ったということなのでもあるのだろう。

ただ、その流れから行ってサブカルの側が「表現そのもの」よりも「社会から評価される、社会に影響を与える」ことの方に重点があったのに対し、おたくの側は「表現そのもの」こそが最も重要なものであったわけで、そこに危害を加えられることは存在の根底に対する攻撃であったわけで、おたくがそこから政治姿勢を転換したのは当然、というか政治姿勢などはもともと二次的なものだった、ということなわけである。

この辺の図式を喜多野さんはわかりやすく解説しているので、大変自分などには役に立った。私はまさに同時代を生きていたのだけど、あまりそういうことに関心がなく、対立といってもどういうことなんだろうなという感じで見ていたのである。

私は漫画は80年代ニューウェーブ、恐らくはサブカルの流れを汲む作品が好きで読んでいて、子供の頃から宝島なども読んでいたし、ロックも好きだった。左派的な意味でのスピリチュアリズムにも関心はあったし、演劇もやっていたので、大きな流れとしてはサブカル文化の方により親和的だったのだと思う。

しかしそのことがアイデンティティであったわけではないので、東京に出たのをきっかけに美術館巡りなどにも結構出かけたし、映画もハリウッドや日本のロードショー映画よりも単館上映のヨーロッパ映画の方を好んで見ていた。漫画に関しては少年誌で読んでいたのは「ストップ!ひばりくん」くらいになっていて、スピリッツ・モーニング系の作品を読む感じにはなっていた。90年代には新しいものはほとんど読んでないし音楽も聴いていないので、その辺が自分の中で欠落した歴史に放っている感じである。

ただ、こういう文化の中で自分がどの位置にいるか、などということはほとんど考えたことがなく、「自分が好きだと感じるものが好きだ」というスタンスで来たので、基本は文化的雑食主義であり、本に関しても乱読主義だったから、そういう意味での系統性には欠けている。というか学問的にも歴史学を専攻してはいるが、その動機は「歴史なら全てのものに触れられる」というものなので、もともと「なんでもあり」の精神が強かったわけである。

しかしなんとなくいわゆるおたくカルチャー的なものには抵抗はあって、自分がジブリ映画を初めて見たのは2008年になってからだし、その辺りで友人に視野の狭さについて指摘されて、より幅広く読んだり見たり聴いたりしようと志した感じである。それは一つにはマンガでも「80年代ニューウェーブ」的な方向性の作品が先細りしてきて、白洲正子的なハイカルチャー方面に関心が伸びていたのだけど、そちらにも行ききれない、やはりある種の批判される意味でのサブカルチャー的な姿勢が自分にもあってそこで行き詰まりが生じていたのだろうなと今では思う。

だから姿勢を転換してもう15年以上にはなるのだが、この辺りで自分のそういう文化的スタンスについてももう一度考えてみるのも良いかなという気はした。その時に、全体の見取り図があるのは考える上で手助けになるので、この文章はありがたかったなと思う。


もう一つは冷戦期についての文章、これは元々は「冷戦」上下という大作に対する批評なのだが、これもとても自分に刺激になった。まだこの本は読んでいないので塩川さんの書評を通してしかこの本を見ていないから正当に判断できない部分が多いのはお断りしておかないといけないのだが。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/notes2013-/AonoToshihiko.pdf

本来今日はこちらについて書くつもりだったのだが、おたくサブカルの話がちょっと深掘りし過ぎてしまったので時間的にどれだけ書けるかはわからない。ただこちらも自分の現在にとってとても大事なので、書きたいかけてみたのだが時間がかかりそうなので更新はまた改めてにしたいと思う。

またこのサブカル・オタク・自分の文化史みたいなあたりももう少し考えてより自分にとって納得のできるストーリーにしてみたいと思う。

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