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世界中で愛される、日本の「マンガ・アニメ」は、社会学者や教育学者によって不当に弾圧され続けてきたことを掘り起こしておく

鳥山明氏の訃報から

2024年3月8日、漫画家の鳥山明先生が急逝されたことが報じられた。
「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」そして、ゲーム「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインなどで、日本中で鳥山明氏の作ったキャラクターを一つも知らない人のほうが少ないだろう。


早すぎる!なんでこんなに早くに逝ってしまうんだ!と思った。
リアルタイムでDr.スランプは読んでいたし、ドラゴンボールのアニメは息子が小さいころに一緒に楽しんでいた。そしてしっかり、うちにも「スライム」がいる。

氏の訃報に触れて同様に思った人は多い…それは、日本中…どころではなかったようで、訃報は世界中を駆け巡り…「ドラゴンボールを探しに行こう」というフレーズが世界中で大発生。

フランスのマクロン大統領まで…

マクロン仏大統領…スゴイのもってるじゃん、マンガ好きだったのかしらねえ。

中国外交部も哀悼の意を…。ドラゴンボールは西遊記の設定が一部ベースになっているので、中国人民にも親しみやすいものだったろうとは思うが…人気だったのね。

 

日本文化としてのマンガ・アニメ、そしてオタク文化

世界中から鳥山明氏の功績を讃え、冥福を祈るメッセージがあふれる中、本邦の官房長官談話のショボさが…際立つ。

官僚が原稿を書いたのかもしれぬが、もうちょっと盛大に功績を讃えてもよいのではないか…と思う。

よその国の人が、「日本」に興味・関心を持つきっかけとして、すでに「マンガ」「アニメ」は重要な位置を占めている。

「日本といえば芸者、富士山・浮世絵」の時代ではないのである。 

 

文学オタクによる「マンガ弾圧・迫害」の歴史をひもとく

非常に無粋ではあるのだが、ここはやはり「マンガ弾圧・迫害」の歴史をひもといて、まとめておく必要はあるだろう。

社会学者や教育学者が、相当昔からマンガやアニメを貶めるためのウルトラ詭弁を、世間にまき散らしていたのである。

それはたいてい「教育」に関係する文脈で語られる。

昭和30年(1955年)の保護者向けの教育指南書から

『お母さんから先生への100の質問 勝田守一 国分一太郎編 中央公論社 1955』という書籍に収録されている、日高六郎氏の記述をみてみよう。


のっけからかなりたちが悪い。

「親にはやめろといわれ、マンガは悪いものだと認識しつつ、マンガが好きだからやめられない」という児童の作文を引っ張り出し、これを読んだ「母親」に対して「そんなに好きなら読ませてもいいと思う人もいるかもしれない」と、その気持ちに対して理解があるかのような書きクチでスタートする。

典型的な「Foot in the door」方式の書き方である。

この作文を書いた小学生は、なぜ「映画やマンガ」と「チャンバラごっこ」を結びつけたのであろうか?
先生たちがそう言うから、でない保証はない。

少なくとも、この小学生の作文がここに登場するまでには複数の教員が介在している可能性は高い。

偉い先生が、リアル感のある「語り」を引っ張りだしてきて、疑問を生じさせにくくしつつ、うっすら説得力を持たせるという、昨今のジャーナリズムでもお馴染みの手口でもある。
 

ここから先もなかなか巧妙だ。

教育学者の中にも子どもたちは漫画を読んで平生おさえつけているいろいろな欲望を「解放」させているのだから漫画や絵入り物語を読むのはさしつかえないことだ、と考えている人もいます。実際、子どもの好きな漫画を無理にやめさせて、いやがる「良書」をおしつけて読ませる(そのようなことができるかどうかは別として)ことよりも、自由放任主義の方が、まだましかもわかりません。
 しかしおしつけ教育主義がまちがいなら、自由放任主義も間違いなのです。

ちょっとまて…といいたくなる。

どこの誰ともわからない教育学者の「心理的解放」を理由にした漫画容認論を引き合いにだしつつ、良書を押し付けるよりも漫画を容認する「自由放任主義」のほうがまだマシかも…と、読者の思考をゆさぶりつつ

「漫画容認=自由放任主義」というラベリングが、いつの間にか滑り込んでくるではないか。そしてその後もそれを前提とした議論が続いていく。

なぜ子どもたちは漫画を好むのか。その一つの理由は、ひと目でわかる誇張した画と一緒に「ヤラレタ!」「マテッ!」といかいう簡単な文字をなら
べて、少しの努力もいらずに、楽に、面白く読めるからです。しかしそれでは子どもは成長しません。子どもの成長のためには、ある程度努力して読んでいるうちにいつのまにか心がすいこまれていくような本がよいのです。

「漫画は努力をしなくても読める」という謎の設定が出てくる。

そして、それを根拠に
「漫画ばかり読んでいたら子どもは成長しない」
「子どもの成長には(絵のない)こういう本がよろしい」
が導き出される。

ここを反転すれば、大人になっても漫画を好むような者は、本を読む努力をできずに成長しなかった者というラベリングまでできてしまうではないか。

こうして読んだよい本の印象は、子どもたちの心に、長い間ゆたかでたのしい思い出を残すでしょう。ただその際、子どもたちも最初はある程度努力しなければならない場合があるというところに、子どもたちの努力をたすけはげます、よい指導者が必要になってくるのです。お母さんがたもこの点で大きな責任があります。

「子どもを成長させるよい指導者」、ああ、なんと耳障りのよい言葉であろう。

あまり忙しくもなく過ごしている母親層にとっては、それを目指すことで充実感を得られる仕組みである。

頭からとめるのがいちばんの禁物。こどもはかならずかげでこそこそ読みます。「悪い」とかんがえながら、かくれてよむのが、子どもの心には最も有害です。

『子どもの心への有害性』を盾にとって、読者に「よい指導」を押し付けてくるんですねえ。

ああ、不安商法。

一緒に読んだり、読ませたりするうちに「どこがおもしろいのかしら、おかあさんには、同じことばかりで、あまりおもしろくないな」といってみましょう。よい・悪いというような「道徳的」なめどよりも、おもしろい・おもしろくないというめどのほうがきき目があります。

ご丁寧に、こどもを「成長させる」ための方策として、漫画を否定するやり方まで教示しているではないか。

ここには「漫画は同じことばかりでおもしろくない」という大前提がおかれている。

 そういうやり方をしながら一方でよい童話やよい漫画を、きかせたり読ませたりします。そして、それと「悪い」漫画や物語とくらべさせます。そんなとき、兄弟や近所の子どもさんたちと一緒だと、なおよいのです。子どもたちに、たがいに感じたことを自由に話させあっているうちによい童話などに興味をもってくる子どもがでてきます。

さんざん「漫画はよくない」という前提で話をしながら、いきなりここで「よい漫画」なるものが出てくるのだが、これは単に「よい漫画はないというのか?」と問われることへの予防線かもしれない。


漫画などに読みふける一つの理由には、読書をするときのまわりの様子があまりにひどすぎるということもあります。騒がしい物音や人声にとりかこまれ、たえまなくお手つだいをいいつけられ、せまい一間に何人も一緒に生活しているようなところでは落ちついて、じっくり読んではじめておもしろみがわかるような本は、不向きなのです。

ここで「子どもたちのせいにしない」ために、劣悪な生活環境のせいにするという手口が登場する。

すべては劣悪な生活環境の改善に力を注がない反動政府のせいということだろうか?

まあ、

ある紡績の女工さんは、元気なときにはシューベルトでも聞きたいと思っても、くたくたにつかれはてたあとでは、つい「トンコ節」や「お富さん」が口から出てしまうといっています。

女工さんの語りを借りながら、西洋のクラシック音楽を「よい文化」として持ち上げ、日本の流行歌である「トンコ節」や「お富さん」を低俗で忌むべきものとして貶めるものであろう。

冒頭の児童の作文もそうだが、「語り」を正当性の根拠にもってくる手口である。

音源がyoutubeにあったので、載せておくが、この選択自体が、かなり恣意的である可能性はあるだろう。トンコ節が1949年1月発売、お富さんが1954年8月発売。

ああ、両方ともなかなか調子のよい歌である。

 
だが、この「女工の語り」も、単に、紡績工場の余暇活動等でいろいろお勧めされても、その女性は、あまりクラシック音楽になじみがなく…という話だったかもしれない。

日本的な調子のよいリズムと節回しは、西洋音楽とは一線を画す部分があり、それが、西洋クラシック音楽を「高尚」と位置付けたい学者先生たちにはお気に召さなかったに過ぎないのではないだろうか?

ちなみに、トンコ節の発売された1949年のヒット曲のなかには「青い山脈」や「長崎の鐘」もある。
しかし、なぜかこのあたりはやり玉にあがりもしないw。

1952年発売の美空ひばりの「お祭りマンボ」もなぜかスルーされる。

結局のところ日教組講師団の学者先生方こそが「ケシカラン」で赤本漫画を叩いていた戦中の内務省方面の感覚を、受け継いでいたのではないだろうか。


大人たちが荒れた気持ちでパチンコでもやって、うさ晴らしをしている社会のなかで、子どもたちだけに「まじめな本を読みましょう」といっても、あまりききめはなかろうと思われるのです。

それにしても「教育上よろしくないマンガから子どもたちを引きはがして両立な文学を」を言うために、

①西洋クラシック音楽と、日本の流行歌に上下をつけ
②人間は疲れていると低俗方向に流れるといった印象を作りあげ
③そこから、大人社会の荒廃がその根源であると、問題を拡大する。

なかなか凝った手口であるが、前段から合わせると「子どもの成長を考えて行動する、文学推しの進歩的な父母」だけは免罪されていることに注目しておきたい。

もしかしたらこのあたりが「意識高い系」や「オタク叩き」の萌芽かもしれない。

最後に一つ。こまった漫画や読物がみちあふれていても、その取りしまりを「お上」でやってもらった方がよい、などと夢にも考えてはなりません。神奈川県などでは県の条例ができて、不良図書の取りしまりをやっていますが、ちょっと考えると一番手っとりばやいと思われるこの方法は、必ずいつかは言論のいろいろの取りしまりの口実に利用されるだけです。「お上」に頼らず、父母のちからでこまった出版物を追いはらうことこそ、子どもたちの文化だけではなく、日本全体の文化を守るためにぎりぎりに必要な自主的態度だと思います。

制度を使った悪書規制は、言論弾圧の口実になるかも…というあたり、それなりに反転の可能性についてわかってるようにも受け取れるが、

『「お上」に頼らず、父母のちからでこまった出版物を追いはらう』ことを善しとしていることに注目しておきたい。

もうちょっと時代を下り、1960年代後半になると、学者がマスコミを通じて問題にしたり、PTA団体や母親団体が出版社等に抗議をしたり自主規制を求めたりということが増えていくこと考えるに、ここも案外問題であるようにおもえるのだ。

①「こまった出版物」を誰が決める?
②許容される追いはらいの手段は?

といった問題が含まれる。

ここまでで問題にしてきた日高六郎氏の文章が収録されている『お母さんから先生への100の質問 勝田守一 国分一太郎編 中央公論社 1955』  は、翌年に続編『お母さんから先生への100の質問 続 勝田守一 国分一太郎 丸岡秀子編 中央公論社 1956』が出ており、これにもまた「マンガばかり読む困った子対策」といったものが出てくる。

『お母さんから先生への100の質問 続 勝田守一 国分一太郎 丸岡秀子編 中央公論社 1956』


『お母さんから先生への100の質問 続 勝田守一 国分一太郎 丸岡秀子編 中央公論社 1956』

【A】マンガ対策
①マンガを授業でとりあげ
②あらすじを子供に抽出させ
③マンガに出てくる暴力性について検討させた
④マンガはみんな筋が同じとわかる子がではじめた。
⑤名作児童文学をマンガ化したものより、原作が面白いと気づく子がではじめた。
【B】よい本を読ませる対策
Aのほかに日々、よい児童文学作品の読み聞かせもした。
【C】結論
このようにするとマンガに流れない子どもが育つ。

冒頭で取り上げた日高六郎の文章の後半で「策」として紹介されているものが、詳解されているといったところである。

この時代だと「長編マンガ」というものが少なかったがために、こういう子供だましが通用したのかもしれないが、「漫画は低俗」という大前提がおかれている。

1970年の日教組教研集会報告から

1970年の日教組教研集会報告を読むと、社会学者の稲葉三千男氏が、実に盛大かつ荒唐無稽な「マンガ・アニメ批判」を繰り広げている。 

丁度、永井豪先生のハレンチ学園がエロ扱いで大々的に批判された時期なんだけど、とにかくマンガはすべて低俗扱いというところだ。

この時期になると様々なルートから、出版元に直接圧力をかけていくというやり口が常態化していたようだ。

日本の教育20 日本教職員組合 一ツ橋書房 1971

こういう動きになる以前に、1955年前後に児童文化関連の団体等が少年雑誌のに対するネガティブキャンペーンを張り、それがある程度の成功を収めてしまったことが関係するのかもしれない。

1952年に発足した日本子どもを守る会という団体がその要となった模様。

日本子どもを守る会の副会長であった菅忠道氏の著書『児童文化の現代史』には以下のような記述がある。


売上2割減…はかなり痛いだろう。そこで漫画作家や出版社が売り上げ対策として、その時点では「日本子どもを守る会」に若干譲歩する羽目になったようだ。

さて、1970年の稲葉三千男氏の記述に戻ろう。

それから今度はマンガ週刊誌ということで、これも少女向けのあるマンガ週刊誌の、今年の一月一日号をみますと、「大長編本格純愛ドラマ堂々新連載、カラー付き五一ページ、人生とは一体何なのか、ひたむきな愛に生きる若い男女の青春の苦悩、少女漫画界のエース×××××先生がおくる大河ドラマついに登場」というふうになっておりまして、五十一ページを読んでいきますと、途中には「おれのおやじは部下の女事務員に惚れました。惚れてちょっかいを出しました。だけど女には夫がいました。それでもおやじは女を追いました。馬鹿な中年男は愛の破局を知り、そして女を殺しました。おまけに自分も海に飛び込んでしにました。」私なんかも「馬鹿な中年男」に属していますし、「現実」世界にはたしかに「馬鹿な中年男」もいないわけではありませんから、子どもにも早くからこういう「現実」を教えておくのも悪くないかもしれませんけど、こういうマンガが「本格純愛ドラマ」と名打って出てまいります。

日本の教育20 日本教職員組合 一ツ橋書房 1971

マンガを貶めたいお気持ちだけで筋書きをピックアップしてるとしか思えない。

文学ならよくてマンガだとアウト…というところだろう。 悪意満々で筋書きだけピックアップしたら、同程度のヤバさが醸し出される文学作品なんていくらでもあるだろうに…。

森鴎外の「舞姫」とか、田山花袋の「蒲団」とか…ああ、極悪非道か変態か?という筋書きのピックアップの仕方はできてしまうではないか。

…」で終わりになって、後は次号をお読みください、ということになっています。こういうザラザラして、しかもジメジメした感傷過多で、センチメンタリズムの刺激が、子どもの感受性をどういうふうに荒っぽくやすりをかけているかということを、私たちは考えてみる必要があると思います。

日本の教育20 日本教職員組合 一ツ橋書房 1971。

マンガの表現はなんにしろ「子どもたちの感受性に悪影響を及ぼす」といった主張のようだ。

少年漫画は暴力的で軍国主義、少女漫画は感傷過多、いずれにせよ子どもの感受性の正しい発育によろしくないというのが、この方面の共通した主張のようだ。
このあたり、能力観に「美的感受性」を取り込んだ戦前の教育学者(と、それに乗っかった児童文学の動き)の影響を感じなくもないが、まあ、その件に関してはまた稿を改めるとしよう。

アニメに関しても荒唐無稽な批判が繰り広げられる。
この時期は、まだ「マジンガーZ」のアニメがスタートする前だったので、ロボットものはやり玉にあがっていない。やり玉にあがっているものはスポ根中心である。
なんとアタックNo1は、ナショナリズムの称揚であり強国主義、大国主義のアラワレだから危険なんだという。

円谷プロの特撮ドラマを取り上げ「被爆者差別!」と騒いでもいる。そう、あの封印されしウルトラセブンの「スペル星人」だ。

マンガ叩きの構図は…

とにもかくにも、マンガもアニメも特撮ドラマも、「健全な児童文化の発展」を願うといった名目で、教育学者や社会学者によって、極めて不当におとしめられてきたのだ。

①学者が煽り
②児童文学者や母親団体がエスカレートさせ
③新聞などがそれに追随

という構図である。

そこには「活字文学こそが崇高」という傲慢さがあるだけではない。教育学者や社会学者の文化支配欲求があったのではないだろうか?

彼らが唯一、完全に打ちのめすのに手を焼いたのが「漫画」であったのだ。彼らは「図や画」で表されるものに思い切り抵抗を示す。
 

変わらない詭弁ロジック

「マンガ弾圧・迫害」のロジックは、近年しばしば起こっている「萌え絵叩き」や「オタク叩き」と、その批難の構造が非常に類似している。

昭和30年代からやり口はかわってない。 「悪い文化」と「良い文化」の二分法をベースにした詭弁の山。

そして、日高六郎が展開した「漫画の筋はみなおなじ」の域をでないものが殆どである。

基本「イチャモン」である。

「あらすじ抽出」の利かない、ゲームキャラや萌え絵に関しては、イチャモンをつける側が勝手にアラスジや裏の意味を付与して、それを非倫理的だといって叩くといったマッチポンプ構図も多く見受けられる。

漫画が苦手な人はいるかもしれないが…

漫画が「苦手」あるいは「嫌い」な人はいるだろう。
読むために使う脳みそが違うのだと思う。

言語処理というのは時間軸に沿った一次元処理が主体である。
それに比して図画というのは、二次元あるいは三次元の処理が主である。

大量の図画で表現される「漫画」という表現形式を考えるに、画像処理が苦手で言語処理に特化した人には「むずかしい」ものなのかもしれない。

(高性能なCPUをもちながら、貧弱なGPUと貧弱な画像メモリしか持たないようなものである。ただ、人間の場合、割と可塑性があるのでトレーニングもできるとは思う)

萌え絵一つでも、盛大に読み違いをする例は後を絶たない。
ああ、きっと「読み間違い」だよ、彼らには「難易度が高い」のだ。

彼ら個々人に対しては「ああ、読めないのね」と、理解してあげてもいいだろう。

だが、漫画、アニメ、ゲーム、萌え絵等にイチャモンをつけて、貶めたり、社会から排斥しようという社会運動に関しては、断固対抗していく方がよいのではないかと思う。

いったい、どれだけの漫画、何人の漫画作家がこれまで、運動家社会学者や運動家教育学者の標的にされてきただろうか?「ドラゴンボール」ですら、やれ暴力的だとかいう批判がそれなりにあったように記憶する。

理不尽なイチャモンを吹っ掛ける連中と闘い続けた作家といえば、永井豪先生が、その筆頭だろう。

令和6年能登半島地震に際し、輪島市にあった永井豪記念館が全焼の報が流れた。しかし、その後の調査で、展示物の多くが焼失せずに現存していることが確認された。

焼けずに残ったグレートマジンガーのフィギュアは、能登復興のシンボルとなることだろう…と思ったら、もうなっていたようだ。


そもそも、文字と画を混在させる表現や、特徴を強調するデフォルメ表現、キャラ化など、本邦ではかなり伝統ある表現手法である。

絵巻物…と呼ばれるものは平安時期にはすでにあった。


漫画もアニメも、立派な日本の文化の一部である。
文字文化至上主義にはそろそろ決別するときが来たのではなかろうか?



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