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フィジカルに訴えかけたいのだよ(宮崎の片隅のランニング日記 20)

第20回 

11.20km Running(2022/05/15)
10.30km Running(2022/05/24)


フィジカルに訴えかけたい。
咄嗟に思いついた言葉だった。体の疲労を感じたいのだよ。体がクタクタに疲れることを欲している。

なんでそう思うようになったか。
僕の仕事はライターなので取材日や打ち合わせ以外はほとんどデスクワークだ。しかもこの1年間はその打ち合わせや取材さえもオンライン化してきたので、一日のほとんどは家の中。それで10時間以上は机かちゃぶ台でカタカタとキーを叩いているし、それがほぼ毎日続くのだ。

気晴らしの時間をわざとつくってコンビニまで散歩がてらコーヒーを買いに行ったりしない限りはずっと家の中。意識しないとほとんど歩く機会はない。そんでほとんど同じ姿勢だ。作業が溜まっていたり締切間近だと、時間勝負なゆえなおさら外に出る機会は少なくなる(気分転換した方がいいに決まっているのだが、メンタル的に切迫している)。

PCばかり眺め、ひたすら同じ姿勢でカタカタし、マルチなタスクを解消することに頭を働かせ、いろんな調整に神経を尖らせる。そんなことを毎日しているとメンタルに悪いのか、かなり嫌なヤツになっていることに気づいた。そう、たぶん余裕がないのだ。

間違ってもライター仕事が楽しくないとかそういうわけではない。ただ単純に同じ姿勢で長時間デスクワークまたは頭使う仕事をしているとメンタル削っていくのだろうなという気づき。

だからこそ、ランをする時間ってのは僕にとって心身の健康に直結しているなと思った。1時間ほど走ることでいろんな景色を目にする。全身の血流が良くなるのがわかる。走り終えたあとにやってくる達成感。このうえなく気持ちいい。最高の気分転換。

体が疲労することを求めている。体が疲れることがかえって気持ち良い。なんだかちゃんと生きていることを感じられる。

それにこれはよく人から言われることだが、だいたいランをしたあととか、体がちゃんと疲労しているときの方が「いいヤツ」でいることが多い。なんだろ、憑き物が落ちているからだろうか。実際のスケジュールとは裏腹に心に余裕があるからだろうか。

なんだろ、日常生活においても仕事においてもフィジカルさに訴えかけたい。フィジカルな生活と仕事を取り戻したい。とくにこの職業において働いている最中にそのフィジカルさはどのように享受できるのか。

心地よう働いて心地よう過ごしたいのさ。

さてさて、5月は忙しさにかまけてあまり走れてないし、ラン日記も滞り中だ。



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