母子家庭コンプレックス🥀後編
『母子家庭コンプレックス🥀前編』
↑の続き
高校1年の時の母の誕生日、
一通の大きな封筒が我が家に届いた。
三菱だったか三井だったかはっきりとは覚えていないが、それは父方の祖父の遺言だった。
内容は要約すると
「孫のまりあには一銭もやらん」という、
私には何の利益もない文章だった。
母は「血も涙もない一族」「せっかく忘れて暮らしてたのに」「一円もくれないなら今更思い出したくなんてなかった」「人生で最悪の誕生日」などと、会ったこともない父の家族を罵っていた。
その遺言の中で、一つ新しいことがわかった。
「長男である故・〇〇」と書かれており、私の父はとっくに死んでいるという情報が掴めた。
中学の頃こっそり母子手帳を盗み見て、
名前と生年月日くらいは把握していたので、
「今頃は〇歳か…いつか会いに行きたいな」
などと考えていた私の幻想は無残に散った。
この父方の祖父遺言事件は、
私の心に大きな影を落とした。
母が父の家族のことをボロクソ言うのを聞きながら、私は今までに感じたことのない酷い疎外感を覚えた。
お母さんはそんなにお父さんが嫌いなの?
私のお父さんはそんなに極悪人だったの?
私だけ、この家で変な血が混じっている。
私だけ、この家で仲間外れだ。
自分を形成するルーツの半分が、
何か得体の知れないもののように感じて、
自分が何者なのか、私はここにいてもいいのか、もしかしたら母は私のことも嫌いなんじゃないか。
そう考えれば考えるほど、怖くなって、
家族のことも信じられなくなって、
次の日には学校で泣き出してしまったことをよく覚えている。
それからというもの、今まで一切父親の話題を口にしてこなかった母は、もういいだろうとばかりに父親の悪口を解禁し始めた。
私が言うことを聞かなかったりすれば、
「まりあは悪魔の血が混じってるから、お母さんの言うことが聞けないのね」
「あーあ、お母さんはこんなにも天使なのに、まりあはやっぱり悪魔の子なのね」
と私のことを悪魔呼ばわりするようになった。
私個人の問題を叱られるならまだしも、
私が自分ではどうしようもないルーツまで貶されてはとても一緒には暮らせないと思った。
とにかく実家を出て遠くに逃げるしかない。
関東の大学に進学して、一人暮らしを獲得した。
ちなみに現在はいっそ開き直って、
†歴史の闇に葬られし悪魔の一族の末裔†
と自称しながら悪魔ライフを満喫している。
「まりあが20歳になったら、
お父さんのことを教えてあげる」
母にはずっとそう言われていて、
20歳の誕生日から約2週間後、年越しついでに
父の謎を解き明かすべく、実家に帰省した。
母が涙ながらに直接話してくれるのかと身構えていたが、実際は分厚くて古いファイルを山程渡されただけだった。
「これを読めばわかるから」と言われ、
その夜は遅くまでそれの解読に必死になった。
それは離婚裁判の資料だった。
どうやら父は大の酒好きだったらしく、
一切酒が飲めない母にはそれが異常に見え、
父の束縛的な態度から、日常的にモラハラされているように感じていたらしい。
資料の中で母側は
「いつも私の作った食事を食べた後、オェッてえずくんです!深く傷付きました!」
と主張していた。
しかし、そもそも母は結構なメシマズな上に、
私も昔から食後にえずく癖がある。
「ああ…これは多分悪気があったんじゃなくて体質だな…そして見事に遺伝している…そしておそらくこの頃から母の料理はゲロ不味い…」
と、父を密かに気の毒に思った。
そして父は、すぐ借金する癖があったという。
ある日、1000万円の借金をしてキャンピングカーを買ってきたらしい。
このエピソードはさすがに笑った。
自分の夫がこれだったら東京湾に沈める。
親権争いのシーンでは、母側が
「夫は元カノと海で心中未遂したことがあります!そんな人に子供は育てられません!」
と主張していた。
このエピソードもさすがに笑った。
父のあだ名が「太宰治」になった。
決定打になったのは、父の飲酒運転だった。
裁判期間中に、飲酒運転で事故を起こして逮捕されたらしい。
幸いにも相手は無事だったようだが、
父は教師をやっていたため新聞沙汰になり、
懲戒免職にもなったとかならないとか。
そして私の親権は母が獲得し、
父は私の人生から消え去ってしまった。
その後、一人ぼっちになり仕事も失った父は心の病気を患い、裕福な親の援助で一人暮らしをしていたものの、ある日自宅で変死体で見つかったらしい。
自殺で遺書がない場合、警察では“変死”という扱いになるらしい。
「もしも母と離婚しなければ、死んだりしなかったかもしれないのに」と少し母を恨んだ。
父は、いわゆるメンヘラだったようだ。
結婚後は「友達と会うな」「仕事も辞めろ」と母の交友関係を狭めようとしたり、「どこで何をしているか逐一報告しろ」と束縛したり、
夜行性で朝は弱くメンタルも不安定、
酒に溺れたり、元カノと心中未遂したり。
アル中以外は私にそっくりだと正直納得した。
おそらく父は私と同じ「束縛はしたいしされたいし四六時中ベタベタしたいしお互いさえいれば良い唯一無二な関係を望むタイプ」だったのだろう。
それは母のような「束縛なんてゴメンだし自由に自分の好きなことしたいし明るくハッピーな関係を望むタイプ」から見れば異常者であり、特に結婚相手としては大敵で、
「なるほど、母が父を極悪人扱いしていたのも無理はないな」と納得すると共に、
「父は本物の極悪人ではなくて、クズでどうしようもないところはあるけれど、ただ愛情を欲していた普通の男だったんだ」と安心できた。
何事も“相性”であるのは、確かだ。
もう会えることはない、愛すべき父へ。
来世はちゃんとメンヘラと結婚してください。
物心ついた後に両親が離婚した人なら、
「あんな父親居ない方がよかった」
と言うことも多い。
一方私のように、ずっと母親だけで、
父親の存在を黒歴史のように隠され続けたり、
会ったこともない父親の悪口を言われ続けたりした場合は、いくら実際ダメな父親でも、
「居ない方がよかった」なんて思えないのだ。
自分の存在を疑問に感じたり、
居場所を探して苦しんだり、
母親に対して無闇に恨みを抱いたり、
持たざる者は持つ者を憎む。
幸せそうな一般家庭でのうのうと育った
温室トマトのような人間を見てはイラつき、
バージンロードをハゲた父親と腕組んで歩く
美しい花嫁を見てはムカつき、
休日のショッピングモールでベビーカーを押す
若くて爽やかなパパを見かけてはイラつき、
パパのカードで全身脱毛や歯列矯正をする
女子大生に出くわしてはムカつく。
もうずっとそうやって、生きるしかないのだ。
だって、母子家庭だもん。
ちゃんとした大人になんてなれないよ。
だってほら見て、パーツが足りてない。
“本当の私”は、一生出来上がらないよ。
もう一生手に入らない“父親”という存在に
永遠に恋焦がれ、己の人生の理不尽に苦悩し、
大輪の黒い感情を汚らしく咲かせて生きる。
そんな私は、いつまでも
“母子家庭コンプレックス”だ。
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