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母子家庭コンプレックス🥀前編

私が幼い頃、母はよく
「マリア様は、結婚せずにイエス様を産んだのよ。お母さんもマリア様と一緒なの」
などと言っていた。

幼かりし私は、どうやったら子供が生まれるのかなど知っているはずもなく、
世の中には『ママとパパがいる子供』と
『パパは最初からいなくて、ママさえいれば生まれることができる子供』の2種類が存在し、
私は後者なのだと勘違いしていた。

小学校高学年になると、流石にそれはありえないことに気付く。
物心ついた頃から父親がいなかった私は、
「私のお父さんはどんな人なんだろう」
「どこで何をしているんだろう」
「会ったことがないのはどうしてだろう」
と考えるようになった。

🥀幼稚園の頃の違和感

私が実家を出るまでは、母と祖父との3人暮らし。母は厳しく気難しい一方、サンリオ好きでアイドルオタクな夢見がちな箱入り娘。おじいちゃんは若々しくて聡明でいつも格好良くて誰からも好かれる優しい人だった。

幼稚園の頃、母の日や父の日に家族の似顔絵を描かされた経験がある人は多いだろう。
私の場合、母の日は問題なくこなせるのだが、父の日は少し苦手だった。
周りの子が父親の似顔絵を描く一方、私だけはおじいちゃんの似顔絵を描く。

「なんでまりあちゃんはパパの絵じゃないの?」
何も知らない子は当然そう訊いてくる。
自分を“パパなんて最初からいなくてママだけから生まれたイエス様と同じ特別な子供”だと思い込んでいる私は、誇らしげにこう答える。

「私はね、もともとお父さんいないんだよ!」


🥀小学生からのコンプレックス

幼稚園でちょっといじめられていたことから
「あんな野蛮な同級生のいる公立には行かせられない」とムキになった母のおかげで、
私立の小学校に入学することになった私。

県内では珍しい私立の小学校ということで、
親が医者だとか重役だとかの裕福なお坊ちゃんお嬢ちゃんに囲まれてはいたものの、
同級生達は皆いい子で大好きだった。

高学年の頃からだろうか。
羨ましさというか、憎らしさというか、段々と自分の中に黒い感情が芽生え始めたのは。

公立での登校風景といえば、ランドセルを自力で背負って、集団で地域の人に挨拶しながら、という具合だが、私立ではそうはいかない。
正門とは別に送り迎え用の門があって、そこに乗り付けられた高価い車やデカい車から、ママにしてもらった編み込みが美しい、綺麗な制服に身を包んだ金持ちキッズが登場する。

一番衝撃を受けた光景は、忘れもしない。
高級そうなスーツを完璧に着こなした見目麗しいパパさんが、外国車の運転席から優雅に登場するや否や、後部座席のドアを開け、娘をエスコートして車から下ろし、ランドセルを背負わせた後に「行ってきますのチューは?」などと言って頬にキスさせていたやつだ。

かっこいいパパ、輝かしい外車、お姫様扱い。
ドデカいカルチャーショックだった。
生まれた家によって、こんなにも人生が違うものか。どうして。羨ましい。
裕福だからという訳じゃない。私にもせめて、

“お父さん”がいたらよかったのに。


🥀中学生の頃のコンプレックス

小学校に引き続き私立中学に進学した私は、
ある変わり者の女の子に懐かれた。
小学校でいじめられていた彼女は今まで友達がいなかったらしく、それを知らずに出席番号が近いからといって入学初日に話しかけてしまったのが運の尽きだった。

粘着質な彼女はどこまでも付き纏ってくるし、「私以外の子と遊ばないで」と束縛してくる。
突き放してみても「もう〜♡まりあはツンデレなんだから〜♡」などと言って一切めげない。
いくら勉強しても点数は追いついてこないのが当時の私には意味不明だったし、人との適切な距離感はわかってないし、謎に自分好きでぶりっ子だし、正直面倒で苦手だった。

でも、そんな彼女にも父親がいた。
人格者とはとても言えない腹黒くて計算高い父親だったが、しっかりしていて頼りになって、妻や子供のことも大切にしているようだった。
性格が結構似ているので、その子にはよく「まりあってうちのお父さんと似てる」と言われていたし、私も自分でそう思っていた。

それでも、私のお父さんじゃないし。
私のお父さんだったら良かったのに。
私の方が頭も良くて勉強もできるのに。
私の方がたくさん友達も作れるのに。
要領悪くてウザいくせに。

どうしてあんなバカな子にお父さんがいて、
私にはお父さんがいないんだろう。

私の中にあった黒い感情の芽は、
この頃には確実に立派な花を咲かせていた。


            【後編へつづく🥀】
後編↓

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