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毒親育ちの社会人2年生

こんにちは。高校5年生です。

最近、「私はよくグレもせず人の道も外れず、当たり前のように働いて普通の人の生活をしているな」とつくづく感心します。自身の人生を振り返ると、どこかで道を外れていても不思議ではないからです。そう思う最も大きな原因が、いわゆる毒親に育てられてきたことです。

親がそれにあたることは、過去2回記事で触れてきました。

563回目の記事『自分の足で歩く』

715回目の記事『11月29日、『ザ!世界仰天ニュース』を観て』

小学生時代は事あるごとに「消えたい」と思っておりました。「死にたい」ではなく「消えたい」だった理由は、死ぬのが怖かったからです。死ぬのは痛いでしょうし、その後どうなるかも分かりません。苦しむことなく跡形なくこの世からいなくなりたいというのが、小学生の私の願いでした。

当時は認めたくない気持ちもあってかあやふやにしておりましたが、今考えたらあれは虐待でした。今考えなくても、当時の基準でも虐待でした。小学校で「こうした虐待を見つけたら通報してください」という内容のプリントが配られたとき、その例に挙がっているのが我が家で行われていることで何とも言えない気持ちになりました。

友達ができないことも、家に入れてもらえないことも、ごはんを食べさせてもらえないことも辛かったですが、1番辛かったのは正解が分からないことでした。私の生活の安寧は親の機嫌に左右されました。親の機嫌が悪いときは何をしても否定され、親の機嫌が良いときは天国でした。全ては親の機嫌次第と気づくのが、私はものすごく遅かったです。同じ行動を取っているはずなのに怒られるときと何も言われないときがあることが、本当に不思議で納得いきませんでした。説明を求めても火に油を注ぐだけなのに、納得いかない私はしつこく尋ね、抗い続けました。もっと早く気づいていたら苦しまなくて済んだのに、馬鹿です。納得いかなくて説明を求めてさらに怒りを買って何も解決せず傷だけ負って、の繰り返しでした。今なら分かります。親の機嫌が今どういう状態なのかを把握し、それに合わせて発言・行動し、機嫌が悪いときは割り切って諦めて服従したふりをするのが1番自分の心を守れるのだと。経済力も味方も持たない私が、子どもの立場で状況を改善しようとしたことが間違いだったのです。

幸いだったのは、私が喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプだったことです。散々辛い思いをしたのに、大人になった今はあの痛みをあのときのまま思い出すことはありません。ただ、時々断片的に思い出して悔しくなったり、泣いたりすることはあります。あんな思いをして、道を外れることもなくその程度で済んでいることは幸いなことです。

今はゆるりと親と距離を置くことが、私の目標です。スパッと縁を切るのではなく、ゆるりと距離を置くのです。なぜなら今の日本社会ではまだまだ血縁関係のある家族との繋がりが重視されておりますし、スパッと縁を切ると今まで私が育ててもらった分のお金や学校に行くためにかかったお金を全部返せと言われそうだからです。これから結婚、出産が待ち受けている可能性がある私にとって、親と縁を切るのは都合が悪いですし、お金も返せる見込みがありません。ずるいと言われるかもしれませんが、世間的には普通の家庭と同じように親と関係を保っているということにして、必要最小限の付き合いを続け、個人的には距離を置くことができたら理想です。

今の悩みは、お付き合いしている彼氏に親に昔されてきたことを話せないことです。いずれ、彼と将来を考える段階に入ったら隠せなくなるのではないかと危ぶんでおります。彼氏は人並み以上に円満な家庭で育ち、両親も兄弟も仲がとても良いです。そんな家庭で育った人に毒親の実情は理解してもらえないでしょうし、下手すれば「親を大事にしていない」と私が悪者になってマイナスイメージを持たれる可能性があります。彼のことは信頼しておりますが、このことを明かして味方になってもらえる自信はほとんどありません。味方がいない私は、ゆくゆく家族になる人に味方になってもらいたいなと考えているものの、そう上手くはいかないようです。

以上、「毒親育ちの社会人2年生」でした。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
次の投稿でまたお会いしましょう!