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『オルダニアの春』27・創作ファンタジー小説(約3000字)

見捨てられたエルフ、古代の壁を修理する異種族、七大騎士の娘とその従者、島に移り住んだ魔法使い——
架空の大陸オルダニアを巡り、複数の主人公の想いが絡まり合う物語


第3章 イーディスとモーラ

プロローグ


 リチャードが干し草の隙間で震える羽目になる十日前。ちょうど、ヒルダがゴーガ人の儀式の中で髪を切った頃。
 イーディスは『大鴉の町』を目前にしていた。
 そこは『神吹の湖』から南西に馬で一日。『竜の大河』の支流に沿った低地で、背後に『黒い森』を擁し、年中じめっとした不吉な土地だった。
 領主はハーラ。土地に負けず湿気っぽい男で、腹の底が見えない。
 どういう縁か七大騎士でもないのにエドワード王と遠くなく、腹心エドマンドや、その永遠のライバルといわれるエセルバートも、ハーラの動きには注意を払っていた。
 なにせ別名『拷問王』だ。居城『鴉城』の薄暗い地下室は迷宮になっていて、夜な夜な罪人に責苦を与えているという。
 男まさりにズボンを履き、帯剣したイーディスは、自慢の豊かな赤髪をなびかせ、今、颯爽とその地に足を踏み入れた。


第1話 大鴉の居城


 鴉城のハーラは、半ば禿げ上がった頭に領主の冠を乗せ、骨と皮だけになった皺だらけの手を玉座の肘掛けに置いて威厳を示していた。
 執務の間にいくつも開けられた細長い窓から、青白い光が中央に差し込んでいる。
 寒々とした石造りの城だった。なんとなくカビ臭い気がするのは、湿地帯であるが故の宿命だ。だがハーラは、この根城に並々ならぬ誇りを持っていた。
「マグナ会より使者が見えました」
と、報告を受けると、老獪な城主はすぐに部下の心のうちを読み取って聞き返した。
「どんな問題がある?」
 まるで上空から獲物を狙う鴉のような眼光に、一介の衛兵はゾッと背筋を凍らせた。
「は、はい。それが……、女でして」
「構わん」
 ハーラはピシャリと言い放った。
「通せ」
 短い命令に、衛兵は「ただいま」と去っていった。
 少しの間があって、現れたのは真っ赤な花だった。
「マグナ会のイーディスと申します」
 ハーラは目を細めて、微笑んで見せた。貼り付けたような笑顔だ。
「これはこれは。はるばるとよく参られた。まさかこのようにお美しい使者が現れるとは。この鴉城に、待ちかねた春が訪れたようですな。イーディス殿、もしかして、あなたのお父上は……」
「はい。ラムゼです。父の代理で参りました。私の言葉は父であるマグナ会代表の言葉としてお聞きいただきたい」
 承知の意味を込めたのか、ハーラが顎を引くのを見て、イーディスはすぐに本題に入った。
「我々マグナ会は、例の申し出を謹んでお断りいたします」
 周囲に控えていた臣従たちからざわめきの声が起きた。だが、肝心なハーラは平常心を崩さない。
 さすが『拷問王』。考えを読ませないな。
 イーディスのこめかみには、波打つ赤い髪に隠れて一筋の冷や汗が流れていった。
「我々は戦火を逃れてオルダニアに渡り、『火噴き島』へ移ったばかりです。その際エドワード様に謁見し、父ラムゼはマグナの力を二度と戦争に使わないことを表明しております。アルバでもノースでも、マグナの力によって戦争は思わぬ拡大をし、各地で無用な血が流れました。我々は休火山と共に、心安らかに暮らしたいだけなのです。また、これからはいたずらに火種を燃やすのではなく、和平への道を探るべきではないか、というのが、恐れながら我々の総意です。どうかご理解を」
 渾身の演説。
 一拍の間。
 頭を下げたイーディスは、その格好のまま床に向かって奥歯を噛み締めていた。
 だが、パン、パン、パン……と、ハーラは高らかに手を叩いたのだ。
 イーディスはパッと顔を上げた。
「見事。ラムゼの娘は実に見事に成長なされた」
 得体の知れない老狸の顔は、満面の笑顔だった。
 彼は腕を使って難儀そうに立ち上がった。
「イーディス殿。なんと素晴らしいお考えでしょうか。私はすっかり胸を打たれました。今日はいい返事が聞けるものと思って用意した宴席ですが、断られた今となっても、どうか席を共にしていただきたいと思います。そして、あなたのその素晴らしいお考えを、もっとこの年寄りに聞かせていただけないでしょうか」
「しかし、私は、そんなつもりでは……」
 すぐに発つつもりだったイーディスは困惑したが、手をとって親愛を示してくるハーラを無碍に断るわけにもいかない。
「イーディス殿。私は以前から迷っていたのです。私の二つ名はご存知でしょう?」
 拷問王。
 オルダール人なら子供でも知っている。「悪いことをすると鴉城へ送られるよ。ハーラに腕を引きちぎられるよ」と、悪い子は脅されて育つのだ。
「血気盛んな若い頃は、そうして恐れられることを誇らしく思ったものです。男なら誰だって、人より強くありたいと思うもの。この城を任され、罪人を懲らしめる役に、私は酔いしれておりました。しかし、もう私は歳だ。若くない。死にゆく老ぼれと共にいるのは、不吉さを絵に描いたような湿地と、城と、この手にかけた者たちの痛み、苦しみ、無念。今の私に残されたのは、そんなものだけです」
 話しながら、二人は臣従に囲まれて、食堂へと移動した。
「エドワード様への忠誠心は、もちろん今もあります。私の一人息子は、三男ギャラン様にお仕えしています。しかし、子の代に残すものが、血塗られた居城と不安定な情勢では……」
「お気持ち、お察しします」
 イーディスは宴席に着くことにした。興味深い話だ。
 勧められるままに杯を受け、ハーラの意見を聞いて、持論を述べた。
「我々マグナ会が思うに、今オルダニアの水面下でうごめていることは、一歩間違えれば百年に一度の大戦になりかねない、ということです……。我々は……、我々はそれを……」
 イーディスは、途端に眩暈を覚えた。
 一気に緊張が解けたせいだろうか。長旅の疲れだろうか。それとも、演説に熱がこもりすぎた?
「それを……、エドワード様の次男、アーロン様に……」
 イーディスは木の杯を床に落とした。
 違う。
 これは疲れなんかじゃない。
 盛られたのだ——……
 気づいたときには、何もかもが遅かった。
 ハーラの忍び笑いが耳に届く。
「くっくっく……。こうも簡単にかかるとは。馬鹿な小娘よ。ひよっ子の浅知恵、お前の父とハーラが見破れんとでも思ったか」
 霞んでいくイーディスの視界に、懐から手紙を取り出すハーラの勝ち誇った姿が映った。
 あれは、マグナ会の印。
 父か……
「その状態じゃ詠唱もできまい。残念だったな、イーディス。しかしお父様もお嘆きだったぞ。一人娘に裏切られるとは。そんなに戦が嫌か?」
 ハーラはフンと鼻を鳴らした。
「これだから女は……。連れて行け」
と命じると、控えていた衛兵が二人がかりでイーディスをテーブルから引き剥がした。まったく力が入らず、彼女はされるがまま。
 拷問王は彼本来の、死神のような目を兵に向けた。
「それは預かりものだ。他の捕虜のようには扱うなよ。傷一つでもつけば、町ごとなくなるぞ」
 引きずられていくイーディスの後ろで、扉がバタンと閉められた。「まったく魔法使いは面倒だ」というハーラの悪態を残して。
 イーディスは限界だった。せめて小さな抵抗だけでもと思ったが、痺れる舌では言葉は使えず、ついに意識を手放してしまった。




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