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どんな人よりも主人公らしいという自覚を忘れない

私は生まれつき不器用で、コンプレックスも多く、人間としての能力やスペックは他の多くの人達よりも圧倒的に低いという自覚があります。何かの目標を達成しようとする場合、人一倍悩み人一倍時間考え人一倍行動して、やっと上手くいくかなと思いきや失敗、の連続です(笑)。おそらく他の人から見れば間抜けな人間にしか見えないかもしれませんし、自分自身を俯瞰すればコメディ映画とか喜劇に出てきそうな情けなさを伴った人間だな~なんて感じる事もあります。

そんな時自分自身を救っているのが、「自分が誰よりも(人生というドラマ、映画の)主人公らしい、あるいはそれにふさわしい」という意識や自覚。勿論主人公の定義は人それぞれですし、誰もが自分自身の人生を生きているわけですから、誰もが主人公なのは当たり前です。しかし、多くの人が主人公っぽいな~なんて思えるタイプは、少々強引、いや、かなり強引ですが私みたいなタイプなんじゃないかと。

その根拠が前述の「不器用さ、スペックの低さ故に起こる人生の上手くいかなさ」です。これらはある意味ドラマ性の高さとも言い換える事が出来るでしょうか。シンプルにすれば、「欠点やコンプレックスが多いほどドラマとして映える」気がするというか。真逆の人間を想像してみましょう、器用でスペックが高い恵まれた人間を。そして更に想像してみましょう。その人間がある一つの目標を達成するまでの過程をドラマとして観れる事を。おそらく私なんかより何もかもがトントン拍子で物語は進んでいくことでしょうが、果たしてそれはドラマなら何十話、映画なら2時間近くかけて描く必要があるんでしょうか。そんな「予定調和」や「当たり前」を観たことで皆大好きな「夢と勇気」は得られるものなんでしょうか。そしてそのドラマは観てて面白いのでしょうか。←ちょっとしつこい

主人公の定義同様、人の価値観や見方はそれぞれですが、欠けている・劣っている部分やそれが原因で起こる災難を努力や情熱で補い、失敗に直面し、悩み悲しみ、そこから立ち上がり、試行錯誤を繰り返した末に成功を手にする人間こそドラマ性が高く、主人公に相応しく、多くの人に本当の(これらは余りに使う人が多過ぎて少々陳腐になった言葉ですが)夢や勇気を与える存在になるのではないかと考えます。また、 この主人公だとという意識は同時にネガティブ過ぎる思考や行動を遠ざけてくれる可能性も持っている気がします。

失敗から立ち上がり、成功を手にするという保証や、そんな未来が私の人生に必ず用意されているわけではないと思いますが、こんな意識や自覚が私を「生きさせている」のは間違いないと信じています。ある意味、凄くナルシストっぽいのかもしれません(笑)。ただ、自己援護すれば、自分自身の弱さを素直に受け入れた故に生まれたナルシズムに浸るナルシストだと思います←ちょっとややこしい。

人生には色々な場面で自分より優れている、優れているだろうな、そしてずっと良い人生を送ってそうな、劣等感を刺激する人達が沢山目に入ってきます。そんな時は「でも、こんな人達は自分のように本当の主人公になれないな。なれたとしても自分程面白いドラマは描けそうにないな」と、ちょっと突き放します。こんな強引とも思われそうな自分の意識が、不器用な人生を送っている人を目覚めさせ、世の中を良い方向に変えられたらな~と少しだけ願っている今日この頃です。

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