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読書感想文【ソクラテスの弁明】プラトン著

こんにちはコウカワシンです。

今回は、プラトンさんが書かれた【ソクラテスの弁明】から学ばせていただきました。

この『シリーズ世界の思想 プラトン ソクラテスの弁明』は、日本を代表する哲学者であり心理学者の岸見一郎(きしみ・いちろう)さんの解説付きです。

それから定番中のこの本も読んでみました。

取っ付きにくいならマンガもおすすめですね。

この【ソクラテスの弁明】は、「軸のブレない生き方」を学べる本だと感じました。

というのも、この「ソクラテスの弁明」自体が、ソクラテスの生きざまそのもので、4部作からなる一部なのです。

その4部作というのが、

  1. エウデュプロン

  2. ソクラテスの弁明

  3. クリトン

  4. パイドン

です。

すべてソクラテスのお弟子さんであるプラトンが書き残しています。

ぜひ全作に目を通したいものですが、ここでは「ソクラテスの弁明」にフォーカスしたお話をしたいと思います。

「ソクラテスの弁明」とは?

今から約2400年前の頃、ギリシャのアテネでデルフォイの神託により「ソクラテスより賢者はいない」と神託を受けたソクラテスはそのお告げを信じることができませんでした。

そこで、その神託を否定したい気持ちからソフィストと呼ばれる知識人と問答し、自分より賢い人を見つけようとしましたが見つかりませんでした。

ソフィストたちの知識は、実は思い込みや偏見、不確かな根拠に基づく独断であり、なにが真実であるかを知ってはいなかったのです

ソクラテスは「自分も何も知ってはいないが、自分が知らないと思っている。ただその点で自分が彼らより賢い」と考えて、神託について納得しました。

でもそうなると、ソフィストや政治家など、評価ある人たちからの反感を買うことになり、ありもしない「神を冒涜し青年を堕落させた罪」で、裁判にかけられることになりました。

この裁判の中で見せるソクラテスの言動や行動が見世物であり後世において語り継がれるソクラテスという人物の偉大さがあるわけですが、当時の人々の目にはただのヤバい人にしか思えなかったのでしょうね。

その頃の裁判は、501名の市民からなる裁判員による、古代の「裁判員裁判」で、ソクラテスは、市民に対して、自分の行為について弁明を行いますが、紆余曲折あり有罪の判決を受けます。

有罪でしかも死刑となりました。

実は反省したふりをして死刑を減刑して国外追放という手もありましたし、友人クリトンが「逃げよう」と手回しをしようとしましたがソクラテスはそのようにしませんでした。

約30日の拘留後、毒入りの盃をあおって死亡したとされています。

ソクラテスこそが社会の発展に貢献した

ソクラテスは「問答法」「無知の知」が有名ですが、実は社会の発展にはこれが必要です。

たとえば古代の社会は、言い伝えや神話などの根拠のない迷信から、雨が降らないのは神の祟りで「なぜ雨が降らない?」という根拠を知ろうとはしませんでした。

ソクラテスは「ソクラテスより賢者はいない」というデルフォイの神託が本当かどうかを確かめるためにソフィストなどの賢者に質問形式で聞いて回ることにしたのです。

これが「問答法」というものですが、○○とは何か」というような問答で、対話の相手の矛盾や前提の誤りを突いて、その結果として真理を追究していくスタイルでした。

たとえば、ソクラテスが賢者に「幸せとは何か」と問うと、「衣食住が満たされた状態だ」と答えが返ってきます。

そうすればソクラテスは賢者に「衣食住を満たすにはどうすればいいか」と問うと「労働すべし」という答えが返ってきます。

するとソクラテスは「労働が苦を生み幸せを遠ざけることはないのか」と聞くと「そういうことはありうる」と賢者が答えます。

ソクラテスは「だったらあなたが言う『幸せをつかむには労働すべし』という持論は成り立ちませんな」と、あっさり論破してしまうのです。

誤解してはいけないのですが、ソクラテスは論破して賢者をやり込めたいわけではないのです。

ただ単に「知らないこと」を知るために問うただけなのです。

そしてわかったことが、「賢者といわれる人でも本当は何も知らない状態なのに知ったかぶりをしている。素直に知らないことを認められることが実は賢いのに」ということでした。

「知らないことを知らないと素直に認める」ことを「無知の知」と言います。

そのときに大切なのが「知らないことを探求する」という姿勢なのです。

この「問答法」と「知らないことを自覚し探求する」という姿勢こそが、社会の発展には欠かせない概念なのです。

このようなソクラテスの姿勢が当時の若者たちに流行り、アテネの街中は論破合戦になりました。

結果、多くのソフィストや政治家、芸術家に恨まれ、「若者を堕落させた」と取られたことは残念ですね。

なぜ「探求する姿勢」が大事なのか

では改めて、なぜ「探求する姿勢」が大事なのかを問うてみると次のようなことが考えられます。

  • 知ったかぶりは罪深いから

  • 人間は金を稼いだり評判や名誉に気を使い、自分を高めるだけに終わりがちだから

  • わからないことをわかるまで探求することが未来の発展に役立つから

そもそも「知ったかぶり」は罪深いです。その知ったかぶりは実は誤ったことかもしれませんし、真相を答えられないのは信用できる材料さえ与えてくれないのですから。

なのに当時は金を稼いだり評判や名誉を高めるために「弁論術」「演説術」に磨きをかけ、物事の真相を探ることはしませんでした。

「雨が降らない」のも「雷が落ちる」ことも神の祟りということでは、真相はわからないままで、何ら新しい発見はありません。

新しい発見も新しい発明も「探求」から生まれます。

探求があるからこそ未来の発展に繋がるのです。

探求する姿勢を保つには何が必要か

探求する姿勢を保つために必要なものは次のとおりです。

  • 知を愛すること

  • 「無知の知」を知り、知らないことに正直になること

  • 正義に譲歩しないこと

「知を愛し求める」というのが「哲学」の元々の意味で、たとえ知を愛し求めない条件で無罪放免されることになっても、神に誓ってやめなかったのがソクラテスです。

ソクラテスほどではないにしても、知を愛し求める姿勢は、現代社会においても必要なスキルです。

それには「無知の知」を知り、自分が知らないことに正直になることも大事です。

そうすれば自然と探求心が養われることでしょう。

養われた探求心は、道理の通らないことにも妥協することはなく、本物の正義を求めます。

ソクラテスは正義を通したばかりに死刑になり、正義を曲げてまで死刑を逃れることもしませんでした。

だからこそ現代においても「哲学の父」「哲学の祖」として敬われ、語り継がれるのです。

将来的に自分が他者からどう思われたいかは、今時点での正義を貫けるかにかかっています。

そのことも含めて、後世に自分が何を残せるかを探求するのも大切なことでしょうね。

どうすればソクラテスのような哲人になれるか

本書を読めば読むほどソクラテスの思想の尊さがひしひしと伝わるのですが、彼に近づくことはできないのでしょうか?

そのことについて言えることが次の3つです。

  • 徳を持つ

  • ただ生きることをせず善く生きること

  • 知識・好意・率直さを持つ

ソクラテスは「ただ生きることをせず善く生きること」にこだわりました。現代風にいえば「清く正しく美しく」です。

知力や武力を持つ評判の高い人のなかには、評判や名誉に気を使っても知恵や真実には気を使わず、魂をできるだけ優れたものにするために気を使わない人もたくさんいます。

そのために幸福になれず、それどころか人を不幸にするかもしれません。

「善」を突き詰めると、「ためになる」かどうか、またはそれらをどう使えば善になるかを知らなければいけません。

魂をできるだけ優れたものにするためには「徳を持つ」という姿勢であるべきです。

「徳を持つ」とは、知恵や真実に気を使い、何が善で何が善でないのか、また財産や地位、健康などをどう使うべきかを知らなければいけないのです。

そういう思想になるために「知識・好意・率直さ」は欠かせないスキルです。

ソクラテスの問答法は、相手を言い負かし自分が優位になるためにするものではありません。

知識を得るために相手を頼っているのです。教えを乞うという姿勢は相手に好意を持ち率直な気持ちで質問する姿勢がないといけません。

そこのところをはき違えた若者たちが論破合戦に興じ、ソクラテスの思考を捻じ曲げてしまったのは残念ですね。

そのせいでソクラテスは死刑を受けているのですが、ソクラテスは決して減刑や脱走という手段を取りませんでした。

「自分は間違っていない」という自負があり、それで死んでも本望だとしたのです。

いやあ、実に男前ですね!

だからこそ現代でもソクラテスは偉人として輝いているのです。

誰もが真似できるものではありませんが、この姿勢はいい手本になることでしょう。

誰もが長い人生のうちに本意ではない決断をする羽目になるかもしれません。そんなときに「ソクラテスならどうするだろう?」と考えるだけでも軸のブレない生き方をできるかもしれません。

そういった意味で読んでおきたい本ですね。






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