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100日後に死ぬ父。20日目。

 今朝、お隣さんのおじいちゃんが布団の中で眠るようにして亡くなった。93歳だった。お隣さんのおじいちゃんは近所の間でとても好かれていたので、僕ら家族だけでなく近所中が悲しんだ。
 その日は近所の人たちがお隣さんに訪れた。僕ら家族も夕方にお隣さんにお邪魔し、お爺ちゃんに会いに行った。広い和室に通されると、そこには布団で眠っているように死んでいるお爺ちゃんがいた。僕は死んでいる人を直接見るのは三回目だった。死んでる人を目の前にすると色んな事を考える。でもお爺ちゃんについて考えているよりは、〝死〟自体について考え込んでいる気がする。頭の中では悲しいと思いつつ、心の奥底では〝死〟に対しての恐怖がくすぶっているように感じる。
 父はお爺ちゃんの顔を見て何か喋りかけていたけれど、声が小さくて僕には聞こえなかった。父はこれまでの人生で、僕よりも死体を多く見ているはずで、すでに〝死〟についての感じ方には、自分なりの考えをしっかりと持っているようだった。死に慣れたというよりは、死を受け入れているような雰囲気がある。僕はというとその辺はまだまだで、死体を目の前にすると自分のことばかり考えてしまう。
 家に帰ると、父は「いい顔をしていて良かった」と言って笑っていた。たしかにお爺ちゃんはいい顔で死んでいた。
 気が付けばここ最近の父と母の険悪なムードは普通に戻っていた。今日はみんなでお爺ちゃんについて話しながら、普段の夕ご飯を過ごした。
 死を近くに感じると、人は少し優しくなる気がする。

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