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マスクとイヤホンと街灯の下で

 こういうご時世なので、どこへ出向くにもマスクが欠かせない。
 僕は春頃に発症する花粉症なので、僕がマスクをつけるのは2月終わり頃から4月の終わるぐらいまでの期間で、それ以外の期間は特にしない。というか、僕はマスクが嫌いだ。自分の空気のせいでとても眠くなる。この期間に自動車学校へ通い始めたのだが、講義が朝早の場合、このマスクが本当にしんどい。運転中もなんなら眠くなったことすらある。基本的に顔の上に何かがあるのが苦手で、熱がでたときも冷えピタをおでこに貼るのが本当に嫌いだ。ムズムズする。

 そんな人は僕以外にもたくさんいると思うのだが、所謂「新しい生活様式」「with コロナ」なんて言われるようになってからはや8ヶ月ほど、このマスクにも慣れてきてはいる。出かける前に「あーマスクマスク」とかかさず持っていくし、自分でお気に入りのマスクすらある。そんなご時世。

 最近、大学の講義が週に二度ほど大学で行われるため、片道1時間弱の電車通学をする。いつも行きと帰りでイヤホンから昨夜のラジオ番組を聴いている。それは、生活が変わる前からそうなのだが、深夜ラジオというものは恐ろしいもので、突然爆笑の波がやってくる。以前まではマスクをつけていなかったので、笑っていることが周囲に悟られないように、息を止め、顔と腹筋に力を込める。それでも表情は綻んでいると思うが、電車の中で人の顔をじっと見ている人はそうそういないから、多少は平気だ。僕くらいのヘビーリスナーになると、突然くる爆笑の波を察知し身体中の筋肉に警戒指令を出すことができる。何度もそれで乗り切ってきた。
 自粛に入ってからというもの、ラジオはリアルタイムでもそうでなくても、部屋でiPhoneのスピーカーから垂れ流して聴くようになったから、笑いたい時に声を出して笑える激甘な環境で過ごしていた。
 久々に電車でラジオを聴いていたことである。いつもならゲラゲラ笑いながら聴いているがそんなことはできない。そして、爆笑の波は突然やってくる。忘れかけていた受け身の取り方を瞬時に思い出し、筋肉に警戒指令を出すも時すでに遅し。電車の中で盛大に吹き出してしまった。これはまずいと、周囲の目を確認すると、みんな何も見ていなかった。
 僕もそうだが、マスクをしてBluetoothのイヤホンをして手元を眺めている。誰もそうしていない人がいない。僕一人が大衆のど真ん中で爆笑していても(爆笑まではしないないが)だれも気に留めない。これは…好都合である。

 通学時間の僕の楽しみはもう一つある。それはラジオではなく全身で音楽を聴くことだ。前に「アメトーーーク」の「一人遊び大好き芸人」で劇団ひとりさんがやっていると言っていたのだが、好きな音楽を聴いてMVごっこをする。それは、僕が中学生の頃からやっていた遊びと一緒だ。
帰りの時間は日が沈み暗くなってきているので、人がまばらな静かな通りを通れば道に僕一人だ。薄暗く、まばらな街灯の下、対面からの歩行者はいない。よしよし。iPhoneの無機質な光に目を痛めながら、SEKAI NO OWARIのプレイリストを再生する。SEKAI NO OWARIの曲は何千回と聴いてきた大好きで人生を支えられてきた音楽だ。自転車を押しながら、自分はあの画面の向こうの、あるいはステージの上の大好きなFukaseを体に降ろす。駅から家に帰るまでの時間僕は街灯のスポットライトを浴びながらこの世界の主人公になる。
以前まではマスクをしていなかったから、たまにすれ違う自転車や高校生の群れが気になっていたが、今はみんなマスクをしているし、イヤホンをしている。僕と目が合うこともなければ、まさか自分でかけた曲で道端で狂喜乱舞しているとは思うまい。ざまあみろ、俺は今お前らよりよっぽどスターだ。

家の玄関を入る前にイヤホンを取り深呼吸をする。自分の中からFukaseを取り出し、鍵を開ける。両親に「ただいま」とか何気ない話をした後、全身にかぶさっている布を脱衣所に脱ぎ捨て、シャワーヘッドをマイクに見立ててまた、僕は何万人が見ているステージに上がる。


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