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01 最初で最後の夏

「若森、楽しいか?」
 ベンチに座っていた寺里監督が、光広の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。それまで試合を見守ってきた光広だったが、思わず視線を寺里に向ける。しかし寺里の視線はコートの中の選手に向けられていて、こちらを見ようともしない。
「うっす。楽しいっす」
 光広はそう答えてコートの中に視線を戻した。
 インターハイ決勝トーナメント四回戦目。敵は昨年の準優勝校・東若松学園。さすがにいい選手が揃っている強豪校で、すんなり勝たせてくれるような相手ではない。
 第一セットは東若松学園がリードし、二十五対十九で金剛高校が落とした。
 しかし第二セットはこちらが猛追し、二十五対二十で白星を奪う。
 泣いても笑っても第三セット。ここで勝負は決まる。第五セットまでやるのは決勝戦だけだ。この試合に勝って準決勝にコマを進めるか、泣いてインターハイが終わるか。
 試合は五分五分。力の均衡は保たれている。現在六対七で東若松学園の一点リード。見ているだけでも手に汗握る状況だ。
 これがインターハイ。
 夢にまで見たインターハイ。
 割れんばかりの歓声。白熱した試合。各都道府県の中から最強の高校が集う。そしてその最強の中でも日本で一番の最強を目指して戦う。どの試合もハイレベルだ。心地よい戦慄にぞくぞくする。武者震いが止まらない。恐怖に近い程の興奮なのに、どうしてか楽しくて仕方がない。強い相手と戦えるということが嬉しくてたまらなかった。
 両親の仕事の都合上、同じ学校に留まることが少なく、光広はいつだって途中編入の転校生だ。これまでに六度の転校を経験している。どこへ行っても男子バレーボール部へ入部していたけれど、途中入部者は元からの部員にはかなわない。チームワークもそうだが、やはり途中から入ってきた奴にポジションを奪われるのは面白くはなく、結局いつだって光広は重要なポジションに着けなかった。
 中学三年で転入したバレーボール部が光広の転機だった。それまでどこへ行ってもウィングスパイカーだった光広に、セッターをやってみないか? と当時の監督に勧められた。丁度その部のセッターが故障したときだった。バレーができるならレシーブ専門のリベロでも構わない。そう思っていたくらいだ。光広は初めてセッターとしてバレーボールに関わった。
 思った以上に、それまでの光広のバレーボールを覆す面白さをそのポジションに見出した。
 高校はバレーの強豪校・県立金剛高校を選んだ。地元の県大会では優勝の常連校だ。そして何より選抜ユースの一員がいる高校。初めて光広の意思で選んだ学校だった。最高に刺激的で楽しいバレーボール漬けの日々だった。
「勃起もんっす」
 それ程に興奮していると言いたかったのだが、さすがに現役の高校教師でもある寺里には下ネタは不味かったようで、軽く頭をはたかれた。
「この馬鹿森が。試合中におっタててんじゃねぇ!」
 若森の苗字をもじって、馬鹿森と呼ばれることがある。一つ年上のウィングスパイカーの大森とセットで、大馬鹿森と呼ばれることもあった。
「いや、そんなギンギンにタってるわけじゃないっすよ! 興奮してるって意味っす!」
 それまでコートの中を見ていた寺里の視線が、光広の股間に注がれる。それから頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
「おまえは本当に大物の一年だなぁ。初めてのインターハイ、緊張でがちがちになるのが一年というものだぞ。興奮でチンコをガチガチにしてますって言う一年はこれまでお目にかかったことはない」
「だから、タってないっすよ!」
 この軽口は失敗したかと思いつつ、光広は笑った。
 コートの中では先輩たちが必死に戦っている。さすがに相手は去年のインターハイ準優勝校だ。攻守共にレベルが高い。
 金剛高校に入学が決まり、いてもたってもいられずに、四月一日、入学式前に学校に乗り込んだ。バレー部の練習を体育館で発見し、二年生と三年生しかいないバレーボール部の練習に混ぜて貰った。入学式前に単独で乗り込んできた一年生は、バレー馬鹿がやってきたと言われ歓迎された。馬鹿森の所以は大森と悪ふざけをすることもあるが、ここにもある。
 金剛高校は強い。男子バレーボール部員は、一軍・二軍・補欠といて合わせて四十七名。更にマネージャーが五人程加わる。
 実力第一主義のバレーボール部員は、入部当初は補欠で始まろうとも、定期的にある昇格試験で二軍へ、そして一軍へと上り詰める。当然、一軍から二軍へ振るい落とされ、二軍から補欠へと落とされる三年生もいる。年功序列ではない。実力主義だ。
 だから常に気が抜けない。レギュラーの座も、二軍に落ちたら手放さなければならないのだから。
 強い者だけが選ばれる。わずかの怪我も命とり。油断禁物の弱肉強食のバレーボール部、それが金剛高校男子バレーボール部だった。
 光広も補欠から始まり二軍へ、そして一軍へと上り詰めた。けれどもすぐに二軍に振り落とされ、一軍に登っては二軍に落とされる。一軍の座をずっとキープしているのは、不動のレギュラーと呼ばれる六人だけで、残る一軍の六人は絶えず二軍と一軍を行き来している状態だった。
 六月末頃から光広は一軍に残り続けられるようになった。おかげで八月のインターハイはこうして参加することができた。
 ここを勝たなければ、準決勝へは進めない。しかし相手は簡単に勝てる相手ではない。

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