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02 最初で最後の夏

 いくら金剛高校にユース選手がいても、それは所詮一人きり。レギュラー六人全員がユースなわけではない。バレーはチームスポーツだ。誰か一人が特出して強くても、勝ちあがれるスポーツではない。
「行けるか?」
「今ここでイクんですか?」
 思わず真顔で冗談を言うと、再度頭をはたかれた。
「そういう意味じゃない! ったく、この馬鹿森は」
 呆れと苦笑をない交ぜにした嘆きに、残る交代メンバーやマネージャーがこらえきれずに笑い出した。緊迫したラリーの瞬間が台無しになる。
「美山のミスが目立つ。さっきブロックに出た時から動きがおかしい。セットも乱れている」
 不動のレギュラー六人の中の、三年生セッターが美山だった。全国ユースの皆川と不動のレギュラーであり続け、三年間を共にしてきただけあり、その実力は折り紙つきだ。
 トスコースは正確に上げるし、スパイカーの要求に確実に応じてくる技巧派。しかし先ほどからファーストテンポでトスを上げられない。美山がトスをあげてから、それにスパイカーたちが合わせるセカンドテンポに落ちている。
 もちろん体力的な疲労の蓄積もある。現在最終セットだ。試合は一進一退の攻防が続き、緊張感を途切れさせた方が負ける、そんな流れになっている。精神的にも体力的にも今が一番きついだろう。
 金剛高校の現在のレギュラーの持ち味はその速さだ。単にトスを早くあげるのではない。ファーストテンポを重要視したバレーボールだ。
 ファーストテンポとは、速攻攻撃のことだ。クイックもその中の一つである。
 それまで光広が知っているファーストテンポとは、スパイカーが短く早い助走から跳躍し、それに合わせてセッターが短い距離でボールを上げる。スパイカーはトスされたボールを打ちおろして攻撃を終了する。攻撃にあてる時間が短い、それが光広の知るファーストテンポだった。
 金剛高校に来てからはそれが違うものだと再認識させられた。やはりユースプレイヤーは全国の中で選ばれた一握りの優秀な選手たちと、世界のチームで戦っているだけあり、バレーの認識も全国レベルでは留まらず、世界的なバレーを身に着けている。
 皆川を中心にしたファーストテンポを重要視したバレーは、攻撃までの時間的な速さを重要視しているわけではない。
 セッターがボールをセットするその瞬間にスパイカーは跳躍し、セッターはスパイカーが最高到達点で打てるトスを素早く上げる必要がある。トスの距離が短いわけではない。トスを上げる速度が速いのだ。そして最高到達点から打ち下されたボールは、すさまじい威力と速さを持つ。コースがわかっていても簡単には拾えない。仮にブロックのタイミングが合っても、ワンタッチを確実に取れる威力がある。
 前者のファーストテンポはトスを上げてから攻撃までの時間は短いが、スパイカーは十分な高さと威力がないままに、最高到達点を過ぎ始めてからようやく打ち下ろす。相手ブロッカーがタイミングさえ合わせることができれば、ブロックの成功は容易い。威力が足りない分、力負けすることなく相手コートに撃ち落とせるのだ。
 後者のファーストテンポは攻撃までの時間は比較的あるが、セッターのトスが高速であることや、打ち下ろすスパイクの速さが持ち味だ。最高到達点から打ち下ろされるのだから、その威力は時速百キロ以上に達する。
 その金剛高校の持ち味が、ここにきて発揮できない。それはつまりボールをセットするセッターに不調があるからだ。
「いつでも行けます」
 何度か美山と交代しながらこの試合を見守ってきた。もう光広は十分に休息が取れている。
「最後まで行けるな?」
 光広は立ち上がって寺里を見下ろし微笑んだ。
 まだ一年生の光広にはインターハイへの出場の可能性は来年も、再来年もある。だがこのチームでの出場は今年が最後。
 そしてこの試合に負ければ、光広が金剛高校男子バレーボール部一軍でセッターを務めるのも最後となる。
 両親の転勤だ。それに伴い転校する。寮があるなら途中からでも、入寮は可能だったのかもしれないが、金剛高校には寮がなかった。
 バレーを辞めるなら、一人暮らしも可能だっただろう。一人暮らしとバレーの両立は難しい。けれど光広はバレーボールを辞めたくない。何度も経験した転校生活で、いつだって何かを諦めた。
 泣いても懇願しても、転校しなければならない。友達を作って別れ、そして疎遠になり忘れ去られる。それが当たり前すぎて、いつからか光広は人に執着しなくなった。
 今が楽しければそれでいい。今この瞬間を最高にできるなら、それがいい。
 そうして諦めて妥協する中で、唯一諦めず、妥協せずに取り組んだものがバレーボールだった。それしかなかった。
 それだけが、若森光広のこだわるべき物だった。バレーが出来る場所にいたい、それだけが誰にも譲れないものだった。
 このセットの最後まで光広で行くという意味と、金剛高校での最後のプレーという意味の両方が込められた台詞に、光広は頷いて見せた。
 転校の事を知っているのは監督である寺里だけだ。インターハイへ向けての集中力を切らさないためにも、そして光広は自分で言うまで黙っていて欲しいと寺里に口止めしてある。だから仲間の誰も知らない。キャプテンの皆川ですら。
「まだまだこれからでしょ、監督」
 相手が誰であれ勝ち進む。インターハイを制したい。それが金剛高校の悲願だ。
 東若松学園のウィングスパイカーのサーブが決まる。これで点差は六対八。二点差はこのセットではかなりの心理的なプレシャーになる。
「あぁ、そうだ。次の試合に勝ち進まなきゃな」
 ニヤリと笑って、寺里は手をTの時にして審判に訴え出る。チャージドタイムアウトだ。
 審判の指示でチャージドタイムアウトが認められた。それぞれの選手たちが、ベンチへと帰ってくる。
「美山、若森と交代だ」
「えっ…」
 タオルを受け取り、汗を拭いた美山の表情がこわばる。恐れていた瞬間を迎えた、そんなふうにも見えた。やはり美山自身が己の不調を自覚していたのだろう。寺里はそれを見逃さなかった。
「交代だ」
「はい……」
 第三セット。もっとも緊張感の高まるセットだ。逃げ出したい程のプレッシャーの中にあるのに、ずっとコートに立ち続けたい。そんな気分だろう。
 光広はこれまで味わったことのない感覚だった。中学までのバレーで、これほどまでに強いバレーボール部に所属したことはなかった。だからこそ面白くて仕方ない。
 これが強いバレーボール部だ。これが、これこそが!

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