【短編小説】あーした天気になーあれ!
「気象予報士なんて辞めたい!!」
三雲彰良はそう叫んで、ビールジョッキをテーブルに置いた。
都内の一角。よくある飲み屋街にある、チェーンの居酒屋。その半個室のスペースだった。テーブルの上にあったいくつかの皿――半分ほど空になっていたそれが、ジョッキを置いた衝撃に少しだけ揺れる。
気象予報士になって六年目の冬。二十四節気が一つ『大寒』も過ぎた、一年で一番寒さの厳しい季節だった。
「そもそも!」
知らず語気が荒くなる。それを酒のせいにして、彰良は続けた。
「関東の雪予報は難しいんだよ! 大体が南岸低気圧と寒気が被って起こる雪だけど、ちょーっと寒気が南下しなかったら雨だし、ちょーっと低気圧の進路が南に逸れれば雨すら降らないし」
二杯目のジョッキを握る手に力がこもる。
「大雪を当てたら当てたで、やれ電車が止まったバスが来ない帰宅難民だと騒がれるし、外したら外したで、なんだ予報と違うじゃねーかって文句言われるし、じゃあなんて言えって言うんだよ! こちとら観測データと諸々の過去のデータ突き合わせて必死に予報してんだよ!」
一息にまくし立てて、彰良はビールを呷った。
「文句なら天気に言え! 予報するだけ損だ!」
机に突っ伏して、うわーんと泣き真似をする。
そんな彰良を、向かい側から友人が半眼で目で見下ろしていた。
「まぁまぁ、唐揚げでも食って落ち着けよ」
目の前に差し出された唐揚げを、勧められるがままに口に運ぶ。味の濃い唐揚げは、友人の視線と同じように冷めていた。
「仕方ないんじゃねぇの? それが仕事だろ?」
ワイシャツに緩めたネクタイ。壁にはハンガーに掛けられたコートとスーツ。彰良には新人の頃しか縁が無かった姿を今でも続ける友人は、彰良よりも少し諦めが上手くなったような口ぶりで言う。
「ヤッチはそういうけどさぁ~」
赤ら顔でふわっふわ。泣き言を零す彰良とは対照的に、ヤッチこと小畑康明は顔色一つ変えずに枝豆を囓り、タッチパネルで追加の飲み物を注文している。
「こっちはちゃんと大雪予報出して、不要不急の外出は控えろって再三警告してるの。気象庁だって緊急会見開いてんの。なのに、どんだけ大雪予報で警告を出そうと、出社させる馬鹿な会社はいるし。そんなんだから日本の会社はダメなんだよ」
「とか言って、お前は明日も出社するんだろ」
「そうだよ、うちのテレビ局にテレワークなんて言葉はないよ」
盛大なブーメランが彰良に突き刺さる。けれど仕方ない。大手テレビ局に勤める彰良は今、金曜を除く昼前の情報番組でお天気キャスターを勤めさせて貰っている。
先輩予報士の力を借りながらではあるが、明日以降の天気を予報し、その結果をテレビの向こうのみんなに伝える。
そこまで注力されている番組ではないが、見てくれている人はいる。お天気コーナーの顔としての責任はある。おいそれと休む分けにはいかない。
それがたとえ、明け方から雪が降り出して、帰宅困難になる可能性がある日であろうと。
「いいな~、ヤッチはテレワークで。勝ち組じゃん」
「俺なんかただ上の言うことにハイハイ従うだけのサラリーマンだよ。世間から見たらアキの方が羨ましがられるだろ」
「そうなのかなぁ。まぁやりがいはあるけどさあ」
隣の芝は青い、ということだろうか。
失礼しまーす、という声と共に女の子の店員さんが康明の頼んだ日本酒らしき物を置いていき、空のお皿お下げしますねー、と代わりに空になった皿を下げて、手早く去って行く。
「予報なんて所詮予報なのにな。スパコンだなんだ、予測精度が上がっても結局外す時は外すんだよ」
「当たるも八卦、当たらぬも八卦ってか」
「そ。答えは神のみぞ知るってな」
明日はどっちだろうな。当たったら、外れたらなんて言われるだろう。
気になって仕方ない結末を忘れるように、彰良は残り少なくなったジョッキを傾けると、少なくなった中身に気付いて、康明がメニューを差し出してくる。持つべきものは気の利く友人だ。
* * *
「気象予報士なんて辞めたい!!」
――翌日。
渇いた帰路を歩きながら、彰良は前日と全く同じ台詞を澄み渡った星空に吐いた。
結局、雪は雨で終わった。
雨どころか夕方には晴れ渡って(これは予報通り)、夕陽に照らされた空には虹まで架かった(これは予想外)。
結果、彰良を含めた気象予報士はSNSで盛大に叩かれた。
「コメ欄なんて見なければ良かった……」
既に深夜も深夜。彰良の独り言を幸いなことに拾う人はいない。いたら変な人だと思われていた。
彰良は基本、エゴサをしない。昔は少ししていたが、エゴサに耐えられるメンタルをしていなかったためだ。だが、番組公式アカウントというものがある。せめて、そこぐらい――自分がどう見られているとか、お天気コーナーを楽しんでくれているだろうかとか――そう思って欠かさずチェックしていたのが、今日は徒となった。
基本的に、コメントを寄せてくれる人のほとんどは好意的で、中には常連さんもいる。だが、中には心ない言葉を投げる人もいる。
こういう日は、後者が多い。特に、普段は公式アカウントなんて見ないくせに、好機とばかりに、悪意増し増しのコメントを書く人が、世の中には一定数存在する。
顔が見えないからって何でも言っていいわけじゃないんだぞ、と言ってやりたい。が、言えない。
「向いてないのかなぁ……」
予報を外したのは自分だけじゃない。
他の予報士だって雪予報は出してたし、なんなら気象庁だって似たような予報だった。彰良
だが叩かれるのは、矢面に立っている人間なのだ。
はぁ、と盛大な溜息が自然と零れる――その瞬間だった。
カラン、コロン。
耳朶を打った軽やかな音に、彰良は足を止めた。
アスファルトを見続けていた顔を上げる。
何の音だ?
カランコロン、カラン――
「――下駄?」
ついぞ夏祭りでしか聞いたことがない音に眉をしかめた。けれど訝しむ思考とは裏腹に、足は惹かれるように音の方に向かっていく。
「神社……?」
そこには夜の闇に紛れるように、ひっそりと神社が鎮座していた。
小さな神社だった。古ぼけた石の鳥居と、全貌を覆い隠すようにうっそうとした周囲の木々。長くない参道の奥には、ぼんやりとした白い光に照らされて、本殿が薄らと見える。
この近くは毎日通勤で通っているが、こんなところあっただろうか――?
カラン、コロン、カラーン。
音の鳴る方へ、導かれるように。進んでいった彰良はいくらもしない内に、足を止めた。
広くもない境内の入り口。両脇には白石の狛犬像が鎮座している。本殿には賽銭箱と本坪鈴という、ありふれた神社の光景だった。
けれど――
「あーしたてんきになーあれ!」
電灯に照らされた境内の石畳で、幼子が一人、真っ黒な空に向かって下駄を蹴り上げた。
木の板に二本木が添えられた、古めかしい下駄が宙を舞う。真っ直ぐに空に上がり、ゆっくりと止まって、そしてストン――と。
「よし! あしたはあめだ!」
乾いた音と共に落ちた下駄を見て、子供が楽しそうな声を上げる。
「……天気占い?」
呆然と呟く。その声に子供が振り向く。
「おにーさん、だれ?」
その無垢な声にか、射貫くような視線にか。彰良はハッと我に返って、目の前の子供を見た。
男の子とも女の子も分からない子だった。背丈は彰良の腰ほどしかなく、身に纏っているのは、ついぞ現代には似つかわしくない薄汚れた土色の着物一枚。
そんな格好で寒くないの、とか。
こんな時間に一人でどうしたの、とか。
浮かびかけた疑問は、何故だか言葉になる前に消えた。
「え、あ、僕は……」
子供は答えを待つ様子もなく、片足けんけんで下駄まで辿り着くと、鼻緒に足を通す。
僕は――その先に続く言葉の代わりに零れたのは、羨望の声だった。
「いいなぁ……」
「?」
子供が目を丸くして、彰良を見た。彰良は慌てて、手を目の前で小さく振る。
「いやえっとね、占いで天気が分かったらいいなって……」
気付けば彰良は、そう吐露していた。
「おにーさん、てんきがわかるようになりたいの?」
「……そうだね」
ややあって、彰良は答えた。
「お兄さん、天気予報士なんだ。予報士って分かるかな? みんなに未来の天気を教える仕事なんだけど、たまに嘘をついちゃうんだ」
「おにーさん、うそつきなの?」
「自分では嘘つきのつもりないんだけどね。結果として嘘つきになっちゃってるんだ」
子供は分かったような、分からないような顔をしていた。
「それで人に怒られたり、嫌なことを言われたりね……やってられないなーって。だから、簡単に分かる方法があったら、嘘つきじゃなくなるのかなって」
「てんきが?」
「そう、天気が」
子供は首を傾げて、明後日を見た。何か考え事をしているようだった。
こんなところで偶然会った幼子に、自分は一体何を話しているのだろ。
「ごめんね。突然こんな話をして。夜も遅いし、僕はもう帰――」
「わかった!」
帰るね。そう言いかけた言葉を遮って、子供が元気な声を上げた。
「おにーさんをうそつきじゃなくしてあげる!」
彰良を見る、笑顔。良い考えが浮かんだと言わんばかりの、満面の笑み。
「いったとおりになれば、うそつきじゃなくなるでしょ?」
それがつり上がって歪んだ顔に見えたのは、一瞬で、背筋が凍る暇すらなかった。
「あーした天気に……なーあれ!」
子供が下駄を蹴り上げる。
先程と同じように下駄は天高く跳ね上げられ、ゆっくりと落ち始め――
「――っ!?」
ゴンッと盛大な音を立てて、彰良の頭を直撃した。
「お兄さん、ねぇお兄さん。大丈夫?」
身体を揺する優しい感触と、降ってくる男性の声に、彰良はハッと目を開けた。
彰良は道路の端に、大の字になって寝ていた。目の前には、深い皺の入った男性警察官の心配そうな顔があった。
「あぁよかった。お兄さん、こんなところで寝てたら危ないよ。お酒……は飲んでないみたいだけど、何かあったのかい?」
近くの交番の警察官だろうか。彰良はむくり上体を起こして当たりを見回す。しかしそこは、見慣れたいつもの通勤路。古びた神社の境内でもないし、謎の子供の姿もなければ、頭に降ってきたはずの下駄もない。
「お兄さん?」
「あっ、はい!」
怪訝そうに頭をさすっていた彰良は、ずいっと顔を近づけられハッとなる。
「はは、ちょっと疲れちゃったんですかね。最近忙しくてすごい眠かったんで、歩きながら寝ちゃったのかも知れません」
「本当? もー気を付けてよ。近頃は寝てる人の持ち物盗む人も多いんだからね」
彰良が立ち上がるのに手を貸して、警察官は自転車で去って行く。その背を見送って、彰良はもう一度頭をさすった。
頭にはコブ一つ出来ていない。
「――っていうことがあってさ」
翌月、三寒四温で寒さが和らぎ始めた頃。
居酒屋でその時のことを話すと、康明は明らかに胡乱げな顔をした。むしろドン引きだった。
「酔って頭でもぶつけたか?」
「いやだから酒は飲んでなかったんだって」
「じゃあ白昼夢か」
「夜だったよ」
前回とは違う居酒屋だった。けれどテーブルの上は、どこの店にでもありそうな雰囲気の料理ばかりだった。
焼き鳥を囓りながら、康明が言う。
「案外、夢でもないかもな」
「なんで?」
「お前、最近評判良いだろ。天気予報が外れないって」
「そうかなぁ?」
小首を傾げて、ジョッキのビールに口を付ける。長々と喋っていたせいでまだ一杯目だった。そして泡はほとんど消え、若干温くなりかけている。
「天気の神様が気まぐれにお前の望みを叶えてくれたのかもよ」
「神様……神様ねぇ」
彰良は泡沫のような不思議な記憶を思い起こす。
神様って感じの神々しさもなかったけどなぁ、と思い――
あれ、そういえばあの子はどんな格好で、どんな顔をしていたっけ?
神社はどのあたりにあって、どんな様子で、雰囲気だったっけ。
……まぁいいか。
「ヤッチがそんな非科学的なこと言うなんて、明日は槍でも降るかもね」
「さすがに槍は降らないだろ」
「じゃあ霰だな」
「この時期に霰もないとは思うが」
降ったらもう予言だよ予言、なんて言い合って、彰良と康明は笑った。
笑っていた。
――この時は。
明くる日の夕方、大粒の霰が都心を襲った。
季節外れの夕立だった。猛烈な勢いで降り注ぐ氷の塊が、視界を白に染めていた。霰は民家の屋根やカーポートに穴開け、野ざらしだった車にいくつもの凹みを作った。中にはこぶし大を越えるものもあり、走行中のフロントガラスに罅を入れた。
多くの怪我人が出て、被害額は相当に及んだ。
幸いだったのは、死者がいなかったことだった。
この現象を予報出来た者はいなかった。
知っていたのは、たった二人。
「はは、マジかよ」
天変地異のような景色を局の窓から眺め、彰良は引き攣り気味に口の端を吊り上げていた。
* * *
『それでは、気になる明日の天気はどうでしょう。三雲さーん! クモスケー!』
日も暮れた夕方十七時半。スタジオMCの声がインカムから聞こえ、目の前のカメラのランプが点灯する。それを合図に、彰良はカメラに向かって笑顔を作った。
「はーい、こちらスタジオの外、屋外デッキに来ています。いや~寒いですね~。みんな、風邪引かないように温かくして下さいね~」
いつもの調子でお天気コーナーを始める。振り返って手を振れば、観覧席の親子連れ――お母さん達の中から、にわかに黄色い悲鳴が上がる。
――あれから、一年近くが過ぎた。
どこにあるか分からない神社で、謎の子供が蹴り上げた下駄が頭に直撃する――そんな夢うつつな出来事から、もう一年。季節はまた、一年で一番寒い時期を迎えていた。
あれから、彰良の天気予報は外れ知らずとなっていた。
百発百中。彰良が口にした予報は、明け方の霧から夕方の夕立まで、どんな些細なことでも当たる。
それは最早、予報でなく予言だ――と。
気象予報士ではなく、気象予言士。
ちまたでは、彰良をそう呼ぶ人さえいる。
その評判は、情報化社会で瞬く間に広がった。
「さて、明日は雪の可能性が出ていますが、さて、どうなるでしょう、か」
いつも通り、謎のマスコットキャラ『クモスケ』の着ぐるみと動作を合わせて、VTRを振る。
彰良は今、夕方の大型情報番組のお天気コーナーを担当していた。
前任の担当者が、高齢で番組を引退する。そんな話が局内で上がったのは、昨年夏だった。局内でも長年続いている枠だけに、後任は誰になるのか――そんな注目が集まる中、白羽の矢が立ったのが彰良。まだ若手といっても差し支えない彰良が抜擢された理由はひとえに、近頃うなぎ登りだった評判の良さだった。
それから過ぎること、半年あまり。
今の彰良がどんな評価を得ているか、観覧席の様子を見れば一目瞭然だった。
ネットの海を検索すれば、人気お天気キャスターランキングで、名だたるベテランに交じり上位に彰良の名前がある。
順風満帆とは、まさにこういうことをいうのだろう。
「――というところで、関東は寒さが厳しいでしょうが、概ね曇り時々晴れ。南部の沿岸部で多少雨がちらつく程度の予想でしょう」
観覧客、撮影スタッフ、それからスタジオのMC。誰もが彰良の言葉に、ホッと息を吐いたのが感じられる。おそらく、テレビの向こうの視聴者の多くも。
そうして予報も終盤にさしかかり、お天気コーナーを締めようとしたその時だった。
「やーーだーーーー!!」
金切り声に近い子供の叫声が、和やかだった中継現場を凍り付かせた。
「やだやだやだー! ゆーきー! 雪だるま!」
その場の誰もが声の発生源に目を向ける。観覧席の端――小学校に上がる前ぐらいの男の子が床に転がって駄々をこねていた。
母親は傍にいないのか、男の子を諫めようとする人はいない。
担当者が慌てて中継を終わらそうとするが、それよりも早く男の子が観覧席を飛び出して、全身全霊で彰良に突撃する。
「ぼく、明日は雪がいい!」
思わぬ衝撃にたたらを踏むも留まった彰良は、素直な要求をする男の子に困った顔を向けた。
「こらこら、急に走ったら危ないよ」
「雪がいい! 雪だるま作って雪合戦したい!」
「うーん……そう言われてもねぇ」
そこでようやく中継が切れる。慌ただしく動き始めるスタッフを余所に、彰良はしゃがみ込んで男の子の顔を正面から見た。
「お兄さんは天気を決めてるんじゃなくて、明日の天気がどうなるか『予想』してるだけなんだ。分かるかな。雨になりそうだとか、晴れになりそうっていうのを言っているだけなんだよ」
「嘘!」
「嘘じゃないよ。お天気を決めるのは神様なんだ」
微笑んで、頭を撫でる。男の子は「じゃあ」と言った。
「三雲さんは天気の神様なんだ!」
その一言は、慌ただしかった現場を静まりかえらせるには、十分だった。
彰良は答えなかった。笑顔のまま、少年の頭に手を載せたまま。
少年はキラキラとした目で、彰良を見ていた。
その場の誰もが、耳をそばだてていた。
彰良がなんと答えるのか。
「だってお母さん言ってた! 三雲さんは天気を決められるんだって!」
――天気は、三雲彰良が言ったとおりになる。
そんな噂話がまことしやかに囁かれるようになったのは、いつからか。
予報が『予報』なんかじゃないこと――そんなこと、彰良が一番分かっていた。
それでも彰良は予報を続けた。
冗談めいた発言一つで、真夏に雪を降らすことも、クリスマスを真夏日にすることも出来た。好天を続けることも、悪天ばかりにしてもよかった。
けれど彰良は、上がってくる気象データと毎日睨めっこし続けた。他の予報士の言と大きく差が開かないようにした。時には人間に都合の良い発言を少しだけ――災害が起こらないような、そんな言葉選びをしたこともあったけれど――
突然得てしまったこの、おかしな力を怪しまれぬよう。他の予報士の面子を潰さぬよう、天変地異を起こさぬよう。
一年、ずっと。毎日、『予報』した。なのに――
どうしてこんな視線を浴びせられているのか。
期待と不安と――畏怖。
そんな色々が入り交じった、ぐちゃぐちゃ色の目が、彰良を見ている。
誰もが彰良に、『天気予報』を望んでいた。
『明日、友達とテーマパークに行くので台風を消して下さい!』
『運動会が嫌なので大雨にして下さい』
毎日数え切れないほど目にする、そんなファンレターやメッセージのように――彰良を見上げる、目の前の男の子のように。
誰もが彰良に、自身に都合の良い『天気予報』を望んでいる。
だから、彰良は思ってしまったのだ。
あぁ、めんどくさいな――と。
もしかしたら――もしかしたら。
(神様もこんな気持ちだったのかな)
彰良は弾かれたように立ち上がった。
「じゃあ占いで決めよう!」
よく通る声が、場の張り詰めた空気を打ち砕いたのは気のせいではないだろう。「……は?」と呆けた声が、どこからか上がる。
「うらない……?」
きょとんとした顔で目をパチパチさせる男の子に、彰良は頷いてみせる。
「ほら、靴飛ばしとか靴占いって言うでしょ? 飛ばした靴が着地した向きで天気が分かる昔からの遊び」
男の子から少し離れ、計らずしも屋外デッキの中央――開けた場所へ、彰良は進み出る。ヨッと軽快な動作で右足の靴を踵から外し、爪先だけ引っかけた状態にして、そして混乱から立ち直った周りが制止するよりも早く、足を振り抜く。
「あーした天気になーあれ!」
そうしてちょっと奮発して買った彰良の革靴は真っ暗な空に天高く跳ね上がって――制止。急速に落下し、
「あいてっ!」
男の子の頭にクリーンヒットした。靴は地上に転がり落ち、止まる。
そこへつんざくような声が飛び込んだ。
「ちょっと、うちの子に何するんですか!?」
赤子を抱き抱えた女性が慌てて駆け寄ってくる。大丈夫、だとか、何をしてるんですか、とか。ヒステリックな声を上げて子供の頭をさする母親を無視して、彰良は靴の傍までけんけんで近づいていく。
靴は――靴底を空に向けていた。
「靴が裏ということは……雨。良かったね、ぼく!」
先端に傷がついてしまった靴をはき直して、彰良は笑顔で男の子の前にしゃがみ込んだ。傍の母親が、ビクッと肩をふるわせて、身を引く。彰良を見た顔は、蒼白だった。
「明日はきっと大雪だ」
「雨じゃないの……?」
「すごーく寒いと、雨は雪になるんだ。だからこーんな! 山盛りの雪が降って、一面真っ白になるよ、きっと!」
両腕をぐるっと回し、山盛りを表現してみせる彰良。男の子は一瞬目をぱちくりさせ、それからパァッと顔を輝かせた。
「ほんと、本当!?」
「うん、本当。だからいっぱい雪だるま作って、みんなとたくさん雪合戦してね」
立ち上がった彰良は、男の子の頭を一撫でして、踵を返す。時が止まったように静まりかえった屋外デッキ。いつも通りに「お疲れ様でした」と言いながらスタッフの間を抜け、彰良は局内に戻っていく。
「ねぇお母さん聞いた!? 明日は雪だって!」
凍り付いた時間を動かしたのは、男の子の元気な声だった。
寒空の下に、無邪気な幼い声が響き渡る。
「僕、雪だるま百個作りたい! あとね、みんなと公園で雪合戦して、それから、それから、あっ、『かまくら』も作りたい!」
男の子は笑う。
「雪、いーっぱい降るといいね!」
――翌。
未明から勢いよく降り始めた東京の雪は、丸一日以上降り続き、未曾有の大雪となった。
路面の積雪、凍結による自動車の追突、衝突、横転、玉突き、滑落事故。交通事故が広範囲で多発した。
坂道を始め、路面では徒歩・自転車の転倒事故が相次いだ。打ち所が悪く、中には救急搬送された人もいた。
あらゆる交通機関は、止まった。
多くの帰宅困難者が、屋外で長時間、風雪に晒された。
体調不良を起こし緊急通報するものの、手が足りず緊急車両を回せない、あるいは雪で現場に辿り着けない。
そんな混乱が、数日続いた。
この異常気象によって生じた死傷者は、優に三桁に及んだ。
未だ真っ白な町並みを眺め、彰良は思う。
はてさて、明日の天気はどうだろうか?
「あーした天気になーあれ!」
どこかから子供の声が聞こえる。
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