【メモ】生きる「意味」と生きる「価値」 ③

生きる「意味」と生きる「価値」
① (Link)
② (Link)(前回)
③ (Link)(今回)

2022.03.04

7.  僕が提案する「希求的価値」のおさらい

前回提案した、「希求的価値」について箇条書きで振り返ります。

・自分自身に「行動」を促す原動力として働く

・原動力の発信源は、
現在の他者との比較による評価(市場価値)ではなく、
自分自身が未来に求めて望んでいるところに向かうこと

→ ここから「希求的(望んで求める)」と名付けた
→ 感覚としては、
「〇〇というところに、どうしても来てみたいだろ?」
と未来の自分から引っ張られちゃうかんじ

・「そもそも原理的に到達不可能なこと」を方向性の指針として、
その"方向性"に向かうための通過点を "目標" とする

→ "目標" そのものが悪いことではなく、
"目標を達成したらそこで終点" であることが問題

前回書いた内容は、こんなところでしょうか?


8. どうやって「皆さんそれぞれの希求的価値」を探すのか?

問題はここからです。

酵母マンという人物は、希求的価値なるものが素晴らしいと言っている。
そんなに素晴らしいのなら、試しに私も「希求的価値」というものを見てみたい。

それには、どうしたらいいの?


ここを乗り越えるために大事なのが、
「欲求」と「尊敬」
だと僕は考えています。


9. 「欲求」の話 - 「今現在」の自分が「何をしたいか?」


欲求問題の解決策は、僕が以前に書いたメモに端的にまとまっているので、
こちらを読んでいただきたい。

簡単にいえば、「今現在、目の前でやりたい行動」が「欲求」です。

【第二期 欲求を開発しよう!】Part 5 僕には欲が、ないらしい (Link)

「希求的価値」と「欲求」がどのように関係するのか?
この段階では説明が難しいので、一旦先に進めます。


10. 最重要キーワード「尊敬」「尊重」「リスペクト」


僕が、「希求的価値」というキーワードにたどり着いた突破口は、
尊敬」という概念を改めてしっかりと考えたことに端を発します。

ありふれているのに、正確に理解できない概念…
ちょうど、「愛情」「感謝」について考えていたころによく似ています。


この記事を読んでいる方は、「尊敬」という言葉の
「意味 = 中身」がわかりますか?

お恥ずかしながら、僕には「尊敬」という言葉の本質的な意味がわからなかった。

だけど、こんな経験は前にもありました。
愛着障害と闘う時期に直面した、
「愛情」と「感謝」の意味不明さです。
しかしながら、愛着障害の克服を通して、
「親に経済的に養ってもらったこと」
「某国立大の学費や生活費を支援してもらったこと」
これらに対する「感謝」はリアリティを伴った概念として
"体で" 理解できました。

僕が到達した結論は、
・未来に向かってポジティブな変化を促す力が「愛情」
・愛情によって物事が変化したときに、
過去に向かって返礼するものが「感謝」
→ ただし、「感謝」が発生することで初めて、
当初の「変化させる力」が愛情であった、と認識できる。

だとすれば、直感的には理解できない言葉には、
「しっかりと思考を巡らせることで、言葉の持つ本質を掴むことができる」
のではないか?

そのような考えのもと、約1年間思考を巡らせ続けました。

僕が「尊敬」という概念のはしっこを掴んだ経緯は、
こちらの記事にまとめてあります。
ご興味があれば…

【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 9 「尊敬」と「価値」の関係ってこんなかんじ?  (Link)


11. 「尊敬」「尊重」を紐解いてみる!

まずは、似ている言葉を並べてみます。
日本語の「尊敬」「尊重」
英語の「respect」「esteem」
英語で「self-esteem」といえば、「自尊心」の意味になります。

この言葉たち…
どれがどう違うのか、はっきりと・概念的に・区別できますか?

どこから切り込むかというと…
「尊敬」と「尊重」の違いから入っていきます。

・彼の意見を「尊敬」します。
・彼の意見を「尊重」します。

・子供の考えを「尊敬」する。
・子供の考えを「尊重」する。

・ジョジョの荒木飛呂彦先生を「尊敬」する。
・ジョジョの荒木飛呂彦先生を「尊重」する。

・親を「尊敬」する。
・親を「尊重」する。

こうして並べてみると、
明らかに「尊敬」と「尊重」は全く違う言葉であることがわかります

では、どう違うのか?
まずは、感覚的な言葉で表してみます。
尊敬:「す、凄味があるゥゥゥッ!!!」
尊重:「…んあァ?いいんじゃァないかい?」
(ジョジョ味が濃くなりました)

これを、もう少しお堅い言葉で表すと、次のようになります。
尊敬:「自分事」として、「とても」重要なこと
尊重:「他人事」として、「ある程度」重要なこと

僕が考えるに、「尊敬」と「尊重」という言葉は、
・「自分事 or 他人事」という「関係性の距離感」
・「とても重要である or ある程度重要である」という
「重要さの程度」

の2点が大きく異なるように思います。


12. 「respect」「esteem」を紐解いてみる!

ここで、「尊敬 vs 尊重」の戦いを掘り下げる前に、
他言語である英語を通して理解を深めてみます。

「尊敬」「尊重」に相当する言葉は、
英語では「respect」と「esteem」です。

言葉の意味を紐解いてみると…

「respect」
= 「re (再び)」+「spect(見る)」
例えば
perspective: 見通し
spectator: 観客
inspect: 点検
「esteem」
= 語源は「ラテン語で "評価する"」

(Weblio辞書より → こちら

まず、紐解いた言葉から、次のことがわかります。
respect = 物事を「どのように見るか?」というのが本質的ニュアンス
esteem = 物事を「どのように良し悪しで判断するか?」が
本質的ニュアンス


13. respect = 『過去』を振り返る営み

日本語と英語という2つの角度から眺めることで、
どこをどう比べたらいいかという4点の要素が揃いました。
① 「自分事 or 他人事」という「関係性の距離感」
② 「重要さの程度」
(尊敬 vs 尊重)
③ 物事を「どのように見るか?」
④ 物事を「どのように良し悪しで判断するか?」

(respect vs esteem)

そうすると、
② 「重要さの程度」と
④ 物事を「どのように良し悪しで判断するか?」

ここはなんとなく似通っているのがわかります。

一方で、
① 「関係性の距離感」
③ 物事を「どのように見るか?」

ここは、異なる概念を指していそうな雰囲気があります。


このあたりまで理解を深めた上で、
さらに本質をえぐっていきます。

respect = re(再び)+ spect(見る)
実は、この言葉には、
再び = 時間的な前後関係
が含まれていることがわかります。

もっと直接的に表現すれば、
respect = 『過去』を振り返る営み
です。


だ〜んだん話が見えてきましたかね?
ここで日本語に戻りましょう。
日本語では「尊敬」と「尊重」。
どちらのニュアンスでも「リスペクト」という言葉を使います。
そして、どちらの場面においても、
リスペクトする相手の『過去』に意識を向けている
というのが感覚的にわかります。

一方で、元々の話でも触れたように、
尊敬:距離感的に「自分事」
尊重:距離感的に「他人事」
という違いがありました。


14. 尊重 = 「自分とは異なる生きる道」を選んだ人に対して、
「『過去の営み』」を意識して「一定の評価をする」

では、「尊重」
= 「他人事」の「『過去』に意識を向ける」
とはどういうことなのか?

ここの話を進めたいがために、
生きる「意味」と生きる「価値」(
を書いてきたわけです。

とくに、ここで重要なのは、
①に登場する「過去に基づく価値 = 生き物の基本的価値」です。

誰もが、数億年にわたって続く、生き物の基本的価値
を背負っている
この「時間的な積み重ね = 『過去』」に意識を向ければ、
あらゆる生き物が重要文化財的な価値を持っているよね?

↑上のような、あらゆる生物に対して通用するものが、
「尊重」という言葉の本質です。

みんながみんな、それぞれ過去の時間的ないきさつを背負っている。
みんな、『それぞれに』いろんな事情を抱えているんだよ

というのが言葉の本質なんです。
だから、
形容詞形: respective 「それぞれの」
副詞形: respectively「それぞれに」

という言葉として今現在使われるわけです。


画像1

ここで、1枚の絵を引用します。
こちらは、福本伸行先生の代名詞とも言える、
「カイジ」の一場面です。
(カイジの序盤、「鉄骨渡り」において、某キャラクター(石田)が
エライことになった後のカイジ自身の回想だったと思います)

漫画の中では、高層ビルの間に架けられた幅数センチの鉄骨を、
主人公カイジが命がけで渡るシーンです。
高層ビルの間に架けられた、2本並んでいる鉄骨を幾人もの参加者がじりじりと
渡りますが、
主人公カイジは「たかだか数メートルしか離れていない鉄骨ですら、
 別の鉄骨を渡る人間は、別の運命を進むことになる」
ということを悟ります。
そして、「それぞれの違うルートに入った人間は、別の運命をたどる」
これは、鉄骨渡りに限らず、あらゆる人間に共通する、
本質的事実ではないか?
ということをカイジ、そして作者である福本先生は読者に問いかけてきます。


なぜ、ここであえてカイジの1場面を出してきたのか?
それは、この絵が「尊敬」「尊重」の理解の上で、
視覚的に最もわかりやすいからです。


「尊重」という言葉が持つ本質的な意味は、
「自分が渡っている鉄骨とは別の鉄骨」
=「自分とは異なる生きる道」を選んだ人に対して、
「『過去の営み』」を意識して「一定の評価をする」

ことです。
(評価うんぬんは「esteem」からきています)

冒頭の例を改めて見てみましょう。

・彼の意見を「尊敬」します。
彼の意見を「尊重」します。

・子供の考えを「尊敬」する。
子供の考えを「尊重」する。

・ジョジョの荒木飛呂彦先生を「尊敬」する。
ジョジョの荒木飛呂彦先生を「尊重」する。

・親を「尊敬」する。
親を「尊重」する。

いずれの使い方も、
「自分とは異なる生きる道」を選んだ人に対して、
「『過去の営み』」を意識して「一定の評価をする」
ことがわかります。

面白い見方ですよ。
特に「子ども」に対して「尊重」と使う場合、
重要な意味を含んでいます。
なぜなら、「尊重」という言葉には
「自分と他者を分離した上で、他者である相手に
一定の評価を与える」
という意味を含んでいるから。
逆にいえば、子どもに関して自他の分離ができていない人
あるいは、自分の子どもを操り人形のようにしてしまう親は
「尊重」という言葉を全く理解していないことになります。
「過保護」「過干渉」の親も、「子どもの尊重」は全くできていませんね。


15. esteem = 横並びの「市場価値」における「『一定以上』の評価」


ここまで、
respect = 『過去』を振り返る営み
尊重 = 「自分とは異なる生きる道」を選んだ人に対して、
「『過去の営み』」を意識して「一定の評価をする」

と理解してきました。
ポイントは、
「自分事 or 他人事」
「時間的視点」
「評価」

でした。

さて、では「self-esteem = 自尊心」と翻訳される、
「esteem」はどうなのか?

ここも、近い言葉を見ることで本質をあぶり出します。
それは、「estimate = 見積もる」。

つまり、esteemが内在する意味合いは、
(他者と比較した上で、何かしらが優れていることを根拠とする)評価
です。
ここを踏まえれば、「self-esteem = 自尊心」の意味するところは、

「何かしら優れている根拠に基づいた『自尊心』」
であり、
もっと踏み込んだ表現をすれば、
「他者との競争を勝ち抜いた先に存在する、『勝利の報酬としての自尊心』」
こそが言葉の本質です。

これは、僕のnote②で書いた
他者との比較に基づく価値 = 市場価値
に当てはまります。


こうやって考えると…
「self-esteem」から翻訳された「自尊心」って感覚は、
けっこう生きづらそうだなぁ…
と正直思いますよね。


16. 本質に入ろう!「尊敬」に挑む


やっと、やっと…最も考えたい「尊敬」に挑むところにたどり着きました。

しかし、もう既に相当の文量を割いてしまっているので…

次回に回します!!

申し訳ないですが…
お待ちいただけると幸いです。

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