【第二期 欲求を開発しよう!】Part 5 僕には欲が、ないらしい
2020.04.05
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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 4.6 過去の欲について(大学生院編)
5-1. レベルが高くてついていけない
2019年4月から、僕は別の場所に移った。
そこの研究のレベルは、僕がもともといた場所とは比べ物にならないほど高かった。
そのレベルについていくための知識も、経験も、何よりモチベーションも。
僕には足りていなかった。
そこの先生には、「酵母マンさんは欲が弱いよね」と言われた。
その頃から僕は、「欲」について考えるようになった。
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5-2. 自分がしたいことって、なんだろう?
「自分がしたいこと」
これが「欲」だとするならば、自分は何をしたいのだろうか?
愛着障害克服前の僕だったら、この質問を聞かれたらこう答えただろう。
「お酒の会社に入りたい!」
「博士号を取りたい!」
「愛着障害のことを理解しあえる彼女がほしい!」
しかし、ここに挙げたものはすべて、「けっこう先の未来」の話。
愛着障害の理論的に考えると、
「過去があるから現在があり、現在があるから未来がある」
だから、「自分のしたいこと」は、
・「過去にしたかったこと」
・「現在にしたいこと」
・「未来にしたいこと」
で分けることができる。
ノート療法等々で「自分の過去」への理解はかなり進んだ。
とするならば。
次の課題は、「現在」の課題をどう解決するか?
「未来にこうしたい、こう在りたい」という課題に取り組むには、現在の課題を解決しないと無理だよねってことだ。
では、改めて自分に質問してみる。
「今現在、この瞬間、自分は何がしたいのか?」
そうすると、先程のような答えは出てこない。
だって、いまこの瞬間には実行不可能なんだから。
出てくる答えは…
・ご飯食べたい
・お酒飲みたい
・本読みたい
・大河ドラマみたい
・愛着障害克服記録書きたい
というように、「目の前の、近距離の物事」が出てくる。
ほう…こいつが、僕の「欲」なわけだ。
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5-4. 欲求と願望
今までなんとなく「欲」という言葉で片付けていたものについても考えてみた。
「ご飯を食べたい!」も、
「会社に入りたい!」も、
どちらも欲、かっこつけていえば「欲望」なわけだが。
前者は実際の行動につながるけれども、
後者は「こうなったらいいな」という未来の状態だ。
ここは、分けて考える必要がある。
そこで僕は「欲望」を2つに分けることにした。
実際の行動につながるもの = 欲求
それ以外の欲望 = 願望
欲求 と 願望 が合わさって、欲望となる。
これはあくまで、僕が勝手に考えたものです。
誰かが既に言っていることかもしれないし、
はたまた全くもって間違った考え方かもしれない。
そしてもう1つ。
「したいこと」と「しなきゃいけないこと」を分けてみた。
欲求と願望になぞらえて、
実際の行動につながる「しなきゃいけないこと」= 要求
それ以外の「しなきゃいけないこと」 = 要望
これを図に表したのがこれ。
「したいこと」が自分発信なのはわかりやすい。
一方、「しなきゃいけないこと」は…
平たく言えば「自分的にはやりたくないこと」だ。
だからこちらは他人発信と考えることにした。
こうやって図に表してみると、わかりやすくなる。
考え方として、あらゆる行動が4つに分類される、というよりは。
それぞれの色の割合で考えたほうがいいと思います。
・一人で好きな本を読むのは、「欲求10」
・仕事関係の本を読むのは「欲求7 要求3」
・役所に行って、手続き関係の書類を読むのは「要求10」
みたいな。
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5-3. 欲が満たされない=欲求不満が溜まってた
僕の「今現在の欲」をなんとなく把握することはできた。
ではここで、「本を読む」という欲望を考えてみる。
僕の家には、積読の本がたくさんあった。
これを読むことが、僕の欲求だ。
積読本が10冊あったとしたら、
一冊、一冊を読むことが欲求であるし、
10冊読み切るところまで欲求ともいえる。
しかし、問題はここから。
本を読むのが好き、なだけでなく。
本屋で本を探すことも好きなのだ。
本屋に行って、本を一冊買ってきたとする。
そうすると、この新しい本を読めば、
「買ってきた本を読みたい!」という欲求は満たされる。
一方で、積読本は一向に読み進まないので、こちらの欲求は満たされない。
また逆に。
積読本を読み進めることを優先すると、
買ってきた本は11番目に読むことになるので、
今度はこちらの欲求が満たされない。
この状態…なんかやばい。
まず、欲求が満たされないわけだから、「欲求不満」だ。
というか、そもそも積読という状態は、
「過去に発生した『この本を読みたい』という欲求」が、
満たされないまま放置された残骸ともいえる。
これが
問題点①
欲求の「発生」と「達成」との間にタイムラグが生じる
このタイムラグが、「今現在を生きている!」という感覚を喪失させてしまうのではないか?
もう一つは、「欲求」の定義だ。
実際の行動につながるもの = 欲求
今回の場合、
「積読本を読みたい!」も
「新しい本を買って読みたい!」も
それ単体で見れば、どちらも欲求だ。
しかし、この2つの欲求は互いにぶつかりあってしまう(拮抗する)ため、
どちらかを実行すると、必然的にもう一方は実行できなくなる。
欲求が実行不可能になるということは…それは願望ではないか?
これが
問題点②
欲求の願望化
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5-4. 蓋を開けたら「認知行動療法」
本を読む、という簡単な行為ひとつとっても、欲求と願望の間で問題が生じていることがわかった。
では、どこに問題の改善点があるのか?
「積読本を読むこと」と「新しい本を読むこと」
どちらかを抑圧して我慢するのか?
この二項対立だけで考えると、答えは出ない。
ヒントは「欲求との距離感」だ。
積読本は、今現在、実際に僕の目の前にどかん!と積み上げられている。
目の前に存在する = 物理的距離がゼロ
自分が所有している = 心理的距離がゼロ
現実に存在している = 時間的距離がゼロ
(むしろ、過去に置き去りになっている)
”ゼロ距離の現実”だ。
一方、新しい本はどうだろうか?
本屋まで買いにいく = 物理的な距離感
他人の所有物 = 心理的な距離感
所有は未来の結果 = 時間的な距離感
”距離感のある未来”なわけだ。
そうすると、欲求問題の視点で考えると、
優先すべきは「現実に存在する積読本を読むこと」
となる。
では、「新しい本を読むこと」という欲求はどうしたらいい?
ここも、距離感を利用する。
さらに、「刺激の頻度」を考える。
毎日のように本屋に行けば、そりゃ新しい本も欲しくなりますよ。
一方で、週に一回、月に一回、と「新しい本と出会う頻度」そのものを減らすことで、「新しい本を読みたい!」という欲求を弱らせるわけです。
あと重要なのが、「具体化」。
「なんとなく新しい本が読みたいな」と
「〇〇の最新刊が読みたい!」は、
読みたいという気持ちが全然違う。
欲求ってのは、実際に行動を伴うものだから、
具体的・現実的な要素が強くなる。
逆に言えば、あまり具体化されないもの・できないものは、
欲求というよりも願望なのではないか。
まとめると、こうゆうことになる。
①欲求のタイムラグが発生している積読本読破が最優先
②「新しい本」は距離感と頻度を利用して、欲求そのものを弱らせる
③弱まった欲求は、結果として「漠然とした願望」に変化する
④気になる新刊が出たら、即買い即読み
こうして、一つ一つの行動についてしっかり考えて、認識を改めることで、行動が変化し、それが感情に作用する。
あれ、これ…どっかで聞いたことある…?
認知行動療法やないかい!!
(お釈迦様の手のひらで暴れる孫悟空の気持ち)
欲求との格闘は、まだまだ続く…
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