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【文学賞は新人賞だけにあらず】自治体文学賞徹底解説!(2011年11月号特集)


自治体文学賞の起源

 自治体文学賞のさきがけとなったのは、1988年(昭和63年)から募集が開始され、翌1989年(平成元年)に応募が締め切られた「坊ちゃん文学賞」と「自由都市文学賞」。いずれも市制100周年を記念した文化事業だった

 当時は市制100 周年と釘打った公募が多かったが、それには理由がある。
 平成の大合併という言葉は記憶に新しいが、その前に昭和の大合併、明治の大合併というものがあった。

 1889年(明治22年)、市制町村制が施行され、市町村数が71、314から15、859に減少した。このときに39の市が誕生したが、明治22年から100年後にあたる平成元年、それらの自治体が一斉に市制100周年を迎え、多くの自治体が記念事業を行ったというわけである。松山市と堺市の記念事業もその中のひとつだった。

 この成功に触発され、その後、自治体文学賞の創設ラッシュを迎える。当時は好景気(バブル景気)のうえ、1988年から1989年にかけてふるさと創生資金として各市区町村に1億円が交付されたことも追い風となって、様々な公募イベントが生まれた

出版社と組んで欠点をカバー

 自治体文学賞の特徴は、1990年代当時で言えば高額賞金をうたっていることだった。これは自治体文学賞に限らない。新設された文学賞であれば歴史も権威もなく出身作家もいないから、高額賞金を掲げてPR効果を狙うのは当然のことだ。

 一方、応募者から見て気になるのは、賞金は励みなるが、受賞後の道が見えないことだった

 新人作家の発掘と育成を目的とする新人文学賞と違い、懸賞小説の場合は受賞後のフォローまではないのが普通だが、それまでの懸賞小説は、新田次郎を生んだ「サンデー毎日創刊30年記念100 万円懸賞小説」や、三浦綾子の『氷点』を世に出した朝日新聞社の「1000 万円懸賞小説」のように、プロを生みだす力があった。

 しかし、自治体は出版社でも新聞社でもないから、原石を発掘する能力という面においても、また受賞作品を商業出版して話題を作るという面においても、当初の自治体文学賞にはそこまでの力はなかった

 それゆえ最近の自治体文学賞は大手出版社と組んで開催するケースが多い。自治体としても選考と受賞作品の刊行という面で大きな力となってもらえ、出版社側からしても有為な新人と作品を見出す機会となるわけだから、両者両得である。特に太宰治賞のように賞の運営は出版社、予算面は自治体と分担するスタイルは、自治体文学賞の新しいかたちとして注目していいだろう

最近の自治体文学賞

 自治体文学賞に対する一般的な応募者のイメージを代弁すると、「異端の小説は好まれないのではないか」ということだと思う。実際はそうではないのかもしれないが、ひたすら気色悪い小説とか、性の問題に真っ向から挑んだ官能小説といったものにはお目にかかったことがないから、応募する側のせいなのか、それとも選ぶ側のせいなのかは分からないが、なんらかのバイアスがかかっていることは確かだろう……

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https://koubo.jp/article/24917

※本記事は「公募ガイド2011年11月号」の記事を再掲載したものです。