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【物語の方程式を身に付ける】トレーニングとしての模倣のススメ(2013年2月号特集)


テーマは発見するもの

テーマというものはよくよく考えるとなんだかよく分かりませんし、主題、題目、コンセプト、モチーフなど似た言葉がたくさんあって混同してしまいそうですが、ここではシンプルに、
「作品を通じて伝えたかったこと」と定義づけましょう。

このテーマというものには、どうやら意識できるものとできないものがあるようで、書き終えたあと、「そうか、私はこんなことが書きたかったのか」と改めて気づくことがあります。この場合のテーマは、書く前には決して分からないものなのでしょう。

逆に言えば、こうした潜在的なテーマは、書いたあとで見つければいいとも言えるわけです。

書けばテーマも変わる

第二章でやったように、視点や構成をいじくっているうちに、テーマまで変わってきたり、新たなテーマが加わったりすることがあります。テーマが変われば、もう完全に別の作品と言えます。
たとえば、昔話「桃太郎」の設定をこんなふうにリメイクする。

《おばあさんは桃太郎のことを痛切な思いで述懐しています。「桃太郎は鬼退治をし、宝物を持って村に凱旋したけど、鬼退治のときのケガが元で亡くなってしまった。桃太郎は今でも村の偉人だけど、本当にあれでよかったのかねえ」と。》

 

こうなると勧善懲悪というより、鬼退治に行かせたことへの懐疑のほうが前面に出て、正反対の話になりそうです。
あるいは、鬼ヶ島に攻め入る前のくだりを、こんなふうに詳しく書いたらどうでしょうか。

《イヌは「正々堂々、真正面から攻め入ろう」と主張し、サルは「たった四人で正攻法で行くのはいかがなものかと」と正論を吐きました。キジは「それならオレが物見に行ってやるよ」と偵察に行き、「敵は五人、武器は金棒のみ」と報告しました。桃太郎はイヌに「先に潜入して金棒を隠し、遠吠えで相図をしろ」と指示し、サルとキジには周辺の情報収集を命じました。》

 

戦争ものみたいですが、この部分だけ取り上げると、テーマは「上官のあり方」とか、「事前準備の大切さ」ということになってくるような気もします。

キャラクター設定を変えたり、加えたりしても、話は変わってきますね。たとえば……。

《おばあさんは、「近頃、村を荒らしている鬼がいて困るのよ」とこぼしています。ならばと桃太郎は鬼退治に行くことを宣言しましたが、おばあさんは心晴れない様子。「確かに困ってはいるけれど、鬼にだって生活があるし、子どもだって育てなきゃならないんじゃないのかい? わたしらだって、食うために獣を殺しているんだし。事情は大差ないと思うんだけどねえ」》

 

冒頭にこんな会話があったら、結末も変わってきます。昔話「桃太郎」は「悪い鬼」という前提があるからこそ鬼を懲らしめたときに話が落ちるのであって、「鬼は必ずしも悪くない」と言われてしまっては、鬼退治には行っても征伐するわけにはいかず、「お互いに棲み分けをして、うまくいかないときは話し合いで決めようね」とでも言わなければ話が終われません。物語の始まりと終わりは呼応していないといけないからです。

で、この結末から導き出されるテーマ、それは勧善懲悪などではなく、「人間と鬼の共存」ですね。
何か書き加えれば、それによって生まれた歪みを調整するため構成も変わらざるを得なくなり、構成が変わると別の意味が生まれ、テーマに影響してきます

ジャンルを変えてみると

特定のジャンルを与えてみると、必然的に設定やテーマも変わってきます。たとえば……。

《桃太郎と鬼は武器を捨て、リングを作り、ボクシングで決着をつけることにしました。1ラウンド3分、フリーノックダウン制で、勝敗がつくまで何ラウンドでも行うそうです。》

 

こうなると、かつてのスポ根アニメ風ですし、「友情」「努力」「勝利」といったテーマも入ってきそうです。
あるいは、桃太郎が出生の秘密に悩んだらどうでしょうか。

《果たして人は桃から生まれるものだろうか。桃から生まれたというのは嘘で、本当は捨て子だったのではないか。桃太郎は自分の出自について疑問に思い、ある日、祖父母に向かってこう切り出しました。「生みの親を探す旅に出ます」》

 

これはもう完全に「自分探し」ですね。アイデンティティーの危機の前に、鬼退治どころではないという感じです。

ところで、もともとの「桃太郎」の話では、桃を食べて若返った老夫婦が夫婦の営みをし、その結果、桃太郎が生まれたと設定されています。
このあたりを当初のストーリーのままなぞると……。

《布団の中で男は首をひねった。隣にいる若い女は誰だ。間近に見える白いうなじだけ見ると妻のようだが、どうも違う。触れてみると娘のように滑らかで、男は下腹部にこわばりを感じた。そのとき、女が振り返った。「あんたみたいに若い男がなんの用だい」若い男だって? 男は慌てて鏡を探しに行った。》

 

これだと官能小説になりそうです。

トレーニングとしての模倣

名作や既存の作品をパクるのは、パクるのが目的ではありません。先行作品を下敷きにし、そこからオリジナル作品を作るのが目的です。
ストーリーがうまく作れない、作るには作っても破綻してしまうのは、ストーリーの方程式というか、型を持っていないのが要因です。

では、どうすればいいか。優れた作品のストーリーをなぞるのが一番です。そうした作品は、構成や展開も練られているはずですから。
最初は、第一章でやったようにストーリーの骨格だけを取り出し、それに新しい枝葉を加えて膨らませていくだけでいいです。元ネタと比べてみると、表現方法やストーリー作りの勉強になります。

たとえば、志賀直哉「城の崎にて」をお手本にしてみましょうか。

《ストーリー》
主人公の〝自分〟は山手線にはねられて、その後養生に一人で但馬の城の崎温泉に出かける。
温泉宿の二階から玄関の屋根が見え、そこで一匹の蜂の死骸を発見する。
ある午後、小川のほとりで人々が騒いでおり、大きな鼠が川に投げ込まれる。
鼠の首には串が通っており、石垣の隙間に入ろうとするが、串が邪魔で入れない。人々は石を投げる。死ぬに決まった運命なのに鼠は全力を尽くして逃げまわる。
ある夕方、小川の石の上にいたイモリを驚かせてやろうと石を投げると、偶然石が命中してしまい、イモリは体を硬直させて死んでしまう。主人公は、生きていることと死んでしまっていることと、両極ではなかったと思う。
三週間後、主人公は温泉宿を去る。

志賀直哉『城の崎にて』

皆さんもこのとおり内容をなぞってみてください。「城の崎にて」は15枚弱の掌編ですので、皆さんも10 ~15枚書き、書き上がったら、実際の「城の崎にて」と比べてみましょう

同じ話を元にしても、完成した作品は全くと言っていいほど違うはずです。まして設定を変えたり、視点を変えたりすれば、ストーリーの骨格は同じでも違った話に見えるはずです。
それはどの家にも床、柱、梁、屋根があるのに、見た目や質感はそれぞれなのと同じです。

話の骨格というのはどんどん盗んでかまいません。物語のトレーニングにもなりますし、ヒントにもなります。できれば昔話、民話、神話などをベースに、掌編から始めるといいでしょう。

桃太郎の雑学

昔話「桃太郎」がいつ書かれたかははっきりしませんが、室町時代に生まれ、江戸時代になって広まりました。内容は地域により多少異なりますが、悪い鬼を退治して帰ってくる勧善懲悪の物語であることはおおむね共通しています。

「桃太郎」は、江戸時代までは桃を食べた老夫婦が若返り、その結果、子どもを授かるという回春型の話でした。しかし、明治期に教科書に採用された際、桃から生まれた果生型の話になりました。

日の丸の鉢巻に陣羽織、のぼりを立て、イヌ、サル、キジを家来にしたのも明治以降のことで(それ以前は上下関係はなし)、これは軍国主義の影響でしょう。

ちなみに、曲亭馬琴は、鬼のいる鬼門(寅)に対し、裏鬼門の申酉戌で征伐したとしています。丑寅の反対方向は未と申ですから少しずれていますが、未では鬼退治がしにくいからでしょうか。

特集「名作のパクり方」
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※本記事は「公募ガイド2013年2月号」の記事を再掲載したものです。

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