【物語の方程式を身に付ける】トレーニングとしての模倣のススメ(2013年2月号特集)
テーマは発見するもの
テーマというものはよくよく考えるとなんだかよく分かりませんし、主題、題目、コンセプト、モチーフなど似た言葉がたくさんあって混同してしまいそうですが、ここではシンプルに、
「作品を通じて伝えたかったこと」と定義づけましょう。
このテーマというものには、どうやら意識できるものとできないものがあるようで、書き終えたあと、「そうか、私はこんなことが書きたかったのか」と改めて気づくことがあります。この場合のテーマは、書く前には決して分からないものなのでしょう。
逆に言えば、こうした潜在的なテーマは、書いたあとで見つければいいとも言えるわけです。
書けばテーマも変わる
第二章でやったように、視点や構成をいじくっているうちに、テーマまで変わってきたり、新たなテーマが加わったりすることがあります。テーマが変われば、もう完全に別の作品と言えます。
たとえば、昔話「桃太郎」の設定をこんなふうにリメイクする。
こうなると勧善懲悪というより、鬼退治に行かせたことへの懐疑のほうが前面に出て、正反対の話になりそうです。
あるいは、鬼ヶ島に攻め入る前のくだりを、こんなふうに詳しく書いたらどうでしょうか。
戦争ものみたいですが、この部分だけ取り上げると、テーマは「上官のあり方」とか、「事前準備の大切さ」ということになってくるような気もします。
キャラクター設定を変えたり、加えたりしても、話は変わってきますね。たとえば……。
冒頭にこんな会話があったら、結末も変わってきます。昔話「桃太郎」は「悪い鬼」という前提があるからこそ鬼を懲らしめたときに話が落ちるのであって、「鬼は必ずしも悪くない」と言われてしまっては、鬼退治には行っても征伐するわけにはいかず、「お互いに棲み分けをして、うまくいかないときは話し合いで決めようね」とでも言わなければ話が終われません。物語の始まりと終わりは呼応していないといけないからです。
で、この結末から導き出されるテーマ、それは勧善懲悪などではなく、「人間と鬼の共存」ですね。
何か書き加えれば、それによって生まれた歪みを調整するため構成も変わらざるを得なくなり、構成が変わると別の意味が生まれ、テーマに影響してきます。
ジャンルを変えてみると
特定のジャンルを与えてみると、必然的に設定やテーマも変わってきます。たとえば……。
こうなると、かつてのスポ根アニメ風ですし、「友情」「努力」「勝利」といったテーマも入ってきそうです。
あるいは、桃太郎が出生の秘密に悩んだらどうでしょうか。
これはもう完全に「自分探し」ですね。アイデンティティーの危機の前に、鬼退治どころではないという感じです。
ところで、もともとの「桃太郎」の話では、桃を食べて若返った老夫婦が夫婦の営みをし、その結果、桃太郎が生まれたと設定されています。
このあたりを当初のストーリーのままなぞると……。
これだと官能小説になりそうです。
トレーニングとしての模倣
名作や既存の作品をパクるのは、パクるのが目的ではありません。先行作品を下敷きにし、そこからオリジナル作品を作るのが目的です。
ストーリーがうまく作れない、作るには作っても破綻してしまうのは、ストーリーの方程式というか、型を持っていないのが要因です。
では、どうすればいいか。優れた作品のストーリーをなぞるのが一番です。そうした作品は、構成や展開も練られているはずですから。
最初は、第一章でやったようにストーリーの骨格だけを取り出し、それに新しい枝葉を加えて膨らませていくだけでいいです。元ネタと比べてみると、表現方法やストーリー作りの勉強になります。
たとえば、志賀直哉「城の崎にて」をお手本にしてみましょうか。
皆さんもこのとおり内容をなぞってみてください。「城の崎にて」は15枚弱の掌編ですので、皆さんも10 ~15枚書き、書き上がったら、実際の「城の崎にて」と比べてみましょう。
同じ話を元にしても、完成した作品は全くと言っていいほど違うはずです。まして設定を変えたり、視点を変えたりすれば、ストーリーの骨格は同じでも違った話に見えるはずです。
それはどの家にも床、柱、梁、屋根があるのに、見た目や質感はそれぞれなのと同じです。
話の骨格というのはどんどん盗んでかまいません。物語のトレーニングにもなりますし、ヒントにもなります。できれば昔話、民話、神話などをベースに、掌編から始めるといいでしょう。
桃太郎の雑学
昔話「桃太郎」がいつ書かれたかははっきりしませんが、室町時代に生まれ、江戸時代になって広まりました。内容は地域により多少異なりますが、悪い鬼を退治して帰ってくる勧善懲悪の物語であることはおおむね共通しています。
「桃太郎」は、江戸時代までは桃を食べた老夫婦が若返り、その結果、子どもを授かるという回春型の話でした。しかし、明治期に教科書に採用された際、桃から生まれた果生型の話になりました。
日の丸の鉢巻に陣羽織、のぼりを立て、イヌ、サル、キジを家来にしたのも明治以降のことで(それ以前は上下関係はなし)、これは軍国主義の影響でしょう。
ちなみに、曲亭馬琴は、鬼のいる鬼門(寅)に対し、裏鬼門の申酉戌で征伐したとしています。丑寅の反対方向は未と申ですから少しずれていますが、未では鬼退治がしにくいからでしょうか。
特集「名作のパクり方」
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※本記事は「公募ガイド2013年2月号」の記事を再掲載したものです。
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