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空想と現実と波

何にも追われない生活を求めていた、求め続けてここまでやってきてやっとのことでなににも追われない求められない追い詰められない生活がやってきた。今週はずっと家にいる。来週はどうなるかわからない。なににも抑制されない生活では自分のリズムが最優先される。気分次第でどこにでも行く。そんな生活が手に入るだなんて5年前の自分は思っても見なかったと言うより思えなかった。

朝起きる。コーヒーを飲む。タバコを吸う。本を読んでみる何かを書いてみる。しばらくするとお腹が減る。まだ午前中だ。ラーメンが食べたくなる。調べる。行き先を決める。出かける支度をして外に出る。電車に乗ってそのお店に行くのだが急いでいないから1時間かかる場所までの電車は各駅停車でずっと本を読んでいる。電車に乗る時は各駅停車ばかりだ。急ぐ必要がないから。本を読むのに最適な各駅停車。

時折読書を中断して窓を眺める。

太陽の光が車内に差し込んできて空の青さと目の前に映る乗客の足、靴、色々な色が混じり合う。電車のモーター音と車輪がレールを滑走する音。車内にいる全員がスマホを片手にその光景や音に気づいていないように見えることも当たり前の光景になってしまっていてもう違和感を覚えなくなった。スマホは便利だ。本も読めるし雑誌も読める。映画も見れるしゲームもできる。素晴らしく便利だけれど、なんだか疲れてしまうから苦手になってしまった。

もしかしたらこの空間で自分だけ現実にいないのかもしれないと思う。
もしかしたら現実はスマホの中にあってその世界でみんなは意識を共有していて、そこに入り損ねた自分は偽物の光景を綺麗なものだと思い込んで一人でスマホを見ている自分以外の人たちを見ているのかもしれない。誰も喋らない車内でだけど全員の意識は働いていてそこに干渉することは絶対にできない。怖い。そう思った。

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