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話の途中

彼女の話はまだ途中で、その話はいつ終わるのか彼女自身もまだ知らなかった。
話すことはいっぱいあった。

歩き疲れて入った喫茶店で、目に入ってなんとなく休もうと思っただけだったのに意外と居心地がよくって鞄に入れていた本を読み始めたら結局2時間も一人でテーブル席を使ってしまって、でもそのあいだ店からはなにも言われることなくとても居心地が良かったということ。そのあいだ、隣の席に入ってきた男女が一人の男に投資の説明をずっとしていて、必ず儲かるというその話が彼女にとっては絶対に手を出してはいけないような類のもので、でも話を聞いていた男はどうやらその話に乗るらしかったこと。その話をしていたテーブルには店員が赴き、なぜか彼女より後に来たのに、時間制限で退店のお願いを申し出ていたこと。

話している最中にも形を取らずにもやのまま頭に漂っていたいろいろな見たものと聞いたものがどれともなく形作られて、はっきりとした言葉として話せるようなものに変化していくことが不思議だった。
彼女はそれまで、頭の中でそのようなことが起こっていることに気づいていなかったから。
意識せず、自分のものとして、自分の意志として話していると思い込んでいたから。

でも、もう自分の意思で話していると彼女には思えなかった。

それは年老いたから。かもしれない。
それは一人でいるから。かもしれない。
ひっきりなしに人と会っているから。かもしれない。

話している最中にも、声を発している最中にも、
人の目を見るのは苦手だけれど、気を遣ってたまに相手と目を合わせるその瞬間にも、彼女の中には新たなあのときの出来事が形になって、彼女はそれを見て思う。

心は外側の相手と内側の彼女自身と向き合って、いつも分散されている。
だから彼女の全部が相手と向き合うことはほとんどない。

そんなことを考えながら、話の途中だと思った。

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