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【短編小説】No.17 おじいさんと杖

そのおじいさんはいつもイライラしています。
次から次へと問題が止まらないのです。

うだるような暑さに耐え凌いだと思ったら凍える冬が来るように、越えても越えても問題がやってくるのです。

この間もそうです。

ずっと悩んでいた足の痛みを解決するべく、杖を買いました。すると、その杖のせいで、雨の日のマンホールで滑って転んでしまったのです。

みんなが見ているのに、とても恥ずかしい思いをしました。

そして今度は四本脚の杖に変えました。杖の先端が四股に分かれているので、以前より滑りにくくなりました。

すると四股に分かれているせいで、でこぼこ道がとても歩きづらくなり、ついには転んでしまいました。

また、みんなが見ています。

今度こそ、と思い、手押し車を買いました。荷物も積めるし、とても安定しているので便利です。

しかしバスに乗るときに大変な思いをしました。足の痛いおじいさんにとって、その手押し車は重く、持ち上げることが難しかったのです。

おじいさんの後ろにはたくさんの人が並んでいます。

おじいさんはとてもイライラしています。
何をどうしても問題は消えてくれないのです。

そしておじいさんは外出することをやめてしまいます。外にさえ出なければ、足の痛みに悩まされることも、杖や手押し車に困らされることもないからです。

ずっと家にいるのは退屈で、買い物にも困りましたが、それでも今までよりはマシだと思ったのです。

そうして数日、数ヶ月、数年が経ち、足の痛みはすっかりなくなっていました。

あるときふと、思ったのです。
これなら外出できるかもしれない、と。

そして久しぶりに立ち上がります。しかしおじいさんはそこで愕然としました。

立ち上がろうにも、どうやって足に力を入れたらいいのかわからず、足が少しも動いてくれないのです。

初めてイライラが止まりました。

どれほど愚かな時を過ごしたかということに気が付いたからです。

足の痛みと共に、立ち上がる力も失ってしまったのです。

「こんなことなら少しぐらい痛くても、少しぐらい不便でも、少しぐらい恥をかいたとしても、たくさん外出していれば良かった」

そう言っておじいさんは泣きました。

涙が一粒流れるほどに、おじいさんの胸からモヤモヤしたものが一つ、また一つと消えていきます。

すっかり空っぽになった胸を撫で、体がとても軽いことに気が付きました。

今まで胸につまっていたモヤモヤしたものには、“不安”という名前がついているそうです。

そしておじいさんは強く思います。

「外に出たい」

這うようにして外へ向かいます。

杖も手押し車も何もなく、もはや立ってもいない状態でしたが、一歩、また一歩と、太陽に近づいていることがとても嬉しくなりました。

体を引きずって進むおじいさんをたくさんの人が見ています。

それでも気になりませんでした。

外へ出られたことだけが、とってもとっても嬉しかったのです。

するとしばらくして、一人の少女が駆け寄ってきました。少女の手は、優しくおじいさんの手を握ります。

おじいさんは困惑しましたが、その手に導かれるようにゆっくりと立ち上がりました。
さっきまで力が入らなかったことが嘘のように、力強く、立ち上がりました。

少女に何度も何度も「ありがとう」と言いました。
嬉しくて涙が出るなんて初めてだったのかもしれません。

胸にはまだ、ほんの少しのモヤモヤが残っています。だけどイライラすることはありませんでした。

少しぐらい不安でも、幼い少女の手を借りても、立ちあ上がれたことが何より嬉しかったのです。

そしておじいさんは歩きだします。
問題なんて、なかったかのように。

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