見出し画像

嗚呼 #007

12月7日
イライラする原因は、僕自身にあることに気づいた。

世界は他人が作っているようで実は自分が作っている。自分が変われば世界の見え方も変わる。

今日は父から郵便が届いた。過去の個展の資料だ。A4フォルダーに整理整頓された資料がみっしりと纏められている。父は画家だ。村役場を退職してから、アクリル画のカルチャースクールで絵を学んだ。ある個展で準大賞をとってからというもの、勢いが付き、どんどん絵を描き続け、50点ほどの作品を残してきた。その殆どが西米良の自然や景色や風習を描いたものだ。それを空港展に出品したこともある。しかし、70歳を越えた今では、身体の衰えからか、殆ど絵を描くことはない。

「僕も個展を開催しようと思う。」と父に伝えた昨日の朝、早速、父は自身の個展関連資料ファイルを送ってくれたのだ。おそらく、僕の意欲的な考えが嬉しかったのだと思う。

今生きている世界は自分で決めて作っている。不満を抱いている人は不満な世界しか見えていない。希望を抱いて進んでいる人には希望で溢れた世界が見えている。

僕が最近、何かとイライラすることが多かったのは、自分に余裕が無かった所為なのかもしれないと気づいた。父からの資料ファイルには手紙が添えられていた。父の文章の後に、母の文字であろう言葉が添えられていた。「煙草の本数が減りますように‥‥」そんな事は言われなくても分かっている。一々言葉にして添えるものではない。僕は頭に血が上った。母はいつも余計な一言で僕をイラつかせるのが得意なのだ。そんな言葉は伝えるものではなく、母自身の心の中で願っていれば良いだけのことなのだ。そんな母に落胆の意を隠せない。

でも、一瞬、僕は冷静になってみた。「もしかしたら、僕が考え方を変えたら、世界は少し違って見えるのかもしれない」と。数日前の深夜、近くのすき家でテイクアウトした時、15分も待たされた。全くもってファストフードとは呼べないではないか。僕は強めの口調で言った。「あのぉ、遅すぎませんか!?」店員は「申し訳ございません。」を三度繰り返した。

その時、もし僕が「出来上がるの遅かったですね?もしかして深夜だから一人で切り盛りしてるんですか?大変ですねぇ」なんて言葉を選んでいたら、もしかしたら世界は変わっていたのかもしれない。愚痴を言われた人は、おそらく他の人に愚痴を言うだろう。そうやって連鎖していくのだ。一方、「ありがとう」「お疲れさま」「ごめんね」は、人の気持ちを救うことがあるし、それが次の人に伝わって感謝の和が広がっていくのだ。

今度からは、いや今日からは、もしイライラを感じることがあったらそれは僕自身に余裕がないことだと一旦冷静になって、「この人は具合でも悪いのかな?」などと心で思い、労いの言葉一つでも掛けてみようかと思う。

半年前にジョイフルでランチを食べていた時の、隣の席の女子大生の会話を思い出す。「ねぇ、ヴィーガンって何?うちら二人がやったところで世界は変えられないよね?(笑)」。僕は、「それは違うよ」と言いたかった。確かに自分一人がヴィーガンになったところで世の中は変えられないかもしれない。僕はそこまでの影響力を与えられるインフルエンサーでもない。でも大事なのはそこではない。自分の価値観が変われば、自分の世の中に対する見え方が変わってきて、「自分の生きる世界」が違ってくるのだ。自分の世界は自分で作れる。街のあちこちで、週末の朝に行われている小さなボランティア然り。自分がそれをやってみることで考え方や価値観が見直される。そして自分と関わる人間が変わってくる。そうやって「自分の世界」は変わって行くのだ。

その女子大生に僕は言いたい、「道端に落ちているゴミひとつでも拾ってごらんよ」と‥‥。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?