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2022/12/5 お金

家がそこそこ裕福だったというのもあり、お金に関して本気で苦労したことがない。
学生時代、月末になるとお金のない日が続いた。
それでも食うのに困ることはなかった。
もやしと肉と米を買うくらいのお金はあったので生存できた。

また、アルバイトはしていたけれど遊ぶ金だったので、家賃や学費に充てたことはない。
欲しいものを何でも買えたわけではなかったが、それでも十分すぎるほど満足にお金を使っていた。

そのせいか、自分でも認めているところだが物欲は強い。
また、金銭感覚もズレているところがある、と言われる。

物の値段に関して、高い安いという自分の物差しは一応あるのだが、そしてそれが知人・友人と比べて大きく乖離しているわけではないのに、いざ買い物をするとなった時に大きく逸脱する。

例えば3万円のTシャツがあったとする。もちろん高い、高すぎるほどだと理解している。
そのくせ、欲しいと思ったら買ってしまう。
ある程度の余裕から来るものだとは思うのだが、それでも金額の多寡というよりは欲しいか欲しくないかで決めてしまう。

だが何もブランドや、高価なものが好きというわけではない。
好きなブランドがあるのだが、デザインが斬新で自分好みであるため買っている。別にそのブランド自体を特別好んでいるわけではない。
ロゴを含めて、好きだとは感じているが、似たようなデザインの服が手ごろな値段で売っていたらそちらを買うだろう。
しかし、こういったデザインのものが欲しいと思って探してもなかなか見つからない。
それで結局、高いとは知りつつも自分の欲を満たしてくれるものを買ってしまう。
代替できるものがあるのならそちらへ行くが代替できないので仕方がない。

ガジェットなど利便性や耐久性、機能性を売りにしているものならば値段が上がるごとに効果が高まるだろうがファッションは違う。
耐久性や快適さなどは多少優れているだろうが、値段に比例して効果が高まるわけでもない。
ほとんどがブランド力にお金を払っているわけだ。
そしてその中にデザインが含まれる。
ブランドが発する価値や希少性などブランド自体に価値を払っているものも多いだろう。私もそれがないわけではない。

結婚式をしたカップルとしないカップルでは離婚率に差が出ると耳にしたことがある。
まあわからなくもない。
それと同じように同棲したのだからとか相手の親に会ったのだからというのもあると思う。
ここまでしたのに別れるなんて、と労力を割いたのに全てが無駄になるのが嫌でもう少し頑張ってみようと思うものである。
また、そこまで来ると別れるのにも労力がいるものである。
進んでも退いても面倒ならば、せめて大きな変化をしないほうにと進むのである。
それが良いのか悪いのか、持ち直すカップルもいれば結局別れるカップルもいるだろう。

以前、同棲をしていた友人の話を聞いて別れたほうが良いのではという状況だった。
その際に、同棲してなかったら別れていたでしょうと言ったらうんと頷いた。
しばらくして彼らは別れた。でも、一筋縄ではいかなかったようだ。
そして自分も同じような経験をしたことがある。
きっと今一緒に住んでいなかったら別れていただろうと何度も思った。そして結局別れた。

そんな風に環境が二人に与える影響は大きい。
その最たるものが子どもだと思う。
子どもがいたから、いなかったら、決断に与える影響は凄まじいだろう。

遠距離も同じように環境が与える大きな影響だと思う。
大人になるにつれ、距離の差が短くなる。
学生ならば東京、大阪間はかなりの距離だが、大人になればそう遠くはない。
お金が解決してくれるからだ。
週末仕事終わりに新幹線に乗り、日曜の夜に帰宅すれば週に3日も会える計算になる。
流石に北海道、沖縄間はとてつもない距離を感じるがお金と自由さえあれば大した問題ではないのかもしれない。

話は戻り、結婚式や同棲、両親への挨拶などはここまでやったのにという気持ちが働く。
まあ結婚がゴールではないのだから、たとえ何があっても退こうと思ったら退くべきだし、いくら入籍したとしても離婚は出来る。
入籍前なら猶更、退くなら今ということになる。結婚してしまったらそれこそ業務上の手続きなどが増えるから余計に面倒である。
それらを思って、退く面倒を考慮して進むというのはコンコルド効果のようなものを感じる。
時間も労力もお金も割いてきたのだから、成功させないと、幸せでないと、ゴールでないと困るわけである。
負け分を取り戻すのとは少し違うけれど、いくら気持ちが入ってなくても、もうダメだとわかっていても退却をしないのと一緒である。

ギャンブルはあまりしないが、やるのは好きである。
でも、負け分を取り戻そうとか、勝つまでやるとかそういった風にはならない。
だいたい予算を決めて時間を決めて、その範囲内でしかしない。
勝てば嬉しいし負ければ悔しいがお金のためにやっているわけではない。
一瞬、一瞬の勝負がしたいだけである。
もちろん熱くなることもあるが、退路は常に確保しておくしどこか常に冷静だ。
ゲームみたいなものでギャンブルというには少し違うのかもしれない。

ともかく、なんでもそうだが沼はあるものである。
ギャンブルも恋愛もこのまま行けば地獄だとわかっていながら突き進むことがある。
そしてそれを繰り返して反省して改善して、でもまた落っこちて、何度も似たような失敗を繰り返すものである。
日常でのお金の使い方、時間の使い方ひとつとってもそうである。
積み重ねた無駄遣いが貯金を食いつぶし、時間を奪う。
そのうちお金や時間といった物性だけでなく心の基礎をも奪ってしまう。
ありきたりだが、結局のところ心が肝腎なのである。


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