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「普通のこと」ができないわたしが考える、「普通じゃないことが普通になる」明日の話。


ご挨拶

こんにちは、株式会社ゼネラルパートナーズ(GP)の佐藤古都です。新卒から約5年間広告会社で働いていて、2018年2月にGPに入社しました。

GPというのは、社会課題に取り組むソーシャルビジネスベンチャーで、現在は主に障害のある方の人材紹介や就労支援事業をしています。(あとは高級しいたけを作ったり…この話も追々。)

そもそも人材業界にも障がい者支援にも携わったことがなく、社内では「お前誰やねん」状態だし、前職でお世話になった方には「大丈夫…?」とご心配されることも多いので、なぜ私がこのタイミングでキャリアチェンジをしてるのか、自己紹介をしたいと思います。たぶん長いです。暇なときに読んでください。


マイノリティ意識が強すぎるわたし

小さい頃からずっと、「普通のことができないこと」「周囲に馴染めないこと」にコンプレックスを感じていました。名前もちょっと人と変わってるし…。福祉や教育、社会問題への興味はわたしにとって綺麗事ではなくて、「どうにかうまく生き延びる方法はないか」という、もっと切実なものでした。

・原始時代なら死んでる
小1の夏に「ライオンキング」を見過ぎて一気に0.1まで視力が低下。学年で初のメガネっ娘となり、席はずっと一番前。「眼鏡があるから私は生きていける。これが原始時代なら死んでるわ。」子供心に思うところがあったのか、盲導犬や点字の勉強を始める。小6で手話点字クラブを結成する。(部員2名という人望のなさ…)

・ジェンダーロールに対する違和感
「女の子」にくくられるのが嫌で、ピンクや赤を嫌い、髪はショートカット、男友達とばかり遊んでいた。女の子とも仲良くしたかったが、女子集団の暗黙知のようなものが分からずに馴染めないことが多かった。

・ADHD傾向
小学校教諭の母が、2回の養護学校勤務で特別支援に目覚め、勉強を始める。家にある書籍を何気なく読むうちに、もしかして自分もADHDなのかな?と思いはじめる。過集中、片付けられない、忘れ物が多い、動作がもたつく、思ったことをそのまま言ってしまう。日本でも発達障害への理解や特別支援が広まれば、私みたいな子どもも普通に生活できるのかも、と思い心理学部を志す。

・6年間の海外生活
英語に苦手意識があったので、「心理学を英語で学べば一石二鳥…?」という無謀にもほどがある考えで安易に海外大へ進学。他人の目を気にすることなく生きられる自由さを満喫するとともに、「外国人」として生きることの難しさも体感する。

このあたりの経験から、別に何かの当事者ではないのだけれど、「誰でもマイノリティ側になりうる」という感覚が常にあるのかもしれません。


3.11東日本大震災、そして日本で就職

大学を卒業してもそのまま海外で就職して〜という考えが変わったのは、7年前の東日本大震災です。日本の状況が分からないまま、津波の動画を見続けるしかない毎日。原発事故が発生したときは「もう二度と日本に帰れないのかも」と思いました。今考えると思いつめすぎたのかもしれないけれど、「何かあったときに家族の近くにいたいな」と思い、2012年に帰国。

大学では統計解析をつかって研究をしていたので、そのスキルが活かせないかなと思ってマーケティング志望で就活し、デジタルマーケティングのコンサル会社へ入社。しかし最初の会社はなんやかんやでたった1年半で辞めてしまい、外資系の広告代理店へ転職しました。

広告会社の仕事は楽しかったし、性にもあっていた気がします。

・時間の使い方が自由
・マルチタスクで飽きがこない
・服装が自由
・帳尻があえばOK

出会う人たちも面白い人ばかりだし、美味しいところにも連れて行ってもらえるし、海外出張も楽しみでした。最初の会社を1年半で辞めてしまったこともあり、この会社で長く働いてキャリアを積んでいきたいと思っていました。新しい”マイノリティ”属性、ワーママになるまでは。


想像とかなり違うワーママ生活

わたし、子どもがいて時短の人って「子どもが可愛いから」仕事よりも家庭を大事にしてるのかと思っていた。わたしも子どもは好きだけど、保育園に預けることに抵抗ないし、仕事を優先できると思ってた。でもそれは完全な思い違いでした。

子供がいると、規則正しい生活は義務である。20時半に寝かせることから逆算していったら、18時には保育園に行かないと。夜の打ち合わせには出られない。そして子どもは寝かしつけても夜中に起きる。特に仕事をしたい日に限って寝ない。家でも仕事はできない。そしてすぐ病気になる。機嫌よく寝るわけがない。それなのに熱が下がると死ぬほど元気になる。仕事できn(※個人差があります)

あと、育休明けはびっくりするほど仕事ができなくなっていました。ブランクがあるのもそうだし、日中赤子としか接してないから言語力も下がってるし、その上考えるべきことが多すぎて思考が散漫になる。業務効率が落ちてる上に、何もアイディアがでてこない地獄のような日々。

復帰して1ヶ月はほぼ寝ずになんとか仕事と家事育児をしていたものの、もうボロボロ。仕事は十分なクオリティでアウトプットできない。プロジェクトにコミットもできてない。インプットの量も足りない。家事育児も中途半端。辞めたい。でも家で子どもと2人で過ごすのも無理。わがままかもしれないけど、社会に自分の居場所がほしいし、専門性も身につけたい。

そんなときに偶然出会ったのがGPでした。


そんで結局何すんの?って話

GPの主な事業は障がい者の人材紹介や雇用創出ですが、今後もっと広く社会問題に取り組んでいこうとしています。例えばLGBTQ+。外国人。シングルペアレント。これからは今まで「普通じゃない」とされてマイノリティと言われてきた人たちがマジョリティになっていく社会です。これまでの社会基盤では、お互いが支えきれなくなっていく。そのときに社会課題をビジネスで解決していくことが絶対に必要になりますが、その一つ一つの取り組みが「無人島でのお祭り」にならないように、世の中に「広く告げる」ことをわたしがやっていくつもりです。

ついでにGPは副業も推奨しているので、いろいろなところに顔をだしてお手伝いしたいなあ~と思っています。体力とフットワークの軽さには自信があるので!なんでもお声がけください!!

ということで、佐藤古都を今後ともご贔屓に。


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