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「休職します」と言った時のこと

こんにちは。コツメです。
今回は、「休職します」と言った時のことについてまとめようと思います。
メンタルがズタズタでどうしようもない様を書きます。

「体調不良だけどどうすれば良いかわからない」
「病院で休職を進められたけど、今後の流れがわからず不安」

そんな方に向けて書きました。
本当に情けない話なんですが、誰かの勇気になるはず…!

では、よろしくお願いします。


あらすじ

めっちゃ良い会社に入れてよかった!と思ったのもつかの間、
体制変更、増えた業務量と責任、先輩の離職などの環境の変化によって
ガラガラと崩れていくことになりました。

眠れない日があったり、謎の高熱で1週間休んでしまったり…
そういう不調を無視して仕事をしていました。
というよりは、ストレスが原因だとは一切思ってなかったんですね(笑)

自分で言うのもなんですが、仕事中心の生活をしていて、
高熱があっても在宅ワークするような人間でした。
休むのが下手くそで、うまく切り替えができず
休日も仕事の不安にさいなまれるようになります。

そして、「いつか辞めたい」から「今すぐにでも辞めたい」に。
大きいプロジェクトが終わる半年後に辞めようと思っていました。

ですが、一週間仕事を続けて、不調で会社まで行けずにテレワークしたこともあり…
仕事中、何度も休憩を挟まないとやっていけなくなりました。
この労働に対してお金をもらうのはダメだな、と思ったこともあって病院に行くことにしました。

休職に入るまでにやったこと

心療内科に行く

うつ病になったことのある友達に相談したところ
受診を勧められたので過去にかかっていた病院を紹介してもらいました。

事前に話を聞いていたんですが、
心療内科に行くのはとても緊張しました。
なんとなく怖いと思っていたからです(笑)
未知なので当たり前ですね。

予約して、行ってみたらなんてことはなかったです。
仕事でギリギリしているよりずっとマシでした。

呼ばれて、両親と同じくらいの年齢の先生と話しました。
仕事のこと、家族のこと、学生時代のこと
いじめを受けたかも聞かれました。

思いついた通り話しました。
少し的外れだったかもしれないけど、何か出せば相手が判断してくれるのでOKです!

30分くらい正直に話して、
適応障害と診断を受けました。

「休職をおすすめします」と言われたけど
私の口から出たのは「今は休めない」「休んでも復職できるか不安」でした。
辞めたいと思っていたはずなのに本当に不思議でした。

最終的な先生のお言葉は
「今の状況では症状が悪化するから、仕事量を減らして続けるか休職するか
 上司と相談してきてください。
 次来た時に診断書を出します」

「上司に相談とか無理だよ…」と思いつつ
「分かりました」と言って診察終了。

このときの感情は何とも言えないです。
ショックだったような…?
病院の外は風景は無彩色で、何もかも実感がありませんでした。

母に連絡

診断が出た時点で母に連絡しました。
もう仕事辞めるかもしれないというのも含め…
ひとしきり状況を話した後、「そんなにつらい思いしてまでする仕事はないよ」
の一言で泣きました(笑)

涙腺弱すぎる…でも、確かにと思えたんですよね。
この言葉が「上司に相談しよう」と決意させてくれました。
母は偉大です。

就業規則を読む

そもそも休職という制度があるのか確認しました。
これは友人のアドバイスによるものです。

絶望的な読解力になっていたのですが、「ある」ということ、
「休職期間を過ぎたら退職になること」だけわかりました。

期間は会社によると思います。
「休職=療養のために籍を残したまま休む」なので退職とは異なるんですね。
休職は、休んでから「転職か復職か」を判断することができるのでおすすめです。

上司に相談

病院に行ってからさらに一週間仕事をしました。
なんて思われるか怖くてぜーんぜん言い出せなかったんですね!←

強制的に上司と話さなければいけない機会があったので、
「相談があります」とメールしてアポをとりました。
前日は不安と緊張で全く寝れませんでした。今でも鮮明に覚えています。

時間が来て、「もう言うしかない!」と覚悟を決めていたのに
いざその時が来たらなかなか言い出せず…

やっとの思いで、病院に行ったこと、適応障害と診断されたこと、休職を勧められたことを話しました。
出たのは「扇風機の前ですか?」というくらい震えたみっともない声で
理由も言えずに、ただただ「すみません…」と言って涙をこらえるのに必死でした。
上司は大変だったね、と聞いてくれました。
何も言わずに相槌を打ちながら聞いてくれたのはありがたかったです。

今思うと、休職せざるを得ない状況だったんですが…
「休職します。」という一言が言えずに「もう一日考えさせてください」と言いました。
次の日、やっと一言「休職します」と言いました。

この後はたくさん泣きました。
伝えられたことに対する安堵、この先への不安、罪悪感が混ざり合っていました。
今の私でも、当時の私にかけられる言葉は見つからないです。

後日、診断書が必要と連絡があったので、再度病院へ行って発行してもらいました。
病院によりますが、診断書って3000~5000円するので、
休職が確定してから発行したほうが良いかもしれません。

引継ぎ

休職することが決まった後はとてもスムーズでした。
アプリで仕事の進捗管理をしていたので、
他の人もある程度終えるようになっていたからだと思います。

休職が決まってすぐに先輩から引継ぎに関して電話があって
涙を拭いて何事もなかったフリをして話しました。
一通り話して引継ぎは完了しました。
最後の「ゆっくり休んでください」がただひたすらに痛くて
声を上げて泣きました。

不甲斐ない…
こんな風になるために仕事やってたわけじゃないのに…
感情がぐちゃぐちゃでした。

仕事のことで別チームの先輩から電話が来ました。
休職の話はまだ知らなかったようだったので、休職することを話しました。
理由は聞かれなかったし言えなかったけど、
「申し訳ないです」は言えました。
「いつ戻れるかわからないです」とも。

この時、先輩が言ってくれた
「戻るのが正解とも限らないし、自分に合ったところに行けるのが一番だよ」
この言葉はとても救いとなりました。

その後、いつも通り退勤して、
明日も勤務すると錯覚するくらいあっさり休職に入りました。
仕事の責任を放棄した私は、泣きながらぼんやり天井を見上げていました。

当時を振り返って

休職はかなり大きな決断でした。
当時は先が見えず不安でしたが、
今は休職してよかったと思っています。

職場の方に迷惑をかけてしまったにも関わらず
すぐに休職に入らせてくれたことにもとても感謝しています。

今振り返ってみても、休職せずに仕事を続けるのは無理だったと思います。
「どこまでできて、何ができないのか」を
自分で把握できない状態だったために仕事量の調整が難しいこと、
職場の方視点だと私は変わらないように見えることが理由です。
私と周囲でギャップがあるということですね。

人材不足が解消されない状況を見るに
復職は難しいと思っています。
現在は体に負担がかかりすぎないように気を付けながら転職活動中です。

最後に

今回は「休職します」といった時のことについてまとめました。
「同じような状況で悩んでいる人もいるのでは…」と思ったので
存外情けない休職までの流れを書いてみました…(笑)

おそらく、適応障害になる方は休むことが下手な方が多いのではないでしょうか。
誰かと比較してどっちが辛いとか、そのくらいで…ということではなく、
自分にとって耐え難い状況だったこと。
仕事ができなくなるまで頑張った自分を労わりましょう。

本当に自分を守れるのは自分だけだと実感した出来事でした。
悩んでいる方の参考になれば幸いです。

休職期間中の過ごし方や転職については
また別の記事にまとめようと思います。

では、また。

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