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岸信夫 岸家系図にまつわるウワサ

最近保守層から人気の岸信夫さん。その岸一族に関する様々なウワサがありますので、実際にはどうなのか迫ってみます。

まず岸信夫さんは養子である事は有名ですね。祖父の岸信介さんの娘が産んだ子、つまり養子とは言っても岸家の血族が産んだ子です。岸信介さんには息子さんと娘さんがおり、信介の娘の洋子さんが産んだ子が信夫さんです。娘の洋子さんは安倍晋太郎さんと結婚したため、安倍家で子を産んでいます。洋子さんは3人の男児を産みますが、兄夫婦が子に恵まれなかったため、その三男坊を、岸家の氏を継いだ兄夫婦の所へ養子に入れました。そのため信夫さんは安倍晋三さんの実の弟だけど苗字が産みの母の旧姓である岸となった ということですね。

一般的によくあるのは、離婚して旧姓に戻った女性の子が、“母の旧姓を継ぐ子”となるパターンです。

岸信夫さんの場合はそれではありませんね。どうしても岸家の氏を途絶えさせたくなかった洋子さんの思い、岸家の思いとはどのようなものだったのでしょうか。


岸信夫さんのお爺様の岸信介さんの時代に立てられたウワサ


当時政治家として活躍していた岸信介さんと意見が割れて衝突があった党内の人物が「あいつはきっと400年前に渡ってきた“ガン”という悪代官のやつの家の者だ」と、こじつけて言い出したことが発端でした。

それで同じく岸と対立していた者達が「そうだ、そうだ!」と言って始まったウワサでした。

しかしその後、

『明らかに岸信介の氏族は、もっと昔からの伝統を受け継いでいる規律正しい由緒ある整然としたお家柄』というのが明確で、徐々にみんな当初のウワサを言うのが恥ずかしくなって行き、誰も言わなくなった

という事があったようです。

その時に確認されていた資料と同じものかは分かりませんが、このような内容が確認できます↓

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これによると岸家は難波吉士(なにわのきし)の子孫ですね。

難波吉士とは6世紀〜7世紀にかけて皇族に仕えてきた将軍の氏族で、外交使節としても活躍していました。


そして奇しくも、ウワサの誤解を解いたこの図が、今度はこれを見た者による勘違いによって、現在の新たなウワサの根源となったと思われます。

まず系図にある「岸 某」ですが、これを「李 某」という名前のやつだ!と思った人が隠れ反日族だというストーリーを企てたようなのですが、まず人の名前に「某」などと付ける親などいません。

この場合、某とは「不明」「の誰か」という意味です。中国や朝鮮でもこの漢字の意味は同じで、下の名前のデータはわからない という意味です。

しかもその一代だけでなく代々に渡って自分の子の名前に「不明」と付ける親達などいないのです。

祖父信介さんの時に立てられたウワサと現在立てられているウワサとでは少し違いがあります。

信介さんの時には、わざと差別的発言を使ってバカにするといった目的で立てられたウワサでした。しかし現在の場合は、日本を朝鮮に売り渡す計画を持った朝鮮人だといったようなものや、隠れ朝鮮人として隣国と手を組んで天下を取ろうとしているんだというような話にまで膨れています。


上記のウワサで使われた、ガンと呼ばれた人物が岸家の族と関係無い事は明らかですが、一応他にも触れておきますと、「李」→「李家」(りのいえ)という薩摩藩士が明治元年あたりで新渡来人として登録され存在していましたが、沢山の女児が生まれ、男児1人、その後継は娘1人しか生まれず、結婚もしなかったため李家はそこで途絶えています。

藩士は相当の学力や教養を要求される職ですので、簡単になれるものではありません。


洋子さんの想いとは何か。どうしても岸家の名前を途絶えさせたくなかったという想いには、代々受け継いできたキシという氏を、よほど大切にされたい想いを感じます。

それが“李という名前を木子だから岸にした”という話では、特別な想いをもって養子縁組で繋いででもその名を受け継ぐ意味がわかりません。もしウワサ通りなら別に安倍でも佐藤でもいいように思います。もしキシという氏は難波吉士が由来であるのなら納得がいきます。



信介さん自身も養子

信介さんのお爺様にあたる岸要蔵さんの時代に岸家の子の中から秀助が佐藤家へ、そして佐藤秀助の子が岸家へ養子として戻されています。そうやって岸家に戻されてきたのが信介さんです。

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信介さんは娘の産んだ信夫さんのことを非常に可愛がったそうです。

信夫さんのお爺様の岸信介さんは安倍晋三さんのお爺様でもあるわけですが、晋三さんはご両親が忙しくて家に居ないことが多く、お爺様と過ごすことが多かったようです。晋三さんにとっては自分の父以上に祖父信介さんが父のような存在だったのかもしれません。

信介さんは60年安保を成立させて総理を退いた後、インタビューでこのような事を言っています。

「憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったんです。すでに憲法の『定着』を主張しておる者もおるけど。いまの憲法がどのようにしてできたのか、その内容がどういうものであるのか国民は関心がないというよりは、知らないんだよ。」

日本帝国憲法が日本国憲法にGHQによって変えさせられたわけですが、その場にいた岸信介さんには、よほどの悔しいがあり危機感を感じる何かがあって、きっと私達が知りきれていない何かを知っているのでしょう。その想いを晋三さんは強く受け継いだのだと思われます。

信介さんは反共産主義として台湾とも協力してきました。日韓の間でも反共産主義政策を推進する過程で、1968年、韓国の朴正煕政権の支援を受けて統一教会の教祖、文鮮明が国際勝共連合をソウルで結成、岸は反共産主義のためならと日本での設立に協力しました。韓国を反共産の壁、台湾を守る防波堤としたい日本やアメリカの政治家たちとは、こういった経緯があり深い関係があったとされている。そのため、自民党・民主党とは繫がりがありました。

創設(開教)当時の名前は世界基督教統一神霊協会(せかいキリストきょう とういつしんれいきょうかい)

しかし当時と現在では統一教会のあり方が相当変わってしまったようです。反共産のはずが、徐々に共産思想・独裁思想になり、2012年には開祖の文鮮明が死去し、後継者が開教当時の思いを受け継がず、その後アメリカから邪道認定を受けた事をきっかけに、この団体とは距離を置くようになったとされています。

しかし政治家は基本、挨拶を依頼されれば受けます。トランプ元大統領も挨拶を出しています。議員は依頼された場合、断る事はあまり考えられません。



信夫さんには息子さんが2人いるようで、長男の信千世さんは信夫さんが防衛大臣になると勤めていたフジテレビを退社し、父の秘書官になられたようです。

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写真は長男の岸信千世さんです。

次男の智弘さんは不動産会社に就職されているようです。


ウワサと一族の想いを照らし合わせてみましたが、洋子さんの想いは、この難波吉士から受け継いできた氏族の特別な氏だという説明の方が、子を兄の所へ養子に出す理由として私は納得できますね。何度もウワサを本当だと仮定して考えてみましたが、しっくりくるものがありませんでした。

祖父信介さんの時のウワサは出どころがハッキリしているのに対して、現在のウワサの最初の出どころがネット上で、政府関係者ではない一般人が週刊誌の話をつぎ合わせたと思われます。

一部から岸信千世さんを安倍家に養子に入れるだろうと言われているようですが、この難波吉士の末裔である話が事実であれば、安倍家に養子に入れる事はなさそうですね。

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