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花緑青

躊躇わず齢五つで「しぬこと」が怖いと書いた手に緑青の
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まずは現実を受け止めるというところから全てが始まるというのなら、わたしたちが最初に知るべきは死ということではなかろうか。生命は須らく死に向かう。ならばそれを見つめず何を知ることができようかと、ふと思う。

人間として生命としての大元のそれらを意識的に受け止めるということを、わたしたちは日頃行わなさすぎる。それらを視界の隅に遣り、生きること生きること生きることと唱えている光景は些か気味が悪くさえ思う。なぜ、死を知らずして生きることができようか。死を忌む者はなぜ生を尊んでいるのだろう。

死を側においたことのある人間がわたしは好きだ。
死と真正面から向き合うことのあった人間がわたしは好きだ。
それは真摯に生きる者の在り様だと思うから。
生の輪郭を知ろうと踠く者の在り様だと思うから。
端から見れば狂気であれ、それは正しい行いであるとさえ思う。死を間近に知る人間ほど信頼に足る者はない。そこに一瞬さえ意識を向けたことのない人間や、すぐに目を逸らしたような者のことをわたしは信用してよいのか分からない。
己の死と向き合う中に見る僅かな矜持は美しい。慎ましくも微かな矜持を持てばこそ、死とは真に対峙できるとは言えないか。そうしてようやく、其れの隣に並ぶことが赦されるとは思わないか。
常に死を側に見て生きる者ほど、生きている者はいないのではなかろうか。恐れる必要はない。手招く其れに、ただ手を振り返すだけでよい。
人はなぜ生きる上で死を意識しないのだろう。
常に視界の端に留めておくべき自然の流れを排除してしまえば、そこに楽園があるとでもいうのだろうか。その楽園は、果たして本当に素晴らしいのだろうか。

願わくば、この世の無情な成り立ちを知り得た上で、わたしはこの世で息をすることを選んでいたいのだ。

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花緑青(はなろくしょう)は毒になり、緑青は腐食を防ぐ錆となる。

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