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『おやすみの神様』 〜素直になれば迷子にならない

こんにちは、ことろです。
今回は、神様シリーズ(と勝手に呼んでいるシリーズ)の第五弾にして最終巻の『おやすみの神様』を紹介したいと思います。

『おやすみの神様』は、著・鈴森丹子(すずもり あかね)、装画・梨々子の小説です。
全7章で構成されており、序章、同居の神様、褒美の神様、壁登の神様、練習の神様、恋愛の神様、終章と、序章・最終章以外すべて"~の神様"というタイトルになっています。

登場人物は、
坂神吉良恵(さかがみ きよえ)。24歳。
おじいちゃんが社長を務める造園会社の庭師。
当然孫である自分が跡を継ぐと思っていたら、別の人にとられてしまい、将来のヴィジョンが見えなくなる。
ひょんなことから自称神様の狸を拾い、同居生活を始める。
親しい人からはキョエちゃんと呼ばれる。

大林賢人(おおばやし けんと)。
吉良恵の三従兄(みいとこ)のケンちゃん。昔近くに住んでいたので兄妹のようにして育った。
小学六年生のときに引っ越してそれっきりだったが、吉良恵のおじいちゃんの跡を継ぐため戻ってきた。庭師。吉良恵の初恋の人。

小宮辰彦(こみや たつひこ)。愛称コタツ。
前作『おはようの神様』では遊園地前のコンビニ店員として登場したが、今作では和歌山県の水族館で広報担当で登場する。なぜかペンギンの飼育係も掛け持ちしている忙しい人。川の神様と晩酌をする。

神木真守(かみき まもる)。29歳。
コタツくんが遊園地前のコンビニで働いていた頃の友人、神木ちゃんのお兄さん。今は広報部の上司。
コタツくんのお兄さんが神木さんの妹と付き合って婚約までしたので、神木さんはコタツくんの義理の兄弟ということになる。
ボルダリングが趣味。森の神様と出会う。

弁天さん。女性。28歳。
水族館の中庭に設置された屋外ステージでパフォーマンスすることになった大道芸人。その後、コタツくんのペンギンショーとコラボをする。華のある容姿にコンテストでの受賞歴もある実力者ながら、芸歴は二年と浅い。
島の神様と交流する。

今作は最終巻というだけあって、今まで出てきた神様が勢揃いしています。山の神様、川の神様、森の神様、島の神様……
そして、今まで謎に包まれていた縁の神様(エンノカミ)も白馬という姿で登場します。神々しい姿で駆け抜けていくのですが、どんな風に登場するのかは、ぜひ読んでみてください。

また、今作も前作までのキャラクターがちょこちょこ出てきます。結ばれた後どうなったかというのが垣間見れるので、シリーズを通して読んでいる方には嬉しい展開です。
ぜひ読んでいて気になるモブキャラがいたら、それは前作までの主人公かもしれないので、シリーズを追いかけてみてください。きっと、そこにも神様との物語が広がっていると思いますよ。


主人公は、坂神吉良恵。
十月十日の誕生日で24歳になる吉良恵は、休みだというのに社長(祖父)に呼び出されます。
休日出勤かと思った吉良恵は作業着で会社に向かうと、来客があると言われ挨拶に行きます。その相手はなんと子供の頃以来会っていない三従兄のケンちゃん(大林賢人)でした。
兄妹のように育ったケンちゃんでしたが、いつの間にか大人の男性になっていて驚く吉良恵。もう昔のように「ケンちゃん」とは呼べないなあとたじろぎます。
すると、母が「賢人君はうちに住んでもらうことにしたから」と言い、ますます驚く吉良恵。賢人は、吉良恵が勤めている祖父の会社とは規模が違う大きな造園会社で働いていたと言います。
夕方、『賢人の歓迎会をするから来なさい』と呼び出された先で、ついでに自分の誕生日も祝われつつも、重大発表がありました。
発表は二つ。
一つは、祖父(社長)が体力の限界だと引退宣言をしたこと。
もう一つは、会社を吉良恵の父に託し、副社長を賢人にするというのです。
吉良恵と他の従業員がポカンとした顔をする中で、両親と賢人だけが社長をまっすぐ見据えていました。
代々続く庭師の家に生まれた吉良恵は、当然いつかは自分が継ぐものだと思っていたので、私だけ知らなかったことと賢人にその座を奪われたことを理解するのに時間がかかりました。

一人で家に帰っていると、頭の中は先ほどの発表でぐるぐるしています。
どうして私じゃないの?
たった一人の孫の私が家を継ぐために庭師になって働いているというのに、どうして跡継ぎが私じゃなくて大林さんなの。
跡継ぎという役割がないのなら、このまま続けていても意味はない。でも今更、やりたいこともない。どちらへ進んでも先が見えない。どこへ向かえばいいかわからない。
吉良恵は、迷子になっていました。
くしゃみをして、鼻水が出る。寒い。はやく立ち上がらなければ。しかし、そんな気力もない。辞めるのか、続けるのか、今の私には決められそうもない。あぁ、天の神様でも誰でもいいから、私の進むべき道を教えてほしい。助けてほしい。天じゃなくたっていい。どこの神様でもいいから、お願いします!
すると、狸がいた。
人っこ一人いないこの路地で、狸ならいた。
どこの山から下りてきたんだろう。周りに仲間や家族らしい姿はない。弱ってるのか、じっとして動かないでいます。
「君も迷子なんだね。おいで。一緒に帰ろう」
こうして、吉良恵は人生の迷子になった誕生日の日に狸を拾うのでした。

翌日、出勤した吉良恵は車で水族館に向かいます。仕事場である「うみとも水族館」は、この辺りにある唯一の水族館で、あまり規模が大きいわけではなく遠方から来る人はいないのですが、地元の定番スポットとしてそこそこの人気があります。とはいえ、来場者が年々減ってきているらしく、どうにかならないかと画策しているところのようです。
吉良恵は、この水族館の中庭の維持管理を任されています。
動機も意欲もない吉良恵に残っているのは責任。それだけでも、跡継ぎじゃなくなった吉良恵にとって働く理由があるのはありがたいことでした。

仕事が終わり事務所に戻ると、母がみんなのためにスープを作って待っていました。
スープは飲みたいけれど、昨晩の狸のことも気になる。
それに、落ち着いたとはいえ大林さんに会うとまた迷子になりそうで怖かった吉良恵は、一目散に家に帰り、狸を病院に連れていくべきか?と考えていました。
「……あれ?」
玄関を開けると、すべての部屋の電気がついています。まあ、今朝のどんよりとした私なら消し忘れても不思議じゃないけれど、でも確かに消したのにな?
「ただいま」と部屋に入ると、どこからともなく「おかえり」と声がします。しかも男性の声。驚きと恐怖で固まる吉良恵。とっさにベッド脇にいる狸を抱きかかえ、おそるおそる呼びかけます。
「だ、誰かいるの? いるなら返事をして。やっぱりダメ何も言わないで怖い! 隠れてないで出てきて。やっぱりダメダメ出て来ないで怖い! あぁ、もうどうしたらいいの怖すぎるよぉ」
「お嬢よ。そのように取り乱していかがした」
「わからない。一体何が起こってるのか。……え?」
私、誰と話してるの? 声がした方を見ると、小脇に抱えている狸と目が合った。
「落ち着くでござる。息を吸って、深呼吸をするのだ」
狸から男の声がする。声に合わせて狸の口が動いている。これはつまり、狸が喋っているということ? そう言うこと? どういうこと?
吉良恵はそのまま気絶してしまいました。

30分後、無事に目を覚ました吉良恵は「それがし神様でござる」という自称神様と会話し、なぜかベッドの中で横になっていることに気づきます。
「狸なのに、どうやって運んだの?」
すると、おもむろに葉っぱを頭に乗せ、リズミカルにお腹を3回叩くと、神様は狸から一人の男性の姿に変化しました。
またもや気絶した吉良恵でしたが、人の姿になった神様がキャッチ。思わず突き飛ばしてしまう吉良恵に「神を投げるとは何事か!」と神様が叱ります。
「しかし、けしからぬ。呼び出しておきながら、神を何と心得ておるのか」
「呼び出した? 私が、あなたを?」
仕事を辞めるか、続けるか。左右に分かれた人生の道に迷い、家に帰れなくなっていた吉良恵は、確かに誰かに助けを求めていました。
そして、目の前に現れた狸が今、自分は神様だと言い出している。
ということはつまり、この神様を呼んだのは私?
開いた口が塞がらないとはこのこと。
それでも、自分が拾ったことを認めた吉良恵は、この妙な狸と同居生活を始めるのでした。

同居二日目。
うみとも水族館は、今月末から中庭で新しいイベントを始める予定です。ステージを中心にぐるりと一周するように張ったゲートの中を、ペンギンがよちよちと歩くお散歩ショーです。まだ立ち入り禁止になっている中庭は、ショー開催日と共にお披露目、開放されます。
それまでに植えた樹木を剪定したり、フレームの土台に合わせて育てている木をペンギンやイルカの形に整えるトピアリーと、草花を使ったオブジェを作成しなければいけません。定期的に父が来るけれど、基本的には管理者である吉良恵が一人で作業をします。
日本庭園を得意とする職人が多い中で、装飾庭園を得意とする父の仕事を、吉良恵は中学生の頃から手伝ってきました。熟練の技にはまだ程遠いけれど、この中庭を任されたときは、それだけ信頼されているのだと感じてホッとしたのを覚えています。跡継ぎの道を確実に進んでいるのだと安堵していました。
「会社を任せるほどの信頼は、されてないんだなぁ……」
いけない、いけない。もし辞めることになったって、会社の信頼だけは守らなくちゃいけない。しっかり手入れしないと。

すると、複数のペンギンを連れた一人の男性が、こちらに向かってきます。
東京の大学を出て今年からこの水族館に就職したという小宮さんです。
「お疲れ様です坂神さん!」
ペンギンを慣らすために度々やってくる小宮さんとは、顔を合わせれば一言二言会話を交わす仲です。よちよち歩きのペンギンも可愛いけれど、ペンギンに突かれたり足を踏まれたりして苦戦している小宮さんも可愛い。

ある日、四羽のペンギンを連れた小宮さんがやってきました。ペンギンの散歩姿をカメラに撮ってこいと上に言われたらしく、ショーのPR動画をホームページに載せるらしいのです。
さて撮ろうとしたところで小宮さんが三脚を忘れてきたことに気づき、吉良恵が手伝うことになりました。

翌日、またペンギン達と一緒にやってきた小宮さんが「昨日はありがとうございました!」とお礼を言ってきました。
昨日撮った動画が評判が良くて、SNSでも話題になってて、小宮くんは一夜で有名人になっていました。
そのためか、今度はブログをやることになって、また三脚を持ってやってきたのだそうです。
「ここは地元の人達に愛されていても、来館者数は年々減っています。この企画で俺はペンギン達と水族館を盛り上げたいんです」
「ここをもっと有名にしてやりますよ。それが俺の夢なんで!」
小宮さんの目がきらきらしています。
夢。目には見えないのに小宮さんが発する輝きを帯びてキラキラしているその言葉は、どうしてこんなにも私を抉るように動揺させるんだろう。

吉良恵にとって、家を継ぐことは夢じゃなくて宿命でした。
思えば夢を持ったことがなかったんだなと。だからか、本気の目で夢を語る小宮さんを見てると、息が詰まりそうになります。
「とは申せど、ブログは随時チェックしておるのだな」
と帰宅して、自称神様の狸に言われます。
「頑張ってる小宮さんを見てると、それに比べて私はって、つい卑屈になる」
「他人と自分を比べる必要などない」
「しかし、必要がなくとも比べてしまうのが人間でござる。ならば素直に羨めば良い。所詮は隠れた心の中のこと。誰に晒すでもない己の気持ちは、己が認めてやらぬと彷徨うぞ」
希望に満ちた人を前にして、浮き彫りになった私の絶望。それを受け入れられない自分がいるから、いつまでも私はもやもやと行き場を求めて彷徨っているのかもしれない。自分の気持ちは、自分が受け止めるしかないんだ。
「私も、頑張ろう」
先は見えなくても、前を向こう。それがきっと私の先になるはずだから。迷子の自分を認めて、受け入れて、そこからようやく吉良恵は進むことが出来るような気がしました。

ある日、おかずを作りすぎたから吉良恵に持って行くように言われて、大林さんがやってきました。
すると、「もし迷惑じゃなかったら少しだけお邪魔してもいいかな」と大林さんが言います。
急いで狸を隠し、家に上げる吉良恵。
話ってなんですか? と聞くと、社長がキョエちゃんのことを心配してると言います。
「キョエちゃんは、家を継ごうと思っていたんじゃないか?」
「……社長の意思です。反対する気はありません」
「キョエちゃんは誰のためにそうしようと思った?」
「それは勿論、家族のためです。私は一人娘ですから」
「この仕事は好き?」
仕事に関する質問が続きます。
あまりに当たり前に接してきたから仕事という概念すらなかったかもしれない。言われて初めて吉良恵は考えました。そして思った通りを口にします。
「やっぱりそこは仕事なので、好き嫌いはありません」
「うん。でもそれはキョエちゃんの正解であって、社長の正解ではないよ」
中学の頃に造園士を目指し、吉良恵の祖父に憧れて、いずれは社長を追い越すつもりでいるという大林さんの夢。
「社長はキョエちゃんにも、誰のためでもない自分の夢を持ってほしいんだ。本当にやりたいことをしてほしいと願ってる」
大事にしてきた仕事だからこそ、孫娘に義務として背負わすようなまねだけはしたくない、そう社長は言っていたそうです。
そうならそうと、私に言ってくれればいいのに。そういう人だからね、と大林さんは頷きます。
「社員みんなを大事にしている社長だけど、キョエちゃんの話になると急におじいちゃんの顔になるんだ。微笑ましい反面、緊張するよ」
吉良恵は不思議に思いました。どうして大林さんが緊張するのだろう?
「そんな師匠の大事な孫娘を、僕は好きになってしまったから」
まさかの告白。吉良恵は、びっくりして何も言えません。
「僕と付き合ってほしい。驚かせて申し訳ないけど、真剣だから」
不意打ちのように言われて動揺した吉良恵は何も言えず、その場はお開きになりました。

「良かったではないか。夢も希望も色気もないお嬢が嫁に行けるのだぞ。いや、婿をもらえるのだぞ」
色気は関係ない。プロポーズでもない。
「結婚を前提にと、そう大林の顔が申しておったではないか」
「そうなの?」……覗いてたんだね。
「誠実な男だ。見ればわかる。夫婦となり共に家を継ぐ未来が開けたではないか」
「大林の申し出を断る理由があるのか?」
神様に言われて、断る理由はないと思うものの、素直に頷けない自分がいました。

休み明け、仕事後に大林さんと二人で食事をすることになっていました。その時に返事をしようと決めていたのですが、結局出来ずじまい。食事自体は楽しいもので、盛り上がり、告白の返事も急がなくていいと言ってくれます。でも。
「大林さんは真剣に私のことを考えてくれているのに、私は会社や家族のことしか考えていない。大林さんの本気に対して、私は本当にこれでいいのかなって思ったら、何も言えなかった」
人生の迷子から抜け出すチャンスだとしか考えていなかった吉良恵は、罪悪感でいたたまれない気持ちで帰ってきました。
「この先、どうしていいのか本当にわからない……」
仕事も辞められない。返事もできない。どうして私は、こうも迷ってばかりいるんだろう。
「お嬢は迷子でござる」
「子が親からはぐれて迷うように、お嬢は本当の自分からはぐれておるから迷うのだ」
「本当の自分って、何?」
神様は問いには答えず、寝てしまいました。

同居八日目。
笑顔の大林さんに見送られ、心をズキズキさせながら水族館へ向かった吉良恵は、小宮さんとペンギンがくる時間を待ち遠しく思いながら作業に取りかかりました。可愛い彼らの和みパワーをお借りして、この痛みを少しでも緩和させたいのです。
「お疲れ様です、坂神さん」
待ちわびた時間になって、ペンギン達がやってきました。ところが、小宮さんの様子がおかしい。なんだか元気がありません。
「あの、坂神さん」
「ちょっと、聞いてもいいですか?」
「ボブの髪にリボンを付けていて、カラフルな服を着ていて、いつも手にチョコレートを持っている同年代の女の子とか、見たことないですか?」
「え……? そうですね…………」
そんなお客さんがいただろうか。ここ数日の記憶を遡ります。
「ごめんなさい、わかりません」
「そっすよね。俺の方こそ、変なこと聞いてすみませんでした」
「その女の子が、どうかしたんですか?」
「名前も知らないんだけど、よく見かける子で。でも最近見かけないから気になってるんですよ。実は、前に好きだった人に似ていて。見た目は全然違うんですけどね」
「仕事中なのに長話して、すみません。でも話したらちょっと楽になりました!」
そう言って小宮さんは、速足でペンギン達の元へ戻って行きます。
どうしてか、吉良恵の心は揺れ動いて彷徨っています。

家に帰って吉良恵は、神様に小宮さんの話をしていました。
「やっぱりあれは、恋の悩みだよね」
なかなか進まない箸で焼き魚をつつきながら、元気がなかった小宮さんを思い出します。
「何とかしてあげたいけれど。気になる女の子には全く心当たりがないし……」
「何とかせねばならぬのは、お嬢の方であろう」 
「人の心配をしている場合じゃないのは、わかってる」
「お嬢はわかっておらん。小宮が好きだと認めぬから、いつまでも彷徨っておるではないか」
何を言ってるの狸さん? 
「私が、小宮さんを? そんなわけないよ。将来が不安で、大林さんのことだってわからなくて。誰かを好きになるなんて、そんな余裕が今の私にあるわけがない」
「ブログを見ている顔には出ておったぞ。声に出さぬとわからぬなら、小宮が好きだとその口で申してみるでござる」
そんなまさか。納得はいかないけれど、騙されたつもりで口を開きます。
「私は、小宮さんのことが好きです……」
自分の発した言葉が、反発もなく静かに身体の中へ染み入っていきます。不思議な感覚にしばらく気を取られていた吉良恵は、否定する言葉が浮かばない頭をぶんぶんと左右に振りました。
「だって私には大林さんが……、それに小宮さんには好きな人だって……」
「いつまで左右を見ておるつもりだ。道など切り開けば目の前にいくらでもある。自分を知って受け入れなければ、手を上げて進むことも出来ぬでこざる」
ポタリと雫が落ちました。
自分を知って受け入れる。はぐれている自分を見つけて、その手を恐る恐る引き寄せた吉良恵は、何故か止まらない涙をしばらく流し続けました。

同居九日目。
出社する前に話したいと連絡した大林さんは、実家の自室で吉良恵を待ってくれていました。
他に気になる人がいます。正直に打ち明けた吉良恵に、大林さんはいつもの笑顔で頷いて「キョエちゃんの恋がうまくいくように願ってる」と言ってくれました。文句の一つでも言われたほうが楽かもしれない。大林さんの優しさは胸に痛くて、絞り出すように「ごめんなさい」を口にしました。
初恋の人を振ってしまった。小宮さんのことは諦めようと決めている。会社を辞める決心もついた。今日の仕事を終えたら、社長に話そう。別の道を開いて、ここではない何処かへ進もう。

うみとも水族館の駐車場には、開館前からたくさんの車が並んでいました。他県から来ている人も少なくありません。
午前中は、関係者のみで行われる中庭のお披露目会に参加しました。
正午になると開放された中庭にはたくさんの人がやってきます。ステージ前とペンギン達が通るゲート周りでは、場所取りが始まって賑やかになりました。
そして迎えた午後1時。新人コタツ君とペンギン達のお散歩ショーが始まると、吉良恵は少し離れたところから見守ります。成功を祈って握りしめる両手は、うっすらと汗をかいていました。
さぞかし緊張しているだろうと思えば、小宮さんは堂々とステージに立って挨拶をしています。ペンギン達も胸を張ってペタペタとステージ上を行進。途中までは順調だったものの、やっぱり自由にあちこち動き回るペンギン達に振り回されて悪戦苦闘する小宮さんに、会場からは笑いが起きます。それでも可愛い笑顔を絶やさない小宮さんは、何とかペンギン達を歩かせてゲート一周のお散歩を成功させました。

閉館時間が過ぎて、中庭のチェックを終えた吉良恵は、いよいよ会社に帰って辞めることを伝えようと決心します。何を言われるのか見当もつかなくて怖いけれど、自分のために決めたことだからきっとわかってもらえるはず。
「坂神さーん!」
帰り支度をしていると、小宮さんが手を振りながらこっちに駆け寄ってきます。
「小宮さん。お散歩ショー、大成功でしたね」
ドタバタしていたけれど、それが大好評だった。早くもSNSでは話題になっているし、今日までの予定だったブログも続行を望む声が多い。あれは小宮さんにしか出来ない、素晴らしいペンギンショーでした。
「見てくれましたか? 明日もあるんで頑張ります!」
可愛い笑顔を前に、思わず胸に手を当てる吉良恵。仕事を辞めて会えなくなれば、この気持ちは次第に消えていくだろうか。
「この場所も、すごく評判いいですよ。みんな寒いのにここで休憩してて。あれなんか、写真を撮るのに長蛇の列が出来てたし」
そう言って小宮さんが指差したのは、うみとも水族館の名前と日付が書かれた、記念撮影用のオブジェ。草花やトピアリーを使って吉良恵が一から作成しました。
「素敵な中庭が出来て嬉しいって、お客さんもスタッフも言ってましたよ。俺も好きです、この庭。大事にしますね!」
「……ありがとう、ございます」
私はただ、与えられた仕事をしただけ。
「あの。聞いてもいいですか? 小宮さんは、どうしてこの仕事を?」
吉良恵の質問に小宮さんは、照れくさそうに頭を掻いてから答える。
「遊園地のレストランでコックをしてる兄ちゃんがいるんですけどね。めちゃくちゃ上手い料理作って、みんなを笑顔にするんです。かっこよくないですか。で、俺も誰かに喜んでもらえる仕事がしたいなって」
そんな考えと縁があって、うみとも水族館に就職できたという。
「こんなすごい庭を作る坂神さんこそ、どうなんですか?」
会社の看板を背負うつもりで必死に作ってきた庭を、吉良恵は改めてぐるりと見回しました。
「私は……造園業の家に生まれたので、当たり前のように庭師になりました」 
「ただ家族のために、何より自分のために、私は庭を造ってきました。仕事は好きかと聞かれても、仕事は仕事だからとしか答えられなくて」
「でも。私も、誰かに喜んでもらえるこの仕事が……今は好きだって思います」
この庭で写真を撮っているお客さんや、喜んでいるスタッフを想像した吉良恵は、内側に収まり切れない感情が顔に出てしまうほど嬉しく思いました。小宮さんから、好きだと言ってくれる庭を造ることができて、初めて庭師になってよかったと心から思いました。
私は、この仕事が好き。
ついさっきまで仕事を辞めようとしていたのに。それでも自分の口から出たその言葉は一滴の嘘も混ざらず純然で、自分でも驚くほど透明で。これが私の、本当の気持ちなんだってわかる。
辞めたくない。仕事も、小宮さんを好きになることも。ちょっと遠回りしたけれど、やっと見つけた。これが、私の本音なんだ。
「ペンギンと俺のショーも、坂神さんが作った庭も、大好評で大成功ってことで」
缶コーヒーを二つ取り出した小宮さんが、一つを吉良恵に差し出しました。受け取った手に広がる熱が、心の内側まで広がっていきます。
『乾杯!』
互いの缶を当てた瞬間の、小宮さんの笑顔を見て思った。やっぱり私は、この人が好きなんだ。庭師をしている自分のことも。
自分を知って受け入れる。それが出来ないから私は迷子。神様が言っていた言葉の意味が、この時ようやくわかった。あんなにも揺れ動いて彷徨っていた心が、あるべき場所に収まったみたいに落ち着いている。
吉良恵は、初めて夢ができました。跡継ぎでなくてもいいから、また誰かに喜んでもらえる庭を造ること。
そして、いつか小宮さんに想いを告げること。これは人生で最大の目標になりました。
誰のためでもない自分の道を切り開いて歩き出した吉良恵は、もう迷子なんかじゃありません。


……と、こんな風に神様と人間の縁結びの物語がつづられていきます。

各話ごとに主人公が変わり、その主人公といずれかの神様と交流があり、縁が結ばれていきます。

どれも縁結びの手助けをしているので、カップル成立になっていくのですが、そこに至るまでの葛藤とか悩みの解決などを神様がしてくれるのです。

あとがきに、今回は「夢」をテーマに書いたと書かれていました。
みんなそれぞれに将来の夢があって、でもそれを叶えられないこともあって、たとえ夢を叶えても叶えられなくても、今の仕事を胸を張って出来ているか。これは一貫して問われているような気がしました。

誰かを好きになることも、「夢」である人もいるかもしれません。
その気持ちに気づいたときに、素直に認められるかどうか。それがたとえつらい片想いだとしても、自分の気持ちを認めてその人のことを好きだと思えるかどうか……。迷子にならないためには、その痛みも引き受けていくことが大事なのかもしれません。
でも、大丈夫。いつかきっと報われる時が来ますし、この物語ではちゃんと結ばれていきます。

最終巻である今作は、特に「素直になれ」と神様たちが応援しているように思いました。みんな大人になるにつれて、自分の気持ちに蓋をしたり、諦めたりして、何かを叶えることをやめてしまったりします。
でも蓋なんてしなくていいんだよと、在ることを認めてあげていいんだよと。そこから始まる何かがあるからと、神様を信じてって、言われているような気がしました。
核心をつく神様たちとの掛け合いに、ハッとさせられる人も多いのではないでしょうか?


さてさて、長くなりました。
魅力的な物語とイラストに引き寄せられて読み始めたシリーズ物でしたが、今作で終わりです。
鈴森さんの作品は新しいものが出ているので、そちらも縁があれば読んでみたいと思います。
みなさんも、興味が湧きましたらぜひ読んでみてください。心がほっこりしますよ。

それでは、また
次の本でお会いしましょう~!


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