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言葉を見直す、8日目。


9月9日が
「重陽の節句」だと、知ったのは


20代後半になってから
ようやくだったと、思う。


花を扱う仕事で、
初めて知った。


まだその頃は
ヒーリングも学ばずにいて


目に見えないものを、
体験しつつも


左脳優位の
半信半疑で。


体験しても、なんだかんだ
日常では忘れていた頃。



30代になって
やっと「二十四節気」を知って


かつての日本人の感性を
確認できるようになり


『こんなにも昔の人たちは、
 季節をじっくりと見ていた。』



その日本人のことを
初めて素敵だと、感じた。



たった2週間で
変化している自然界の移り変わり。


現代には、
お花業界までもが


「先へ、先へ」のペースになって


花屋に売られるものたちは
自然界の季節よりも、


ずいぶん早くに店頭に並んで



路地の花たちとは
タイミングがずれていた。




年中、お花に囲まれる仕事。


憧れて、
その仕事を選んだけど



裏側も見えてしまうのは、確かで。


露地ものとのズレが、
不調和にも思えたし


食品業界と同様に


”季節外れ”として
「破棄されるものたち」を見て、


『仕方がない』という
日々の妥協の中に働く、状況。


10年後の
今では、その風潮も改善されつつある日本で


「本当に植物が好き」な人たちが
動き出していることが


何より嬉しい。



田舎なら、
野菜もお花も


自宅で育てるのが、当たり前。


祖父母世代には、
それが日常だったけど。


今の私は
野菜もお花も


「買うもの」になっている。


そして、
「菊の花」のこと。



なぜか庶民には
「菊の花」=仏壇やお墓に備えるもの。


”お祝いの花”には
入れない花、だよね〜と。


そう、思えてしまう。


『日本の国花を、知ってる?』


その質問を、
英語のインストラクターの先生から
    (↑確かオーストラリアご出身)


初めて聞いて


そうか。


菊花紋だよね、と認識した。



菊の花の香りは
以前から好きだったけど、


「食べられる菊の花」を知ったのは
40代になってから、だった。


祖母は、お姑さんと
うまく行かずに


母も、お姑さんである
父方祖母には、気を使い


だから、
核家族は「安心して暮らせる」のかと


子供の頃には
思っていたものだけど。


良し悪しは、表裏一体で
「伝統」らしいものは


何も伝わってこなかったんだと、


40代50代になって
ようやく気が付く。


学校や社会で
学べることもたくさんあるけど


人から人へ
生活を通じて伝わるものは


何より本質的な
豊かさにつながると、思う。


言葉や思考も、同じく。


この先60代、70代になって
私はどんな言葉を


「子供たち」に
話せるだろうか?


日本語をきちんと見直して
”大切な音”として


残していけるような
この先の人生を選んでいきたいものだ。


















































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